Shakti Mandala 若山ゆりこのブログ
2023-11-03T22:01:01+09:00
umiyuri21
瞑想やヨガ、インド占星術、創作活動、日々の暮らしや旅など、色々綴っております。基本的に長文です。
Excite Blog
ブログ引っ越しました。
http://umiyuri21.exblog.jp/33140638/
2023-11-03T21:56:00+09:00
2023-11-03T22:01:01+09:00
2023-11-03T21:56:52+09:00
umiyuri21
日々の暮らし
最近はずっと忙しくて、ブログもwebサイトの更新もおろそかになりがちでこれはいかん、と一念発起してプチリニューアルをしています。
その流れの中、長年お世話になったエキサイトブログを卒業し自分のHP内でブログを継続していきたいと思います、が!もしかしたらまた引っ越しするかもしれません。
新ブログはこちら!
サイトはジンドゥーで作成しているんですけど、噂通り、ブログがやっぱり使いにくいですねえ…調べてもブログに力を入れたいなら、ワードプレス一択と書いてある。
しかし私はジンドゥーサイトの1年分の維持費を一括して払ったばかりで新たにサーバーを契約すると二重になっちゃうし、ドメインの移行は、多分自力ではできそうもないから、これもお金がかかる
(チャットGPTに聞きながら、頑張ってみようかなあ)ワードプレスも、素敵なテーマはやっぱり有料だったりして初期費用が何気にかかりそうなので、少しこちらで運営しながら様子を見てみようと思います。本格引越し前の仮住まい的な…?
振り返ればこのエキサイトブログも、始めたのが2004年の12月ですからなんと20年近いお付き合いだった!文章量も相当ですよ。もう実に実に色々なことがありました。
そしてハッと気づいたのは、このブログをスタートしたのは前回ラーフとケートゥがリターンした時で今、再びラーフとケートゥが、ネイタルチャートの位置に重なります。ラーフとケートゥって18年で1周するので結構ターニングポイント的な時期だったりします。
で、ここ最近、前回のラーフ/ケートゥリターンの時って何かあったっけと振り返っていたのですが、これといった出来事は思いつきませんでした。
なるほどそうか、ブログを始めた時だったのか〜〜!そしてベリーダンスにハマって、今の画風になっていった頃です。
奇しくも、最近久しぶりに、違ったスタイルで絵を描きたくなって、色々試しているところです。
ラーフとケートゥが自分のクリエイティビティとリンクしているのは意外な発見でした。私のケートゥは10ハウスの「チトラー」ナクシャトラにありチトラーは絵や工芸やデザインと関連しているのでそういうことなのでしょうか。まあ、ブログはラーフって感じもしますけど。
本当に星って不思議です。ブログの引越しも、何年も考えていたのにできず最近急に「やろう!」って思い立ったタイミングがちゃんと星とリンクしているとは。
この勢いに乗って、創作活動に励みます。
このブログはもちろんそのままにしておきますし、過去記事の大切なところは新ブログに少しずつ格納していこうと思います。(時間がかかりそう...)
いうことで新しいブログもどうぞよろしくお願いします。
まだ記事は少ないけど、遊びに来てください。]]>
只今サディサティ中!
http://umiyuri21.exblog.jp/33035524/
2023-07-14T20:33:00+09:00
2023-07-14T20:37:16+09:00
2023-07-14T20:33:35+09:00
umiyuri21
占星術
このブログ記事でサディサティの記事が結構人気のようなので続編、というか自分の体験談を書いてみようと思います。ただいま30年ぶりの、サディサティのピークを迎えております。私の月は水瓶座13度。ナクシャトラはシャタビシャー、今年いっぱいトランジットの土星はシャタビシャーに滞在してします。
先月半ばに、土星は13度付近で一旦停止し、ただいま逆行中。じわじわと6度あたりまで戻り、順行に戻って来年の前半にシャタビシャーから隣のPパードラパダへ。今年はマルっとかなりタイトに月が土星と絡んできます。しかも現在は、火星が対面の獅子座にあって、逆行土星と火星に挟まれる状態です。
さて、そんな私の現在は…やっぱりきてますね、色々と。
去年の末に、ヨガの師がなくなり今年になって元夫が再婚したという知らせ。
元夫とは随分前に離婚していたとはいえ、大きく関わっていた存在を続けて二人、完全に手放すことになり、まさに、もう必要無くなった執着を手放すという出来事が起きました。さらには父の健康問題も...
また、今年の初めに転職をし、福祉関係の仕事についています。今までとは全く畑違いの職場、精神障害を持っている方々の支援という初めての経験に試行錯誤の連続です。パートではありつつも、責任もそれなりにあり、帰宅するとぐったり疲れてぼーっとyoutubeを見てしまう日々。
ちょうど長年勤務された方が退職されるその引き継ぎとして入り、その方が辞めたのが、まさに土星逆行のタイミングっていう。そして肩にのしかかるものが一層重くなり、対面からの火星のアスペクトで風当たりも強くなる...これも土星の「責任」ってテーマですねえ。
土星はこのあと、11月に巡行に戻り、来年の初頭に月の真上を通過します。ここら辺までは試行錯誤の連続が予測されます。土星が月の上を通過するときには、ひと山越えられるといいのだけど。
ともかく2023年に入ってから、人生の景色がガラッと変わってしまいました。
しかし意外なことに、この仕事はなかなか奥が深く、やりがいを感じます。もしかしたら、人をサポートすることで、自分自身を支えているのかもしれませんし、元々心理学とか瞑想とか人の「心」に関わることに興味があったので。とはいえ、がっくり凹んでやっぱり自分には無理かもと、思うことも少なくありません。
それから教会に通っているというのも、自分史的には大きな出来事です。信仰告白式を年末までに終える予定です。この詳細に関してはまたいつか。
実はラオ先生の「星を見つめる聖者たち」という本の中に、人が霊的なイニシエーションを受けるタイミングについてのスキームが述べられており、まるッと今それに当てはまるんですよ。数年前にそのことに気がついて、またインドにでも行くのかなって、当時は思ってました(笑)イニシエーションはイニシエーションでも全く違ってました。でも、洗礼ってまさに霊的イニシエーションですよ。別にそれに寄せた訳ではないんです。恐るべしインド占星術!スピリチュアルというのも土星のテーマの一つです。
まあ、私は元々かなり浮ついた、地に足のつかない社会不適合者なので土星が効いている今のうちに、やれることはしっかりやろうと思っています。
良くも悪くも、心が土星に吸いとられて、ヒンヤリと硬くなっていってそういう重さや硬さ、制限みたいなものに対して、あまり抵抗感がなくなったというか、自ら引き受ける、そういう覚悟が自然に生まれるというか…
逆にキラキラした楽しさを求める気持ちとか、軽やかさ、とか柔軟性は、今はすっかり減少してる気がします。全体的に淡々と黙々と、地味にストイックに生きてます。老いというのも土星のテーマなので、つい老け込んだ考え方になってしまうのかもしれません。
時々我に返り、縮小傾向なものの考え方しかできなくなっていることに気づいて、愕然としたりもします。客観的に今の自分の人生ってどうよ?と問いかけるとザワザワします。そうやって土星に心が押しつぶされてしんどい時には、やっぱり瞑想と祈りは大きな力になります。
瞑想だけでなく、日々の生活に祈りを取り入れると、踏ん張る力が増しました。やってくる外的な運命は変えられないかもしれません。でも、その中でどういう心のあり方でいるかは、選択できます。瞑想というのは、ネガティブな感情の嵐に巻き込まれそうになった時に気がついて立ち止まる力を与えてくれます。祈りは、その嵐の中でも希望の方へ、光の方へと、顔を向ける力になるのです。そしてなんと言っても祈りはどきどき応えてくれるのです!
