今日は買い物日和

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今日はお買い物に行った。


来月参加する瞑想リトリートの要項で、瞑想中は白い服を着用して下さいとお知らせが来た。厳守ではありませんが、少なくとも強い印象を残さないプレーンな色の服を着て下さいとのこと。


白い服、プレーンな色の服、どっちも持っていない

私は柄ものが大好きなのだ。

身につける服、上下どちらか柄ものじゃないと落ち着かない。

柄じゃなかったらせめて鮮やかな色の服が着たい。あるいは黒。


でも、ケーララの人は白い服をよく着ているし、緑に溢れた風景にパリッと白い服を着ている様子は何とも素敵。時々私も白い服が欲しくなって、買い物に出かけるのだが、気がつくと柄ものを買っているのだ。


でも今日こそは白い服を買おう!決まりなんだから。どうせだから生地を買ってテイラーでオーダーメイドしよう!


実はこの宿の敷地内に、テイラーセンターがあるのだ。オーナーが地域のボランティアで始めた場所で、女性たちに無料でミシンを貸し出している。縫い賃もそにまま彼女たちの手に入る。テイラーセンターの階下には最近までホープクリニックという名前の、無料の診療所があった。

しかし、薬代が高騰したことと、お金がある人まで無料の薬をもらいに来るので、運営が大変になって閉めてしまったのだ。


ともかく、テイラーセンターはまだ健在。歩いて30秒の所にテイラーがあるというのはとっても便利。


都会は可愛いレディメイド服が増えてきたが、インドでは今もオーダーメイドで服を作るのが主流。

パンジャビードレス(なぜかケーララでは単にチュリダールと呼ぶ)も圧倒的に既製品より仕立て用の生地の方が種類豊富。仕立て代もパンジャビードレス一式350ルピーくらいなんじゃないかな。

生地を買って好きなように服を作ってもらえるなんて、素敵!なんですが…


村のお姉さんたちが仕立てるので、変わったデザインにはあまり対応してくれず、言葉の壁もあるので、出来上がってきたら、思ったのと違うということはかなりよくある。二着作ったら、一着は気に入らなくて結局着ない、というくらいの確率。


これをなるべく防ぐには、実物のサンプルを持っていって、基本はサンプル通りで袖の長さや襟ぐりの形など、微妙なところを変えてもらう、という頼み方が良い。写真だけだと再現性は低い。それでも凝った細工には対応してくれない。

結局サンプルがないと失敗率が高いので、似た服が二枚になってしまう。


なので、インドに来て最初はよくオーダーメイドをしていたが、ここ最近はちょっとくらい高くても失敗のないFabindiaAnokhiに落ち着きがち。


でも今回はプレーンな服が必要だからオーダーメイドにはちょうど良い。サンプル探しとデザインチェックのためFabindiaへ。ここ最近はロング丈のクルタが流行りらしくて、ふくらはぎくらいの丈のクルタににワイドパンツなどを合わせて着る。もちろんチュリダールでも可愛い。


何着か試着したが、やっぱり白地にちょと柄が入ったものに惹かれてしまう。このくらいの柄ならならいいんじゃないかなー?あんた何しに行くの?瞑想しに行くんでしょ?と心の中で押し問答をしつつ


柄物は振り切ったが、結局真っ白で気に入ったものがなくて、ベージュと白の薄生地を二枚重ねにした、ロングクルタと白いレギンスチュリダールを購入。Fabindiaのレギンスチュリダールは履き心地良いので、いつもクタクタになるまで着倒すが、この間まで550ルピーだったのにまたも660に値上がり!もはやユニクロの方が安い。


次こそは真っ白な生地を買おうと、手つむぎ布が売ってるカディショップへ行った。色物には目ももくれず、白いワイドパンツとロングクルタを作りたいと言ったら、手つむぎだから意外と高くて6メートルで1300ルピーくらいしてしまった。仕立て合わせたら2000弱かー。Fabindiaよりは少し安いくらい。


さらにもう一軒見てみようと、地元呉服店 Pulimoottilと言う所に向かう、ここが意外と穴場だった!可愛い布がいっぱい売ってるー!!しかもメーター100ルピー代とか。何故今までこの店に気がつかなかったんだろう。これでワンピースとか作ったら絶対可愛いよなーと夢広がって大興奮。あ、また柄物見てるし

ここでもクルタ用の白い布を買ったが、結局300ルピーで済んだ。安かったので可愛い柄布も買っちゃった。最初にこの店に来れば良かったんだ。

また買い物でテンション上がりすぎちゃった。


さて、布は買った。次はこれをどこまで気に入ったものに仕立ててもらうかが次のステップ。

続きは無事に出来てからで!