光へ願いを込めれば祈りとなり、背をむけて闇の中に落ちれば恨みになる。そうやってよろめきながら、つまづきながら、そのつど体勢を立て直しつつ、サディサティを歩んでおります。
さらなる続編は多分冬あたりに
]]>
私という霧の向こうに
http://umiyuri21.exblog.jp/33022781/
2023-07-04T19:13:00+09:00
2023-07-04T19:14:52+09:00
2023-07-04T19:13:04+09:00
umiyuri21
瞑想
瞑想とは心という目に見えない、しかし広大なフィールドを巡る旅なのだと思います。私たちが世界を見るとき、心なしでは物事を知覚し判断することはできません。心は世界を知覚するフィルターのようなもので、どんなフィルターをかけて世界を見ているかで、世界そのものが変わって見えてしまいます。けれどそのフィルターに関して私たちはとても無自覚なのかもしれません。自分が見ているのは間違いなく現実だと思い込んでしまいますが、でも、果たしてそうだろうか?と瞑想の中で、その問いを突きつけられるのです。
瞑想を続けていくと、少しづつ自分の感情や思考の解像度が上がってくるように感じます。まず痛感するのは、自分の心が雑念だらけだということ。その雑念だらけな心に常に振り回されているということ。それは瞑想が上手くいっていないのではなく、自分の心の状態の、大きな気づきです。そこで、もう少し探究してみます。一体その雑念はどこからやってくるんだろう?どうしていつもいつも、同じ感情や価値観に立ち戻ってしまうんだろう?その根っこには何があるんだろう?それは自分自身を深く知る旅路に他なりません。
一般的な、瞑想は無我になることという先入観が先行してしまうと、頭の中が真っ白になればいい、自分を消せばいい、と頑張ってしまい、自分の心の自然な状態を見失ってしまいます。心が動くことは心の本性です、自我もまた生命の本能に根ざしています。本性を押さえつけようとすれば、その勢いはもっと強くなります。自分自身を否定して、乱暴に消しゴムで消そうとすれば、それは痛みをもたらすだけなのです。
まずは柔らかに、気づきの光を当てること。いつも一緒にいる、この「私」とは誰だろう?人はみんな自分のことを四六時中考えています。それは誰よりも自分自身を愛しているからではないでしょうか?自分をもっと知りたいからではないでしょうか?それを頭ごなしに否定するなんてナンセンスです。
自分を知りたいという深い情熱をどんどん突き詰めていったらそこには何が見えるでしょう?自分の中で起こる、あるがままの心の動きを見ることで、忘れていた渇きやもつれが浮かび上がってきます。
私とは、一体誰なのでしょうか?私を特徴づける、名前、国籍、性別、年齢、等々、延々と続くリスト。それをよく検証すれば、どれも私の実体ではなく、分類するためのコンセプトやパーツにすぎません。私の名前は「ゆりこ」だけど、それが明日から「くみこ」に変わったとしても、変わったのは名前だけで私という感覚の本質には変化はないでしょう。私は自分の体が私と世界を分ける境界線だと思っていますが、実際は身体は強固なものではなく、細胞の連なりがあって、原子があって原始と原子の間には隙間があります。だから本当は私の体は隙間だらけで、境界線はずっと広がって、外界と混じり合っているのかもしれません。
パソコンに自分の写真を立ち上げて、それを拡大したり縮小したりしながらみていく、と想像します。どんどん大きくしていくと、それはやがてツブツブのドットになって霞のようになり、縮小していけば単なる小さな点になります。私自身を深く観察し、探究していくと、逆に「私」というフレームが隙間だらけで曖昧になっていくのです。代わりに現れるのは、大きな生命の連鎖の中で、今この瞬間、生かされている命の不思議さです。
私はなぜ、今ここで呼吸しているのでしょうか?この地球の大いなる自然の循環が、酸素を生み出し、ひと呼吸ひと呼吸、呼吸は命を繋ぎます。太陽、星々、海や雲や、大地、植物や動物、何一つ欠けていても、酸素を生み出すことはできません。私を産んだ母、そのまた母、さらにその母という連鎖がなければ、今日私はここに存在していません。ならば私は太陽や星々の一部でもあり、先祖の連なりの流れの一部です。
「私」とは霧のようなコンセプトの集まりかもしれません。でも、確かに生かされている命がここにあります。なんと不思議な驚きでしょうか?日常の中でつい抱いてしまいがちな「何かを成さなければ不完全な私」「ちっぽけで取るに足りない私」などという自我の呻きはその驚きの中で、埃のように飛び散っていきます。
多分その瞬間には、「私」はいないのです。私はいない、でも命はある。無我とはそれを知的理解だけでなく、臓腑に深く落とし込み、我を超えた大きな命として生きている人の境地なのかもしれません。]]>
2023年新作Tシャツ発売中!
http://umiyuri21.exblog.jp/32973983/
2023-05-14T17:58:00+09:00
2023-06-11T22:14:36+09:00
2023-05-14T17:58:38+09:00
umiyuri21
オリジナル雑貨
2023年版は脱インドして原点に戻り、三日月を形どった二人のダンサー。色々な方に着てもらえるといいなあ。
おかげさまで大変好評☺️印刷色は薄い黄色かホワイト。今なら送料無料でお買い上げできます!
ご購入はこちらからどうぞ!!
こちらのスリムフィットTシャツは
ボディラインにフィットし、胸元も深めなのでフェミニンな雰囲気で着こなすことができます。
脇があいているので、汗ジミの心配なし!風通しが良く、ダンスやフィットネス時にお使いになれます。2016年の発売以来、大変ご好評いただいている形です。
そして今年は!毎年お馴染みのスリムフィットタイプに加えて少しワイドなゆったり着れる形も販売いたします!ゆるっと可愛いドルマンT。
横幅ゆったりめ、丈は短く、ワイドパンツやデニムなどによく合います。生地も軽やかで動きやすい。
日常遣いにぴったりです。ご購入はこちらから。
どうぞよろしくお願いいたします。
]]>
オンライン瞑想会再スタートします♪
http://umiyuri21.exblog.jp/32955678/
2023-04-23T18:18:00+09:00
2023-04-23T18:18:40+09:00
2023-04-23T18:18:40+09:00
umiyuri21
瞑想
新緑の眩しい爽やかな季節になってまいりました。みなさまいかがお過ごしでしょうか。去年の末に一旦お休みさせていただいたオンライン瞑想会を再びスタートいたします。
まずは月に一回から、新月の夜に開催していきます。インド占星術的には日本は精神性を表す「ケートゥ」の時期に入りました。その影響なのか、瞑想をはじめとする、自分の内側を見つめ、霊性を高めていくような事柄への興味がじわじわ深まっているように感じます。
内的な探求は、非常に個人的なものですがだからこそ、感じたことをシェアできる場、共に支えあう仲間の存在が大切です。月一度のこの会がそのような場の一端となれば嬉しいです。
テーマを決めて、ちょっとお話し、シェア、瞑想の実践で構成いたします。新月なので、その日の月のナクシャトラの話なども入るかもしれません。
ということで、1回目は「知っているようで知らない瞑想のキホン」瞑想とは傍目から見て、ただ座ってじっとしているだけですが実はさまざまな瞑想法があり、歩いたり、食べたりする瞑想法もあります。究極的には日常の全てが瞑想の機会になり得ますし、むしろそれを目指すための練習が座る瞑想と言えるかもしれません。
瞑想はとかく神秘的なイメージばかりが先行し、実際そういう境地を目指す瞑想もありますがこの会では「より現実に深く根付くための瞑想」をメインテーマにしていきたいと思っています。
まずはお気軽にご参加ください。
【新月の瞑想会】開催日:2023年5月19日(金)時間:20:00~21:30ごろ場所:zoomでのオンライン参加費:1,000円 支払い方法は ゆうちょ銀行かpaypayにて振込お願いいたします。 ゆうちょ銀行 記号10060-2 番号61677831 名義ワカヤマユリコpaypay ID: nonoyuri4321(表示名Yuriko) ご送金後ご一報お願いいたします。
参加希望者はご一報ください。当日のリンクを送ります。
直前の思いつきで飛び込み参加後、代金をお振込みいただいても構いません。お気軽にご参加ください!
追記:昨年休刊したヨガマガジン「Yogini」が、「Yogis」という名前でリニューアルしました。「Yogini」から引き続きエッセイを書かせていただいております!瞑想に関して自由に書いていく予定です。こちらもどうぞよろしく]]>
人生に「なぜ?」と問う
http://umiyuri21.exblog.jp/32954670/
2023-04-22T15:18:00+09:00
2023-04-22T15:27:30+09:00
2023-04-22T15:18:37+09:00
umiyuri21
瞑想
誰でも人生にスタックしたり、世の中のあからさまな不平等を見たりするとき、「なぜ この世界はこんなに不平等なのか?」「なぜ 私の身にこんな酷いことが起こったのか?」と一度は考えたことがあるはずです。
私も様々な哲学、宗教、瞑想、占星術を学ぶ中で、いつもどこかでその答えを探してきたように思います。それぞれの文化、伝統において、必ずなんらかの形でその答えが用意されているのではないでしょうか。
例えば、インド世界では「カルマ」でそれを説明しようとしますね。人生に対する「なぜ?」それは長い間人類が問いかけ続けてきた大きなテーマです。
先日、ある瞑想会の場でその「なぜ?」を問いかけたとき旧約聖書の「ヨブ記」をすすめられました。「ヨブ記」が書かれたのは紀元前5世紀ごろ、聖書の中でも古い部分に当たるそうです。
この書はまさに、運命の理不尽さ不平等さに対する「なぜ?」というテーマに真正面から向き合っています。こんな物語が聖書にあったなんて全く知らずに過ごしてきましたが、とても心を打たれました。
あらすじはこんな感じです。
物語の主人公であるヨブは、ウヅの地に住む豊かな人物であり、7人の息子と3人の娘を持ち、家畜も多く持っていました。ヨブは、その豊かさと信仰心から、神に対する感謝と献身を示していました。
しかしある日、神と天使たちの会合の中で神はヨブの神への献身の深さを讃えました。そこに悪魔が現れて、ヨブが神を敬うのは神が恵みを与えてくれるからで、それを失ったらすぐにその心も失うだろうと言いました。それで神はヨブを試すため、試練にさらすことを決めました。ヨブは、最初に家畜や家財道具を次々と失い、その後は子供たちを失ってしまいます。それでも、ヨブは神への信仰を失わず、さらなる試練に耐え続けます。
やはりヨブは素晴らしい人物だと神が賛美すると、悪魔はすかさず反論します。彼が健康まで失ったらどうなるだろうかと。その後、ヨブは自分自身も重い皮膚病にかかり、肉体的苦しみと戦いながら、ついに自分が神に見捨てられたと思い込むようになっていきます。神に対する恨み、生まれてなどこない方が良かったのだという深い嘆きのなかで、彼は神に「なぜ?」と問いかけ続けるのです。「私はどんな悪いことをしたのだ?なぜ神は信仰心の厚い私にこんな仕打ちをするのか?」
そこにヨブの友達が3人現れて、上から目線で色々言うわけです。それは昔から人間が人生の不平等に対して用意してきた「因果応報」的な価値観でした。ヨブは神が怒るに値する何かをしでかしたに違いないと。こうした議論がヨブ記の中で繰り返されます。
そして最後に神はヨブに語りかけるのです。「私が地の基を据えたとき、あなたはどこにいたのか。それを知っているなら、告げよ。」「あなたは海の源まで行ったことがあるか。深い淵の奥底を歩いたことがあるか。」「あなたは天の掟を知り、その法則を地に据えることができるか。」「あなたは野山羊が子を産む時を知っているか。雌鹿の陣痛の苦しみを見守ったことがあるか。これらが月満ちるのを数え、産むべき時を知ることができるか。」
この複雑な網の目のように絡み合った世界を管理することが1日でもあなたにできるのか?と
ヨブは我に帰り、神への献身に再び打たれ、首を垂れます。神はヨブの信仰心を確かめると、再び祝福を授け、豊かな生活を取り戻すことになります。
ここで物語はおしまいです。
さて、ここで語られる人生の「なぜ?」への答えは「神のなさることは人間には決して計り知れない」ということかもしれません。まあ、神と悪魔がそんな賭けをしていたなんて人間にわかるはずもないですからね。笑
そして、「分からないけれど、人間はその大いなる働きを信頼するしかない」と言うことでもあるのかもしれません。
なぜ太陽や星々が決まったサイクルで動くのか、なぜ春になると植物が芽吹き、秋に実りをもたらすのか渡り鳥はなぜ、自分の還る場所を知っているのかなぜ人間の赤ちゃんは母の胎内で10ヶ月過ごすのか
全ては複雑に絡み合って、相互に依存し合い今ここに私たちが生き、呼吸していると言う現実を人は、個を超えた途方もない視点から、見ることができません。
だから、結局その明確な答えは分かるはずもないのです。例え、それがカルマゆえだったとしても、そのカルマの繋がりの網の目を辿り切ることはできません。
それでも、私たちは太陽が明日も上ることを信頼し春に巻いたタネが秋に実ることを信頼し今日、今ここで自分が呼吸をして生かされていることを信頼するしかない
それだけなのかもしれません。
世の中が不安定なので予言流行りの昨今ではありますが、科学技術、あるいは占星術や神秘的な力で、ある程度のことは分かるかもしれません。でも決して100%にはなり得ないと言うことを、心しておかねばいけないなと思いました。
逆にそれは「分からない自由」を与えてくれるものであり、信頼と共にその自由を生きることの方が、実は大切なんじゃないかなって。]]>
西と東を巡る黙想
http://umiyuri21.exblog.jp/32930777/
2023-03-25T19:18:00+09:00
2023-03-26T17:32:52+09:00
2023-03-25T19:18:58+09:00
umiyuri21
瞑想
さてさて、最近聖書を紐解き、教会通いまでしている私です。新しいことを学び始めると、新しい扉が開いて、世界が違った眼差しで眺められるようになる。しかしながら、新しい「世界を見る目」をインストールすると、当然今まで培ってきた世界観とぶつかる場合もあるわけです。
全てを合わせ飲んでしまうヒンドゥー文化では、キリストも偉大なヨギ、聖仙の1人として尊敬され、受け入れられています。神はどんな呼び名であっても結局はひとつであり、どんな宗教も真理に向かって真摯に道を登れば、一つの頂上に辿り着く。宗教に関係なく、私たちの内に神なるものは存在している。と言った考えがけっこう浸透しています。
インドの聖者たちもキリストは否定しないし、自分たちの言うブラフマン、純粋意識と神は同じもので、キリストも梵我一如に至り、解脱したマスターだと捉えます。
私もそういうインド的な考えにどっぷりハマっていたので、最初は今まで培ってきた東洋的な世界観と聖書の神はそれほど矛盾しないだろうと思っていました。
ところがある時youtube で衝撃的ないくつかの動画を見つけてギョッとしました。それはエンジェルや女神のオラクルカードで有名なドリーン・ヴァーチューの証(あかし)の動画。(証とはクリスチャンが自分の信仰や神に関わる体験を証言する事を言います。)
数多くのオラクルカードを制作し、奇跡のコースの教師でもあり、まさにニューエイジ、スピリチュアルの女王様的存在であったドリーン・ヴァーチューが、突然キリスト教に回心し、過去に自分が制作したもの、教えてきたことが間違いだったと告白する内容。
いやあ、彼女のオラクルカードは、ベリーダンス時代にどれだけお世話になったことか。
彼女が自分が培ってきた土台を全て捨てて、今までやってきた事は間違いでしたと告白していたのは衝撃でした。オラクルカード、占い、チャネリング、女神崇拝、ヨガ、瞑想も悪魔的で間違った霊に繋がってしまうので、非常に危険だと述べるのです。本やカードも捨てた方がいいとまで言っています。
ええっ?! 私、そういう世界にどっぷり浸かってるんですけど…
ニューエイジからキリスト教に回心しました的な動画は他にも結構あって、すっかり煽られてしばらくその手の動画を見まくっていました。(水星:ラーフ:月と煽られやすい時期でしたしね。)
ニューエイジという言葉は日本では聞いたことがない人が多いかもしれませんが、ざっくり言えばスピ系全般と言えるでしょう。話題のChatGPTに問い合わせたところこんな答えが返ってきましたよ。
ニューエイジとは...
ニューエイジ運動は、1960年代後半から1970年代初頭にかけて、西洋社会において急速に広がった精神的な運動です。その起源は、多くの異なる源泉に由来していますが、以下のような要素が重要であると考えられています。
1: 東洋の宗教・哲学の影響:ニューエイジ運動の多くの思想・実践は、東洋の宗教や哲学から影響を受けています。特に、ヨガ、禅、タントラ、アーユルヴェーダなどが重要な影響源となっています。
2: 霊性的な探求:多くの人々が、伝統的な宗教や教義に疑問を抱き、より個人的な霊性的な探求を求めるようになりました。カウンターカルチャーの影響:1960年代の反戦・反権力運動やヒッピー文化などが、ニューエイジ運動の思想・実践に大きな影響を与えました。
3: 科学的な進歩への期待:科学技術の進歩が、人々の世界観を大きく変えたことも、ニューエイジ運動の起源に関連しています。人々は、科学技術がもたらす恩恵に期待しながら、同時に科学的な世界観に疑問を抱き、より包括的で総合的な世界観を求めるようになりました。
以上。
で、なぜそれがキリスト教的にNGなのか?このスティーブン・バンカーズという人の動画に詳しく語られています。簡単に言うと、聖書の創世記に書かれた有名なアダムとエバの物語と、ニューエイジの歴史的な成り立ちとの絡みがその理由です。
内容を具体的に解説すると、かなり長くなるので、興味を持たれた方は動画を見てみて下さい。この方も、元バリバリのニューエイジャーからクリスチャンに回心した方です。ニューエイジの欺瞞を暴く的な動画と沢山配信しています。
いかがでしょうか?
ニューエイジに対してかなり辛辣な内容ですが、多分それは、今世界で同時多発している新保守的な潮流とリンクしているように感じます。日本でも自分たちの伝統文化を見直す動きがありますよね、それと似ているのかなと。いずれにせよ、東洋の思想についての認識はちょっと浅いように思います。
ちなみに「ニューエイジ」という言葉は占星術的な概念から生まれており、こちらも興味深いので次の記事でちょっと取り上げてみようと思います。
そんな経緯から、しばらく色々な資料を探して自分なりに考えていました。まあ、上記の動画の人々の言いたいことは分かるけど、他宗教やその文化に非寛容なのはやっぱり納得できません。
西と東の霊性、世界観の違いについての洞察や対話は、探すと結構見つかりました。特にカトリックの神父さんと仏教僧の対話、ダライラマ法王やティク・ナット・ハン師によるキリスト教についての書籍も出版されていました。インド人神父のアントニー・デ・メロという人も、東洋と西洋の霊性を融合しようと試み、著作を出版しています。
そんな中、柳田敏洋という神父さんによる「キリスト教的ヴィパッサナー瞑想のすすめ」という本に出会いました。これはかなり助けになった!