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# by umiyuri21 | 2017-10-24 01:20 | 旅行

旅するインド人

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ようやっと落ち着いたーっと、のんびりしつつ、実は次の旅の準備をしています。


旅の準備って、決めることが機会がけっこう多い。旅が続くと、いっつも何か決めてる気がする。何日に出発するか、どの便に乗るか、宿はどうするか、どういうルートで行くか。できれば無駄なお金は使いたくないけど、大変な想いもしたくない。安全を確保しつつどこまで節約できるかも悩みどころ。直観力と決断力を鍛えるいい練習になります。


今月末にはケーララを出て、またまた北インドへ。デリー経由でヒマラヤ山麓のコルベットパークで行われる、ある瞑想リトリートに参加します。その後デリーへ戻ります。(リトリートの話は近くなってから詳しく^ ^)


今日はデリーからの列車のチケットを取りに近所の駅へ。全インドどこからでも、どの列車のチケットも予約できるというのは便利ですね。


私が住んでいる場所はチャンガナチェリーという町が最寄駅。小さい駅で予約窓口も一個しかないけど、大抵2,3人しか並んでいないから楽ちんです。でも今日は日曜のせいか、長蛇の列ができていた!北からの出稼ぎらしいお兄さんたちが、何人分ものチケットを取っている。


ケーララは北インドへからの出稼ぎ者が多いのです。他の州に比べてブルーワーカーの賃金がわりと良いから。そしてケーララ人は貧しくても、ちゃんと学校へ行けるので、そういう場所では働かず、逆に海外に出稼ぎに行くのです。肉体労働から頭脳労働まで湾岸諸国はケーララ人だらけだそう。女性の多くは看護師として働きに出ます。ジョシーの家も弟も妹もみんな湾岸諸国で働いた経験があります。湾岸で稼いだお金で、故郷の土地に綺麗な家を建てて、早期退職してのんびり暮らす。そして子供たちには良い教育を受けさせ、欧米諸国で働かせる。っていうのがよくあるパターンです。

ケーララの村に行くと、プランーションに囲まれた大きくて立派な家が沢山建っています。家があるけど、みんな海外へ出て放置されている物件も多いとか。そういう物件のひとつをairbnbで見つけて泊まったこともあります。

この辺だったら500万くらいで買えるらしい、うーん悪くないよね。何にもない田舎だけど。


インド人と話すとみんないろんな場所で暮らした経験があります。生まれも育ちもずっとここ、って人にはあまり出会わない。みんな大胆に動いて、逞しく生きている。移動することにあんまり抵抗がない感じ。どんどん国境を超えて行く。英語が自由に使えるのも強み。見習いたいなと思います。


先日もティルバンナーマライからケーララへタクシーで戻ってくる時に、宿のお兄ちゃんが、ナイトドライブは運転手に話しかける人が必要だから、僕がついて行くねーって気軽な感じで車に同乗してくれたけど、片道13時間とかかかるんです往復24時間以上。しかも彼は最近アグラ近郊の大学に行っていて3日以上かけて休暇で実家に戻ってきたばかり。

あとチェンナイで働いているジョシーの甥っ子も、夜行列車でしょっちゅう実家に帰ってきます。一晩の移動なんて平気みたいね。家族ぐるみで3日移動とかもやっちゃうからね。


そんなインドで暮らしているから、私もついぐるぐる動き回ってしまうのかしらなんと言っても移動費が安いから、一晩の移動でも列車なら2000円前後で済む。あ、行きたいなと思ったら躊躇しないで行ける。この間ジョシーを車椅子で列車に運んでからは、ポーター使うと重い荷物もなんとかなる!と気がついた。まあ、面倒も多いですけど。


定住地がないという最大の利点はどこに住んでもいいというところ。でも今年の冬は少しだけ落ち着いて生活したいと思っていますが果たしてどうなるかなー



















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# by umiyuri21 | 2017-10-23 00:04 | 旅行

ちゃんとするって何のこと?