ヴィパッサナー瞑想を通して神の存在と繋がり、アガペ(無条件の愛)の人へ向かう道のりが、仏教とキリスト教神学の両面から語られています。
ユダヤ、キリスト教では人間の外に絶対的な神が存在しますが、インドの世界観では究極的には人間と神はイコールになります。人間が神となろうとすることは、原理主義的なキリスト教徒にとって悪魔的な驕りとも捉えられ、ここが東洋思想を否定する核のひとつにもなるようです。
これについても絶妙に素晴らしい解説がなされており、めちゃくちゃ腑に落ちました。超乱暴に説明すると、人間=神にはなれませんが、人間が己の神性に開くことはできるのです。人間には神性が宿っているけれど、それはこの世界を創造した神と完全にイコールではないという考えです。そういう意味でのタイトルの「神を追い越さない」なのかなと思いました。
聖書でも神が土で人の形を作り、それに息を吹きかけると人間になったという記述があります。ティク・ナット・ハン師はこの神の息こそ聖霊だと述べています。
こうして見ていくと、西と東の霊性は限りなくエッセンス的には近づいていきます。瞑想を続ける新たなモチベーションにもなりました。
自分たちの考えこそが正しく、他は間違っていると攻撃することはエゴにとってとても心地よいことです。だからこそ私たちは注意深く立ち止まり、気づきと愛を持って向き合う必要があるのだと思います。
この考察はまだしばらく続きそうです。また書きますね。
追記:写真はタミル・ナドゥにあるインドでも最も古い教会(名前失念!)で撮ったもの。柱の部分は2世紀のものだとか。南インドはキリストの12使徒トマスがキリストの死後布教した地と言われております。まさに西と東の霊性が出会う場所。
]]>
思いがけずに
http://umiyuri21.exblog.jp/32908977/
2023-02-28T20:20:00+09:00
2023-02-28T20:36:04+09:00
2023-02-28T20:20:43+09:00
umiyuri21
日々の暮らし
すっかりブログもSNS関連もご無沙汰していました。
前回の記事を書いてから色々な事がバタバタとありまして、仕事もこれまでと全く分野の違う仕事を始めました。
そしてなんと、年末からキリスト教会に通って、聖書を勉強しております。どっぷりインドかぶれだった人が何故?と思われそうですが、正直自分でも驚いています。
実は私の両親はとても敬虔なクリスチャンでしたので、幼い頃は毎週教会に通っていました。でも、中学生になった頃からキリスト教の教えがひどく窮屈に感じて、行くのをやめ、代わりに東洋の思想や哲学をはじめ、オカルト系にも興味を持ち始め、今に至るというわけです。
複雑でシステマティックなインド哲学や仏教の視点から見ると、キリスト教の教えは非常にナイーブに見えました。それでも帰省する際には親孝行の一環として、日曜の礼拝には参加していましたが、説教に心を動かされることはありませんでした。聖書の教えは非理論的で、それをまるっと信じるというのは、宗教に盲従しているようで嫌だったのです。
しかし、宗教に盲従するのは嫌だといいながら、一方で様々なスピリチュアル系の事柄に、手を染めてきました。特に、2022年は振り返ってもかなり切羽詰まって、追い詰められたので、節操をなくしていました。働いていた職場がブラックで、いつも怒鳴られていたこともあってストレスが多く、自尊心は地に堕ちて、かろうじて慈悲の瞑想をして乗り切っている状態。
何とか幸せになりたくて、タガが外れたように、神社仏閣に通ってはご利益を求めたり、お守りをいくつも買ってみたり、ヒーリングの類にも行ったり、果てはマッチングアプリにも登録してみたり。(笑) 要するに少しでも楽になりたくて必死。しかし状況は改善されないばかりかひどくなる一方。今まで、自分ではそこそこ硬派なスピのつもりだったので、ご利益系にはあまり手を出さずにいたのですが、去年は本当に藁にもすがりたくなっていましたね。
そうこうするうちに、視力がガクッと落ちて、周りがかすみ、光が眩しく白く飛んで見えるようになりました。眼科に行っても単なる眼精疲労でしょうと言われるばかり。
心も視界も白く霞んで曇って、先行きが見えない。こんな目の状態で仕事はどうなるのか、この先どうやって生きていったらいいのか、不安感でふらふらヨレヨレ。そんなある日のこと…
ふらりと参拝に出かけた、近所の霊験あらたかなお寺の境内を登っている時に、心の中で声がしたのでした。「どうしてお寺や神社ばかりに行くの?なぜ教会に行かないの?祈るなら、そこがあなたにとって一番近い場所でしょう?」はたと立ち止まって「確かに」と思いました。その時、その声が妙に腑に落ちたのです。
思えばずっとずっと教会に行く以外の、様々なスピリチュアル活動に興味を持ち、それでも、職場のストレスごときで結局こんなにヨレヨレなのだから、自分の原点とも言える場所に、試しに足を運んでみてもいいかもしれないと。だから心の中の声に従うことにしました。ネットで近所の教会を検索して、次の日曜日に教会に行ってみようと計画を立てました。人生初の出来事でした。
その2日後、ヨガの先生であったジョシーが亡くなりました。
彼はヨガを愛するインド人でしたが、ケーララの何代にも渡るキリスト教徒の家系でしたので、インドではよく教会に連れて行ってもらっていました。晩年はずっと修道女だった妹のご縁で修道院で療養していました。最後の頃は神様の話をすることが多くなっていました。
これはさすがに偶然ではないだろうと、とりあえずしばらく教会に通ってみよう、聖書も通読してみようと決心したのです。
不思議なもので、一旦自分で決めて、扉を叩いて中に入ると、聖書の教えはとても神秘的で深かったのです。外側で眺めているのとは全く違う世界が広がっていました。まだまだ勉強中ですが、ものの見え方がずいぶん変わりました。正直いろいろ反転してしまって、まだ整理がつかないので、今はインド占星術の鑑定などはお休みさせていただいております。今後の方向性が定まりましたら、改めてお知らせさせていただきます。
その数週間後、目の不調の原因も分かって治療することができました。仕事も変わって、もう怒鳴られることはなくなり、ストレスも激減しました。何だか一気に生活がまとまって、今は淡々と穏やかな日常を送れております。
まあ、土星が水瓶座に入ったら、フェーズが変わって何か見えてくるだろうとは予測していましたが、まさかこのような形でとは、想像できませんでした。
今後は、これまでとは毛色の違ったネタがこのブログに登場するかと思います。今回も長くなりましたがこの辺で!
]]>
2023年のはじまりに
http://umiyuri21.exblog.jp/32861130/
2023-01-05T21:03:00+09:00
2023-01-05T21:07:51+09:00
2023-01-05T21:03:14+09:00
umiyuri21
占星術
遅ればせながら 2023年あけましておめでとうございます。本年度もどうぞよろしくお願いします。
年始年末はどんな風に過ごしましたでしょうか?私は完全にダラダラして過ごしました。
去年の夏頃から、左目の視力がずいぶん落ちて見えにくくなっていたのですが、それが11月ごろから加速して日常生活も困るほどに。診断は後発性白内障。私は4年前に白内障の手術をしており、術後20%の人に発症する後遺症のようなもので、レーザ治療ですぐ直るとのこと。しかしずいぶん進んでいたようで「かなり見えにくかったでしょう」と言われました。
行きつけの眼科では単に眼精疲労と言われ、原因が分からず悶々としてたので、気はずいぶん楽になったものの、最近またさらに一段進行したっぽく、今はパソコン作業もきついし、本も読めないし、人混みにも出たくないです。そんなんで、年始年末は家で静かに過ごしていました。治療まであと数週間の辛抱です。
2023年は数技術では7の年、支配星はケートゥ。そして2022年12月から日本はケートゥ期に入りましたので、今年はケートゥ色が強い年になるのかもしれません。
引きこもって過ごした私の年始年末もケートゥ的でした。これまで17年間日本は魚座で減衰する水星期を過ごしていました。国のダシャーが変わったからと言って、自分に直接影響はないだろうと思っておりましたが、そうでもない気がしています。
これまでは好奇心に任せて色々トライ&エラーしてましたが、そういう節操のなさに突然嫌気がさして、自分にとって本質的なもの、ルーツに帰りたい、ひとつのものに深くコミットしたいという気持ちになりました。これもケートゥっぽいなあと。みなさまはいかがでしょうか。
2022年末から水星も逆行しているし、色々振り返ったり、何が必要で何が不要か整理するにはいい時期ですね。これは今月19日まで続きます。
ごった煮状態だった情報も研ぎすまされ、世の中がもっと本質的なもの、根源的なものに立ち返っていく空気感になっていくのかな、と感じています。
さて、今月はもっと大きな惑星の動きがあります。1月18日に土星が約3年ぶりに水瓶座に移行します。土星は去年の春に少しの間水瓶座に移動したものの、すぐに山羊座に戻り、今もまだ山羊座にあります。
土星が山羊座に入った2022年の冬はちょうどコロナが広がって行った時期と一致しているので、この土星の水瓶座入りと共に、収束へ向かうだろうというのが大方の予測ですが、感染者はまだ増えていますね…治療薬が浸透して恐るるに足りないものになっていくのを願うばかりです。土星はインド占星術では最もゆっくり動く惑星ですから、土星の惑星移動は大きな節目です。
さらに今年の主な星の動きを紹介いたしますと5月に1年木星が牡羊座へ移動して、ラーフとコンジャンクションしてグルチャンダラヨガを形成。12月に1年半ぶりにラーフケートゥ軸が魚座乙女座軸へ移動。
主要惑星が全部移動するので、来年の今頃は、今と様相がずいぶん変わっているのだろうと思います。もちろんインド占星術では初めにダシャーありきが鉄則ですが。こうしたゆっくり動く星の移動は、やはり節目にはなりますね。
個人的にもこれらのトランジットとネイタルチャートが結構しっかり絡むので、今年は私にとっても変わり目の年になるのかも。ダシャーも水星期の終わりに差し掛かって、思いがけないところに着地していきそうな予感が。今年の終わりには久しぶりにインドに行けたらいいなあ。
新年に、一年の展望を俯瞰してみたい方インド占星術の鑑定を受け付けております。https://www.yurikowakayama.com/menu-1/jyotish/
また、パンチャンガカレンダーも発売中!こちらの通販サイトでも取扱中です。ガラムガラム https://garam2.com/view/item/000000004650ティラキタ https://tirakita.com/id_clen/id_clen2023_1.shtml…
シータラーマ https://sitarama.jp/?pid=171670728
2023年がみなさまにとって、実り多き年でありますように。
]]>
パンチャンガ2023発売! Q&A
http://umiyuri21.exblog.jp/32830535/
2022-12-02T18:10:00+09:00
2022-12-02T18:10:50+09:00
2022-12-02T18:10:50+09:00
umiyuri21
占星術
パンチャンガ手帳2023年度版が発売されました!今年は月の満ち欠けとナクシャトラを記載した卓上カレンダーも登場です。
2023年パンチャンガ手帳 3,000円卓上カレンダー 1,500円セットで4,000円
送料は370円ご希望の方はコンタクトフォームよりご連絡ください。
さて、少しづつ認知が広まってきた(広めていきたい)パンチャンガ、今回はパンチャンガとは何か、どんな風に使ったら良いかをQ&A式で解説します。
パンチャンガって何?