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ようやっとジョシー先生、カンニャクマリへ帰りました。

ちょっと寂しく、ようやっと一人になれたー!という開放感が半々。

彼がここに来たのは先月の23日だから約1ヶ月。私にとって長く濃密なリトリートはが終わりました。自分が感じたこと、学んだことは、少し一人で過ごしながら浸透させていきます。


でも一番の収穫は、彼がただそのままでいいのだと、周囲の人々のオープンなエネルギーから学べたこと。

それまでは何だかんだと、自分が自分自身にするように、ジョシーがそのままでいることより、ちゃんとする事を望んでいたなーと思うのです。

彼は事故の記憶障害のせいもあり、急に怒りだしたり、脈絡のない事をよく言ったりもします。それで家族と喧嘩したり、空気をぶち壊しにすることも多かった。でも、それは元気な頃からそうだったらしいけど。


だから今回もそんな粗相をしてその場を凍りつかせてしまったらどうしようと、ずっとヒヤヒヤしていました。そして実際急に怒る場面もありました。でも、笑ってる彼もいいけど、全身全霊で怒ってる時もいいよねという声が聞こえて来た時に、あ、そうなんだーと気がつきました。いつもニコニコ笑ってなくてもいいんだ。


言うまでもなく、他者に対する要望は、そっくりそのまま自分に対する要望です。自分にOKが出せないことは他者にもOKが出せない。だから人のどんなところにムカつくかで、自分が自分に許せてない事が分かります。


どうやら私はものすごく「ちゃんと」する事を自分にも自分の近くにいる人にも強いてるらしい。だから「ちゃんと」してない人を見ると猛烈にイライラするのです。


「ちゃんと」するって何のことでしょう?

ものすごく曖昧な日本語ですね


何のために「ちゃんと」するんでしょう?

他人に悪く思われないため、不快感を与えないため


郷に入れば郷に従えばじゃないけど、その場の空気が求めている不文律を無視して勝手に気ままに振る舞う人を私はどうしても許せませんでした。

自分だって別に大してちゃんとしてる訳でもないのに。


そして自分自身がその場の雰囲気を無視して勝手に気ままに振舞ったらどうなるんだろう、と考えたら、息が苦しくなるほどあり得ない!という抵抗が起こる。


ということはそこに、明らかに不要なテンションがあるのです。

それが恐怖なのです。


一昨日書いたブログの「言葉」はそれに対するジョシーの答えです。


私が「自分が自分自身に正直に振る舞おうと、考えただけで汗が出る。それが出来るまでに何百光年もかかりそうな気がする。」と言ったら


いいや違うよ、やろうと思ったら指を鳴らすように、パチンってすぐ出来るよ

と答えました。


考えてみたら、自分の人生に多大な影響を与えてくれた人は、ほぼ全員「ちゃんと」してない人でした。(先生を含め)

私は彼ら、彼女たちを敬愛して憧れつつ

そのちゃんとしてなさ具合に、どこかで反発も感じていました。


もしかしたら彼らはみんな私にこう言いたくてやって来たのかも

「ちゃんとしなくてもいいんだよ」

「あなたも、本当はこんな風に自由にやってみたいんでしょ?」

「やってもいいんだよ」


本当にね、ちゃんとするのをやめたら、どうなるんだろうね。

ちょっとやってみる?


という入り口に、私は今立っています。












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# by umiyuri21 | 2017-10-21 01:32 | ヨガ滞在記

美しい夜


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今夜は北インドなら町中が灯りに灯されているのでしょうが、こちらでは通常通りの静かな夜です。でも、ネパール人のスタッフがどうしてもディワリーを祝いたいらしく、今日もわざわざラドゥーを買ってきてくれたし、ささやかながら玄関先に灯りを灯しています。暗闇の中に灯された小さな灯りは、夜を本当に美しく見せてくれます。


ディワリーのお祭りはインドの叙事詩ラーマーヤナに由来します。ラーマ王子が妻のシータと取り戻す物語が元となっているそうですが、ケーララではその元になる箇所が、他のインドとは違うんだそうです。でも、どちらにしろ、闇から光へ向かうお祭りだと言っていました。


光と闇


先日のケーララのヨガリトリートでも、光と闇とというテーマでディスカッションしたら、なかなか盛り上がったし


そのことをブログで書いたら結構反応が良かった。

やっぱり光と闇って気になるテーマですよね。


私もジョシーにいっつもネガティブシンキングって言われるし、

どっちかといえば、明らかに暗い人間だと思います。

でも、あんまりそのことを重大に捉えなくなったかも


闇との付き合いがちょっとずつ分かってきたから、結果的に闇が軽くなってきた


闇は決してネガティブなものではないし

私たちは光だけでは生きられません

光と闇はお互いにお互いを必要としています

どっちにフォーカスしてるかってこと


もちろん、光は生命を生み出し強く、明るい

でも、闇は静けさとくつろぎを与えてくれる

強い太陽の下の木かげのように


中近東の国々では、夜は美しさの象徴です

あなたは私の太陽とは言わない、熱すぎて焼け焦げちゃうから


でも冬が長いヨーロッパの国では太陽が出てると喜んで日光浴します


闇の中で光に焦がれ、光もまた闇を必要としている

それは男と女のように

世界は求め愛し合うために二つに分かれたのかもしれません

お互いを知り、知られるために

世界は究極的にはひとつだとしても

ひとつの世界では自分の顔も見ることができません


世界が世界として現れるために

見つめてくれる眼差しを必要としている


だからふたつになる

でもそれは ひとつなるものの表現でしかありません


闇がなければ光は見えず

光がなければ闇は見えない


光を祝うためには、闇が必要なんです

光があるから、夜がいっそう美しい


暗闇の中で小さなランプの炎たちが、優しく愛しく揺れています







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# by umiyuri21 | 2017-10-20 02:03 | 旅行

言葉

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今日はインドはディワリという大きなお祭りの日ですが、ケーララは全く何もありません、家庭や寺院でささやかにお祝いしているらしいけど、静かなものです。ケーララはホーリーも祝わないし、ヒンドゥー教と言っても文化は独特です。最大のお祭りは8-9月に行われるオーナム祭。


テンプルも木造で日本の神社みたいだし、お祝いの席で着るサリーも白一色。何となくケーララにいると、基本はインドとはいえ日本との共通点を多々感じるのです。


ケーララの伝統家屋は木造で日本家屋に似ている、あまり感情を表に出さず、繊細。教育熱心で平等主義的、そして酒好きで、自殺率も高い。食事もおかゆを食べたり、味付けも他のインド料理に比べたらあっさり目。干した小魚のドライカレーなんてほとんど佃煮。それをおかゆに混ぜて食べたりしている。


だから、ケーララにいるとあんまりインドにいるって感じがしないのです。まあ、タミル語が日本語の起源という説もあるくらいだから、日本と南インドは意外と繋がっているかもしれません。


ジョシー先生は今日こそ帰る予定でしたが、知人が急逝したとのことで、弟のお迎えはまたも来ず、(こういう約束にゆるい所は日本と違うけど)今日もゆるりと先生トークに付き合う一日でした。


先生語録とも、もうすぐしばしのお別れなので

今日は細かいことは記さずただ言葉だけシェアします。



自由とは恐怖がないということ

大概の人は恐怖の中で人生を送っている、

その恐怖がなくなったら 自由だよ


あなたは随分上手くなってきたよ、だから周りにいる人も変わってきたんだ

だからいつか、それは起こる

時間は関係ない、やろうと思ったらすぐできることなんだ


でもそれがいつ起こるか、それがわかる知恵は私にはない


今のあなたは要らないものを被って歩いている、分かるだろう?