パンチャンガとは、インド式の月の暦のことです。パンチャ「5つの」アンガ「足」という意味。ちょうど日本における高島暦のようなもので、その日の吉凶を占い、祭事や冠婚葬祭を決める際には欠かせません。
ホロスコープはその人の生まれた瞬間の星の配置で、そのキャラクターやテーマ、どの時期にどんな出来事がクローズアップされるかを見ていきます。
一方パンチャンガはその日、その時間の吉凶を占うものです。大筋の運命は変えられないとしても、自分の意思で何とか調整できる部分を見ていくわけです。
手帳には何が記載されているのですか?
パンチャンガは次の5つの要素によって構成されています。
1 ナクシャトラ (nakshatra 二十七宿) 2 ティティ (tithi) 3 ヴァーラ (vaara 曜日) 4 ヨーガ (yoga 月と太陽の黄経を足した数値を13度1/3で割る) 5 カラナ (karana ティティを前半と後半に二等分した時間単位)
2023年度版はさらに、日の出日の入りの時間、月が運行する星座、ホラ(時間の吉凶)、その週のトランジット、ナクシャトラの相性を示すタラ、が記載されており、より充実した内容になっております。
ただその日の吉凶だけを見るのですか?
この5つの指標それぞれに、性質や適した行為が割り当てられています。一番シンプルなのは、下弦の月に行動を計画し、上弦の月に行動に移すというサイクル。また、曜日の持つ性質に沿ってみること。例えば金曜日なら何か華やかなこと、土曜日ならカルマヨガ的な行為、などなど。さらにナクシャトラや、ティティの性質を組み合わせながら、行動の参考にしてください。(それぞれ指標の適した行為や性質は手帳に記載されております。)
この中で最も重要なものは27つのナクシャトラで、これは個人のチャートを読む際にも不可欠な要素です。
ナクシャトラって何ですか?
白道360°を27分割、13°20‘ごとに区切った概念です。牡羊座0度のアシュビニーを始まりとして、魚座16°40’のレーバティーが終点。ひとつの星座に2.5ナクシャトラが配置されます。約24時間ごとに月はナクシャトラを移動するため、月宿とも呼ばれます。非常に古くからインド占星術で用いられてきました。
それぞれのナクシャトラには、支配星、シンボル、神話、支配神、動物、グナ、色、方角、性質、方向などの象意が附帯されており、深淵な世界観、多層的な構造を形成しています。
生まれた時の月のナクシャトラをジャンマーナクシャトラと呼び、その支配星がヴィムショッタリーダシャーのスタートポイントになります。また結婚の相性を見る際には、ナクシャトラの相性はマスト。結婚式もジャンマーナクシャトラとその日の相性によって選定されています。
このナクシャトラを用いた占術は中国を経由して、空海によって宿曜占星術、密教占星術として日本にもたらされました。ただ現在の宿曜占星術は27室の概念は同じであるものの、算出方法も異なり、インドのナクシャトラシステムとは異なっています。
チェックポイントが色々あり過ぎて混乱するのですが...
もちろん全ての指標がベストを示す日などほとんどありませんし、毎日これを見て行動を決めていたら、中世の貴族みたいに行動が制限されてしまいますので、ここぞという勝負時以外は、毎日の月や星のサイクルを感じながら、何となーくその日の象意に沿った事を行って行けばいいのかなと思います。
全てが良い日を選ぶというよりは、「大切なことをする日には悪い日を避ける」、というイメージいると使いやすいと思います。
具体的にどんな風に使っていますか?
例えば、私自身の使い方としては…
歯医者に行くのは木曜より火曜かなーとか楽しい約束は金曜日、あるいは華やかなナクシャトラの日月の相性が悪い日は無理しない月がジャンマーナクシャトラに戻ってくる日は、ムーンリターンとして、サイクルの区切りとして振り返る。(実際そのような事が起こりやすい)
ここにさらにダシャーやトランジットや加味しながら、少し先の展望を予測したり、日々の計画を立てているという感じです。今回のパンチャンガ手帳にはトランジット運行表もついておりますので、個人のチャート以外のユニバーサルな星の動きを見るには必携の内容です。
個人的には、パンチャンガを見て何もかも決めようとすると、人生がとても窮屈になってしまう気がします。ですから、惑星のエネルギーをより微細に感じて、流れに乗りやすくする為のツールに使っています。惑星も私たちの身体もヴァイブレーションです。意識を向ける事で、それにリンクしやすくなります。
一年の宇宙の天気図として使ってください。
今私たちは大きな変動の中にあって、それぞれが先の見えない思いを、多かれ少なかれ感じているのではないでしょうか?2023年パンチャンガで宇宙の流れに感じながら、流れに乗って軽やかに生きてまいりましょう。
]]>
RIP そしてどこまでも自由に!