あなたは本物になりたいと思っている


でもそれを知らない人は、あなたは本物じゃないと言うかもしれない

見てる人の話は話だけって考えて欲しい

それは気にしないで


本物になったら、本物かどうかが分かる

どうやったら本物になるかただやって下さい


毎日の生活が偽物じゃないって考えたら、本物になる


鏡を磨いて下さい



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# by umiyuri21 | 2017-10-19 00:55 | ヨガ滞在記

全て土に還る

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昨日に引き続き、ケーララの村生活についてもうひとつ。


ジョシーの実家で生活していた数年前…

ジャングルの村での生活は、図らずもエコロジーライフであった。というのも、村ではゴミの収集システムなどはなく、自分で全て処理しないといけなかったから。通常村では犬や牛を飼っていて、食事の余り物は彼らが食べる。私が住んでた家には家畜はいなかったので、なるべく食事は余らないように気をつけていたが、野菜クズなどは木の根元にでも捨てておけば、翌日鶏や犬が食べに来て残りは土に還る。紙ゴミは燃やす。困るのはペットボトルなどの燃えないゴミ。


ジョシーの家族に聞いても、その辺に置いていけばいいと言われたが。ペットボトルは油断するとどんどん増えるので、あまり買わないように心がけていた。水は井戸水をフィルターでろ過した物を飲んでいた。地元の人たちもボトルの水はあまり買わず、自宅でろ過した水を水筒に入れて持ち歩くのが一般的だ。


トイレットペーパーも燃やす手間を省きたかったので、インド式で通した。ティッシュペーパーの類もほとんど使わなかった。そもそもケーララの普通の家庭には、トイレットペーパーもティッシュペーパーも置かれていないから、そういう中で生活しているとだんだんそれが普通になってくる。


家の周りに広がるジャングルはは巨大な浄化装置だった。オーガニックなゴミならジャングルが全て請け負ってくれた。昨日書いたが、ネズミなどの死体は土に埋めたし、家の中の埃や虫の死骸も家の外に捨てていたし、腐った野菜やバナナの皮もゴミ箱に捨てずに窓から外に放り投げていた。紙くず類もジャングルの片隅で焼いた。

その全てをジャングルは吸い込んでいった。時に、人間の身体の身体ですら。


この辺りでは人が亡くなると、自宅の裏庭で火葬をした。

その儀式に何度か参列したことがある。土を浅く掘り、白い布で巻きつけた遺体を置く。そこに牛糞の燃料、乾かした芝のような植物をきっちり重ねていく。最後に火を入れる穴を残して、泥で覆いをかぶせると窯のような状態になる。そこに火をくべてじっくり火葬する。遺体が燃え尽きるまで3日くらいかかる。遺体が灰になった3日後にまた儀式がある。


一度家のすぐお向かいの住人が亡くなって火葬をした時は、遺体を燃やす匂いが夜中ダイレクトに家に入って来て、かなりしんどかった。まさに死んで人は土に還る、それを目の当たりにした。一体どれだけの身体がこのジャングルで燃やされたのだろう。(ちなみに家で火葬をするのはヒンドゥー教の家だけで、クリスチャンはお墓に土葬する。)


ジャングルに吸い込まれた身体は、豊かな実りとなって再生し、私たちの命を繋いでくれる。そしてインドでは、燃やした後に残る灰は、変化しない最後の物質として、とても神聖視されている。


ジャングルの中の生活は本当に生命の大きな循環装置の中にすっぽり包まれているようだった。その中では人間も循環の中で生かされている生命のひとつにすぎない。


全てを飲み込んでしまう深い受容。大地は豊かで艶めかしく、同時に容赦がない。




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# by umiyuri21 | 2017-10-18 01:21 | 旅行

ワイルド・ヴィレッジ・ライフ

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今日は昼間から宿のスタッフたちが、部屋の隅々をひっくり返して掃除してました。どうやら建物の中にネズミが入り込んでテーブルの上のバナナを食い荒らし、客室のベッドの上を走り回って、汚した模様。結局探し回っても退治できず、今夜はネズミ捕りにバナナを仕掛けておくことにしました。


素朴な木製のネズミ捕り。針金に引っかけたバナナをかじると扉が閉まる仕掛けになっています。


このネズミ捕り、数年前にジョシーの実家で暮らしてた頃よく世話になったなー


その家は南国ならではの隙間だらけの作りで、動物やら虫やらが入り放題の家でした。ネズミもよく来てました。アリもものすごく多くて、食物の管理にはいつも細心の注意を払っていました。しかも冷蔵庫なし。