http://umiyuri21.exblog.jp/32825592/
2022-11-27T16:37:00+09:00
2022-11-27T16:50:55+09:00
2022-11-27T16:37:14+09:00
umiyuri21
ヨガ
敬愛するヨガの師 ジョシーことJose Vallicherry
が11月26日 インド時間12:07 に息を引き取りました。死因は心臓発作でした。
ヨガにとどまらず、大切なことを沢山教えてくれた、私にとってかけがえのない存在でした。精神的な支えを失った喪失感は大きいですが、ここ数年は事故の後遺症で身体がずいぶん不自由な状態でしたから、自由になれてきっと彼は嬉しいだろうなという気がしています。
最後に会ったのは2018年の3月、それ以降は、私も身辺の変化でインドにいく余裕はなく、そのうちコロナ禍になってしまい、来年こそは会いに行けたらいいなと思っていました。
突然の知らせに動揺しましたが、振り返ればサインは色々ありました。ひとつひとつ書いてもキリがないですが…
その日は普段は朝食前に済ませるヨガを、何故だかじっくり行いたくなり、(いつもご飯の前なので、お腹が空いてサッと済ませてしまいがち) 昼食後、2時間経っての15時過ぎからヨガマットを敷いて始めました。
実はここ数ヶ月、座り仕事のせいか急激に左股関節が硬くなってしまい、全く倒れない状態になっていました。ところが2、3日前からまた急に柔らかくなって来て、その日はジョシーのフェイバリットで一番最初に特訓されたアーサナを、ずいぶん久しぶりに、出来そうな感じになりました。(完全ではないですが、ひさびさにお腹を床につけることができた)
長いこと強張っていた左半身にスーッとエネルギーが通って、温かな喜びの感覚がふわーッと広がっていきました。ああ、身体って不思議だなあと、心地よくヨガを終えて、しばらくすると、ジョシーが身体を離れたという知らせを受けました。
そっか、ジョシー、一緒にヨガやってくれたんだな。ととっさに思いました。ジョシーとヨガをやると普段できないポーズもできてしまう、とよく言われていましたから。ヨガをちゃんと続けなさい、と置き土産されたようにも感じました。
実のところ、悪かったのは股関節だけでなく、数ヶ月前から心身が非常に不安定な状態が続いて、この1ヶ月は特に酷かったのです。ヨガ中に理由もなく涙が溢れてくることも何度かありました。行きつけの鍼灸の先生には少し鬱っぽくなっているけど、もしかしたら世の中の悲しみを受け取っちゃってるのかもしれないね、と言われたりもしました。
多分世の中の悲しみじゃなく、来るべき悲しみを身体が先取りして感じていたのでしょう。身体って本当に、マインドや感情よりずっと知性が深いんだなと思います。
そんなこんなで、人生にスタックした状態で、かなり落ちていました。何かにすがりたくて、ちょうどジョシーが亡くなる2日前に、近隣の弘明寺に出かけ、おみくじを引いたところ、その漢詩の中にこんな一句がありました。
「彼の地からやって来た名のある僧が、徳を授けて、今帰路につこうとしている。」
弘明寺ってインドとご縁のあるお寺のようなので、彼の地とはきっとインドなんじゃないかと感じて、妙に引っかかったのですが...
今読めばそのままじゃないかと…
死とは本当に不思議なものだと思います。自分にとってつながりが深い人が亡くなる時、いつもとは違う時空の扉が大きく開く、そんなふうに感じます。母が亡くなった時もそうでした。
肉体に収縮されていた生命エネルギーが一気に解放されるのだから、かなりの強度のエネルギーが放出されるはずです。
もしもその人が スピリチュアルな学びをしていて、死をネガティブな現象として捉えていなければ、大いなる解放の瞬間です。チベット死者の書ではそれを貴重な解脱の機会と捉えているほどです。
私にとっては深く悲しい死ですが、不自由な身体の状態で長く生活していたジョシーのことを思うと、ただただ「良かったね、やっと自由になったね。」という気持ちが湧き上がってきます。本人は今生でこの世は卒業したいと常々言ってましたが、よりパワーアップしてヨガを教えに、戻って来てほしいな。
多分現実的な悲しみは、これからじわじわとやってくるのかもしれませんが…今はまだ放心しています。
とりあえず、ジョシーお疲れ様(ずっと介護していた彼の家族も)
そして本当にありがとう
自由にどこまでも飛んでいって下さい。
ご冥福を心よりお祈りいたします。
(写真は2018年3月、私がインドを去る直前に撮ったものです。)
]]>
サディサティ 土星がもたらす試練 その3
http://umiyuri21.exblog.jp/32772583/
2022-10-02T17:07:00+09:00
2022-10-02T22:05:30+09:00
2022-10-02T17:07:30+09:00
umiyuri21
占星術
こんにちは、ゆりこです。3回にわたってサディサティに関する動画の翻訳をしてきました。今回が最終回です。後半は私自身のサディサティの経験を書いてみました。元動画は最後に貼っています。
では 早速翻訳
サディサティ 土星がもたらす試練 その3
さて、サディサティを体験する時期としては以下の3つが考えられます。1:子供時代 2:青年時代3:中高年時代
1について、もしあなたが16歳以下なら、聖典では土星のカルマを親がになってくれると言われています。16歳をすぎているなら、私たちは自分のアクションに責任をと取らなければなりません。このサディサティはあなたを成熟させる重要なものです、土星の物質的な側面がもたらされるでしょう。もちろんスピリチュアルな側面もありますが、メインは物質的なものです。キャリアやパートナーシップの変化やブレークスルーをもたらします。これは人生の交差点、ターニングポイントです。
でも後半生のサディサティに対して人は多くの恐れを持ちます。これには言い伝えがあって、1回目のサディサティでは祖父母が亡くなり、2回目では父母が、3回目では自分が亡くなるというものです。でも私は3回のサディサティを経験していますが、家族は元気ですし、私も生きています。ここで言いたいのは、人が人生を去っていくのはただその時が来たというだけです。
後半生のサディサティは偉大な恩恵です。もし60代~70代でサディサティを迎えるなら素晴らしい恵みです。あなたの心は輝くでしょう。後半生のサディサティではスピリチュアルな側面がもたらされます。あなたのマーヤ(幻想)の覆いは取り除かれ、この物質世界の本質をクリアに見抜くことができるでしょう。この時期はスピリチュアルな面でステージを上がることができます。
もしも、この時期のスピリチュアルな成長の機会を逃し、マーヤの覆いを取り外すことができなければ人によっては空虚さを感じ、うつ状態が強くなる人もいます。
対処法
伝統的な土星に対する基本の対処法貧しい人、歳をとった人、動物などへの施し。土曜日の断食マントラ カルマをなだめ心を強くするのに非常に役立ちます。私は「 Maha Mantra」をおすすめしますが、あなたがしっくりくるものなら何でもOKです。土星のマントラも良いでしょう。
私がオススメするのは古典を読むことです。「バガヴァット・ギーター」は素晴らしいガイドになるでしょう。アルジュンは完全に混乱し悲嘆に暮れていますが、偉大なクリシュナがそれを払拭してくれます。この物語は私たちのサディサティの中で経験する恐怖や混乱にどう対処するかの良きお手本になるはずです。
最後に私はシンデレラのストーリーを紹介します。これは役に立つと思います。シンデレラの物語は間違いなくサディサティ中の出来事ね、加えて最悪のダシャーだったのかもしれません(笑)彼女は両親を失い、3人の義理の姉の元で暮らし、ひどい生活を強いられます。奴隷同然で、キッチンで眠り、日々淡々を仕事をこなす。姉たちは彼女に休みも与えず、日々ただ働きます。自由もなく囚人同様。その生活の中で、彼女は何をしたでしょう?「ざけんな!あいつらぶっ殺す!」と悪態をついたり、逃亡を企てたり、復習すべくターミネーターのごとく武器を備蓄したり姉妹を粉々にしようと企てたりしませんよね。