食物は全て蓋つきのコンテナに入れてしっかり蓋を閉める。しかもただ普通に締めるんだと不十分で本当にしっかりきっちり締めないと、アリが隙間から入り込んでしまう。


うっかり食べクズを床に落としたままにしておくと大変だし、虫の死骸一つでアリが行列を作ります。野菜類は戸棚にしまう。でも隙間があって時々ネズミに入られたりもしてました。だからよくネズミ捕りを仕掛けて捕まえていました。


でも捕まえたら捕まえたで、今度はそれを殺さなければならない訳で水に沈めて溺死させ、土の中に埋める。これがまた嫌な作業だった。ある時殺すのが嫌で、そのまか外に置いてたら、猫に惨殺されて、後始末がさらに涙目になったことも。


夜にはネズミやもっと大きな動物が屋根裏を駆け回って、時々おしっこが落ちてきたり。一度は天井が全部はがれて落ちてきたこともあります。


ジョシーの実家はバックウォーターと呼ばれる水郷地帯のど真ん中にあって、それは緑と水に溢れた美しい風景だったけど、低地で水に囲まれていたから、湿気もあって、蚊も多くて、住環境としてはしんどかった。地元の人と話してもあそこは蚊が多いから住みたくないって言ってましたもの。


思い出すとあれはなかなかのワイルドライフだった思います。でも、そのおかげで大概の場所でも大丈夫と思えるようになりました。

ジョシーはよくあの家のことをアシュラムと言ってたけど、確かに相当鍛えられました。


そこは現在、彼が足を悪くして一人暮らしできなくなってからは住む人もなく、放置されたままです。ジャングルの中の家は少し放っておいただけで、すぐに荒れ果ててしまいます。

今年の春に一回ちらっと連れて行ってもらったけど、私がまた着るかもと置いてった服なども、埃と湿気でボロボロになっていました。


今住んでる場所は少し内陸に入ってて、ちょっとだけ丘の上にあるから、蚊も随分少ないし、風通しも良く、本当に楽チンです。もちろんスタッフがいて管理しているからなんでしょうけど。もう、天国みたいなものです。


ネズミ捕りを見ながらつい思い出にふけってしまいました。


果たして、明日ネズミは捕まっているかな?



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# by umiyuri21 | 2017-10-17 01:58 | 旅行

人間はまっくろ

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今日ジョシーは家族の元に帰る予定でしたが、迎えに来るはずの弟に電話したら、今忙しいからもう少しそっちに居させてとのこと。まあ、薄々そうなる予感はしてましたけど。

普段はジョシーの弟がずっと彼の面倒を見ているので、こうしてジョシーが別な場所で過ごしていれば、弟もゆっくり羽伸ばしできます。もう少し休暇を伸ばしたくなったんだろうな。

ということで、今日は日曜で宿のスタッフもほとんどお休み、ゆっくりのんびり過ごしました。


時間があったので、気になっていたことを尋ねてみました。

実は、リトリートのはじめに

「あなたは心の中で喧嘩してるの、それはすっごい悪いなの。もっとハートを開きなさい。」とジョシーに言われて、結構ショックだったこと。


ヨガのレッスンのときもあなたはまだ閉じていると言われたっけ。思い当たる節があったので、指摘されて傷ついたし、その時に感じた痛みが、まだモヤモヤと心の中に残っている。これを一体どうしたらいいのかと


インドにいる間、よく人から考えすぎ、頭を使いすぎと言われます。もっと感じてみなさい、ハートを開きなさい。それを言われる度に、はあ、またですかと悲しい気持ちにもなり、腹も立ちます。


別に自分では感じていない訳じゃないと、思うのです。むしろ感情は深い方ではないかと。だからこそ、それを気取られるのが嫌で、感じている自分をとっさに隠そうとしたり、周囲に合わせて感じることを後回しにしたり、感じたことを分析して収めようとしてしまう。


むしろ、感情を持て余している、という感覚が自分にはあり、だから開いていないと言われると、「ちっ、余計なお世話」と毒付きたくなります。


だからハートを開くと言うのは折に触れて立ち返る、大切なテーマでもあります。


その時に彼はこう言いました。


「痛みは悪くないよ、痛みがなければ道を歩くことはできない。」そして手をボウルの形にして続けました。

「ボウルっていうのは、上を向いていても下を向いていてもボウル。でも、こうやって下を向けていたら仕事しないよ。下を向けている人は、ヒマラヤに行って苦行とかするんだよ。彼らは私たちが人間として生まれて来たことを、受け入れたくない。でも自分がなぜ人間かって分かったら、すごく簡単で楽しいよ。」


なるほどね。


心にチクリとした痛みを感じると、それが嫌で、何とかして取り除こうとします。でも、本当は痛みがないと、私たちは自分自身の心に向き合おうとすらしないかもしれません。

身体も調子がいいと、痛みを感じません、だから平気で無理ができます。痛みや不調が出てくると初めて、自分の身体に目を向けます。どこに無理をしていたか、どうやって身体を扱っていたか。身体の声に耳を傾けようとします。

心も同じです。


痛みは自分の心を知る扉、痛みを真っ向から引き受け、ストラグルする中で、心は成熟するのかもしれません。痛みは悪いことじゃない。ヨガだって痛みの向こう側に突き抜けた時に、身体の新しい地平を発見したりするのだし。


ハートを開くとということは、いつも愛や光に溢れてろって言うんじゃなくて、私たちの全ての感情に開いていること。むしろ光でいようとして無理をするから、心が閉じてしまうのかな。


私たちは天使に生まれて来たんじゃないのにね。


そこで思い出したのが、リトリートの時に、光と闇というテーマでディスカッションした時にジョシー先生が言った言葉。


人間はみんなまっくろなんじゃないんですか?


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# by umiyuri21 | 2017-10-16 01:44 | ヨガ滞在記

私は世界とヨガをする

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ケーララに帰って来てから、ずっと雨がちな天気だ。一日中曇っていて、時々雨がパラつく。涼しいから悪くはないけど、水シャワーがつらいなあ。


一年中暖かいケーララでは、大抵の家庭にはホットシャワーが付いてない。暑い時期はそれでも全然OKだけど、雨季と乾季の合間の季節は意外と冷える。


明日でジョシーもカンニャクマリに帰るので、再び一人の日々になる。ジョシーとお別れはいつも寂しいけど、一人の時間も待ち遠しい。この数週間ずっと忙しかったし、色んな変化もあったので、それをじっくり浸透させるには、少し一人で過ごしたい。


今回は私にとってジョシーのヨガを学びなおす素晴らしい機会になった。自分が感じ取れていなかった部分、分かったつもりでスルーしていた部分を自分の中に再び落とし込む事が出来たと思う。特にここ2年くらいは彼も体調が悪く、まとまってヨガを学ぶ時間がなかったし、そういう状況だから私も他の教室に学びに行ったりして、いつの間にか、彼のヨガのキモの部分から少し離れてしまっていたな、ということも再認識した。


鶴田真由さんも「Silence of India」の中で書かれていたが、ジョシーのヨガクラスではいくつものアーサナをこなしていくもではなく、数ポーズをじっくりと行う。動き自体はとてもシンプルだが、きちんとやるのは意外と大変なのだ。腕の上げ下ろし、立つ、身体を曲げるといった動きの中で、どこまで繊細に感じていけるか。理解が深まればその動きに対する感度も上がって行く。


はっきりいって全然一般向けじゃないし、その時身体ができることの120%くらいを目指そうとするので、かなりキツイし、自分もその動きに対して深い理解がないと教えきれないので、自分がクラスをやるときはなかなか徹底できず、ジョシーヨガの動きを取り入れつつ、色んなアーサナを入れ込んで行くスタイルになっていた。


でも、今回リトリートでのみずかさんのクラスは、かなりジョシーのスタイルを受け継いでいて容赦がなく、泣きそうなほどキツイ瞬間が何度かあり、ああこれだった、と私も思い出した。しかもアーサナに対する感度もかなり繊細だった。自分では流してしまう部分もしっかりと留まり、ここはもっともっと感じとれる部分なんだなーと、いくつも再確認出来た。


昨日、みんながいなくなった後のアヒムサ・ガーデンでジョシーがヨガを教えてくれた。

といっても立って腕を垂直に上げ水平に伸ばして下ろすだけ。

庭の見えるテラスに立って裸足になり、手のひらを合わせて数十センチ離し、呼吸とともに体の中でエネルギーが循環するのを感じなさいと言われた。


しばらく立っていると、私がこの世界から酸素を取り入れ、身体を巡ってまた世界へ返して行くという循環が、実感として感じられるようになってきた。世界と私は分離せずつながっていた。私は世界ともに呼吸していた。その手をしっかり天に伸ばし、そのままゆっくり水平に伸ばす。手のひらを上にし、次にゆっくりと下にし、下ろす。

手のひらを上にして水平に伸ばすとき、身体にエネルギーが注ぎ込まれるのを感じた。手のひらを下にすると、それが大地へ流され深い受容の感覚が起こった。父なるエネルギーと母なるエネルギーが、身体の中でひとつになり、ゆっりくつろいで腕を下ろしていくと、私は世界の中心で世界をかき集めて抱きしめ、全身で世界を感じいた。


私と世界は本当に分け隔てなくひとつなんだ、という歓びと実感が深く浸透していった。

時間にすれば20分くらいの間だったかもしれない、でもそれで十分だった。


ああ、やっぱりヨガは深いなー


本当に学ぶことはまだまだ、まだまだ沢山ある。

初心に返った気持ちです。










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# by umiyuri21 | 2017-10-15 01:17 | ヨガ滞在記

Silence of India

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アルナーチャラから帰って来た翌日…

鶴田真由さんと小林紀晴さんによるインド写真集「Silence of India」が届いた。この本の127ページ目にジョシーの写真が載っている。


10年以上前にジョシーの生徒だった真由さんから、写真展と写真集の撮影の為に南インドに行くがその際にジョシーに会いたいという連絡を受けたのは、ちょうど私が荷物を片付けてインドへ渡航する直前の去年の冬。


彼らがケーララに来る2月に、この「アヒムサ・ガーデン・リトリート」でジョシーと再会する手はずを整えようとしたものの


私がインドへ来た途端にジョシーが右腕を骨折するトラブルがあって、このミーティングが果たしてどうなるのか直前までドキドキだった。しかし今回のリトリートでも同様だが、本番に強いのがジョシー先生。彼らが到着すると、シャキーンとスイッチが入り、

突然のヨガレッスンが始まったりして、とてもとても印象深く、素敵なひと時を過ごせた。そして、来る人のエネルギーに呼応するように、彼の存在が輝く様を目の当たりにして、もっとこういう機会が増えたらいいのになあ、と思った。


このミーティングが潜在的な呼び水となって、今回のリトリートにつながっていったのだろうと思う。


真由さんと紀晴さんのインドの旅はティルバンナーマライから始まり、ハンピヘ行って、ケーララで終わる。ハンピには行ったことはないが、ティルバンナーマライもケーララも私には繋がりが強い場所。本の中では写真とともにお二人が旅の中で綴った文章が交互に掲載されている。その旅の最後にジョシーとの再会の様子と真由さんがジョシーから教わったヨガの話が記されている。


どの写真も、混沌のインドではなく、しんとした奥行きと空間が感じられる写真ばかりだ。騒音に寛大なインドだが、人が沈黙の中にいることにも同じように寛大なのがインドの素晴らしさだと思う。喧騒と深い深い静けさが共存できる、懐の広大さ。


結局、狙ったわけでもないのに、ジョシーのリトリートとこの二人展は同時期の開催になった。そのリトリートも無事に終わり、ティルバンナーマライに行き、帰って来た翌日にこの本が届いた。


ちなみにジョシーをティルバンナーマライに連れて行こうと思ったきっかけも、ちょうどこのSilence of India 告知の動画を見て、無性にアルナーチャラが呼んでいる気がしてしまったから。


だから色んな事がくるりと一巡してこの本が手元に届いた感じがする。


ジョシーがこうして再び日本に紹介されることで、何かが起こるのか

時に手を貸し、時に手放しながら、見守って行こうと思う。


写真展の詳細はこちらです。



























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# by umiyuri21 | 2017-10-14 01:54 | BOOKS


旅とヨガとイラストレーション。世界と身体と脳内をめぐる旅。


by 若山ゆりこ

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