こういう、牡羊座の火星っぽい行動、私がそうだからよくわかるんだけど。(笑)彼女がフリーダムファイターのごとく戦って、そこで王子様に出会っても同じ結末にはならなかったと思うのです。こうした行動に駆り立てるエネルギー、暴力、怒りや堪え性のなさは火星の領域ですが、サディサティに適しません。もちろん、虐待に対して黙っているというのではなく、それはまた別の話です。
シンデレラのしたことは何でしょう?彼女は寛容でモラルに従って行動しました。日々の義務にも不満を言わずに向き合いました。そして何が起こったか?妖精が現れて、かぼちゃの馬車を用意してくれて、そこで王子様に出会って、幸せに、お金持ちになりました。サディサティにおいて、モラルは素晴らしい価値を得るのです。結局シンデレラはこの状況から逃れるために、指一本動かしませんでしたが、この上ない結果を得ることができたのです。
(訳注:火星がムーラトリコーナになる牡羊座で、土星は減衰するので、火星的なアグレッシブな対処の仕方はサディサティには適さないということを、言いたいのかなと思いました。多分西洋では困難に対し火星的な対処が推奨される、という事情もあるのかもしれません。)
以上翻訳終わり。動画はこの後、各月のサインごとのサディサティの解説に入りますが、ここは割愛いたします。
******************************************************************************************************************
ここから感想です。
現在私は2回目のサディサティ、第1段階の終わりに立っています。月から12ハウス目の時期の解説は、かなりそのままで、あまりにジャストフィットだったので、感心して、この動画を紹介しようと思ったのでした。この7年半の難しい時期が、大きな変容のプロセスだと、意識するだけで、過ごし方が随分変わってくるのではと思います。
「何か大きく変化させたいのに、何をどう変化させていいかわからない」という焦燥感。この2年半感じ続けてきたことは、これにつきますね。ちょうど2020年のはじめに土星は山羊座入りして、同時にパンデミックの波が世界に広がっていきました。同時に働いていた職場が閉店し、最初の一年はほとんど家に篭って、人に会うのはオンラインのみ、という自宅リトリートみたいな生活でした。いかにも月から12ハウス目の土星らしい時期でした。
徐々に焦りを感じ始め、職探しをしたものの上手くいかず。このままではいかん!と2021年が明けてから、思い切って職業訓練校でデザインを学ぶことにしました。横浜の自宅から2時間弱かけての通学、夕方クラスだったので朝はゆっくりできましたが、帰宅は夜中の11時で、課題も結構あって。国からお金を支給してもらって通っていたので、遅刻や欠席は許されず、結局無遅刻無欠席で半年頑張りました。
学校終了後は、新しい職場に勤務決まり、幸い学校で学んだことを活かせる職場で、スキルアップにも繋がり、良い経験をさせていただきました。が、職場環境が一筋縄ではいかず、そこはかなり苦労しました。自分の弱い部分、至らない部分を浮き彫りにされ突かれるような出来事が続き、精神的に追い詰められて、アップダウンが激しかったなあ。おかげで、多少打たれ慣れてきたかもしれません。
と、結構この解説そのままのことが起こっているわけですよ。何かこう1年ごとにプロセスがじわじわ深まっている感じがしますが、まだ3分の1過ぎただけです。
これは1回目のサディサティの時も同じでした。最初の段階の何とも言えない焦り、進みたくても進めないという苛立ちをとてもよく覚えています。
当時は新卒でとある会社に入社したものの、全然向いてない事務仕事で、悶々としながら通勤していました。絵を描きたかったけど、美大に入り損ねたことがコンプレックスで、絵を描く自信もまだなくて、とりあえずフランス語は頑張っていたな。翻訳の仕事がしたい、なんて考えていたっけ。
第2段階のピーク時に結婚をし、まさに土星の物質的な側面(責任と安定)がもたらされた時期でした。ところがなぜか第3段階で仕事を辞めてバックパッカーになって旅に出てしまいました。この旅は第3段階丸ごと続きます。社会的な責務を完全に放擲したこの行動が、サディサティにふさわしかったのかどうか微妙ですが...。ダシャーは土星-水星期で私の場合D4で土星-水星 4H-12Hの星座交換なのでその象意が強く出た気もします。旅は楽しかったけれど、迷いが多い時でもありました。ちょうどサターンリターンとも重なっていて、ターニングポイントだったのは明らかです。
旅から戻ったのは、まさに土星が月から3ハウス目に入った時。この旅の中での経験や出会った人からの影響で、帰国してから絵の勉強を始める決意がつきました。そこからもしばらく奮闘が続くのですが、振り返ると第1段階の最初の地点の私と、第3段階の終わりに立ってる私の間に長いトンネルがあって、そこを抜けると、人生が全然違う風景になっていた感があります。その後も色々な変化はあったけれど、全てこのサディサティを抜けた時の自分を起点にしているような。
そして再び新しいトンネルに入った段階な訳です。その向こうに一体どんな風景が見えるのでしょう?自分のサディサティが終わる2028年には、そもそも世の中自体が相当変化しているはずです。その変化とともにマーヤのヴェールを否が応でも剥がされるのかと思うと、ちょっと怖いです。
結局土星は制限とハードワークを与えることで、本来の自分に目覚めさせる役割をになっているのかもしれません。若い時はこの物質的な世界で、自分として生きることを教え、後半生では物質的なマーヤ(幻想)のヴェールを剥ぎ取って、より深く本質的な自己に目覚めることを促す。そして幻想のヴェールが剥ぎ取られるような出来事を、この世的には喪失とか悲しみと呼ぶのでしょう。
来年1月には土星は水瓶座に移動します。射手座の月の方は、サディサティ終了!お疲れ様でした。山羊座は最終段階に、水瓶座はピーク。そして魚座の月の方は、サディサティに突入です。
みなさまも、過去のご自身のサディサティの経験を振り返ってみてください。きっと思いがけない気づきや、自分が歩んできた変容のプロセスを再発見されるかと思います。
今回も長文失礼しました!最後まで読んでくれてありがとうございます。
自分がサディサティかどうか知りたい人はこちらを
もっと詳しく知りたい方はインド占星術鑑定を承っております!
]]>
サディサティ 土星がもたらす試練 その2
http://umiyuri21.exblog.jp/32772564/
2022-10-02T16:43:00+09:00
2022-10-02T16:51:45+09:00
2022-10-02T16:43:24+09:00
umiyuri21
占星術
前回から随分時間がたってしまいましたが、サディサティの解説第2弾です。かなり長くなったので、こちらも2回目と3回目に分割します。
分かりにくい箇所、繰り返しや冗長な部分は省いたり意訳しています。多少間違っている部分もありそうですが、大筋は大丈夫かと。
では 以下翻訳
サディサティ 土星がもたらす試練 その2
では実際サディサティで何が起こるか、どう準備し、どう向き合ったら良いのかを見て生きましょう。まずはサディサティ中に起こる5つの事柄を解説します。
1:集中2:カルマ的な借りを支払う3:見返りがすぐに期待できないことに取り組まざるを得ない。4:義務的な事柄が強調される5:執着を手放す
1についてはすでに話しました。
2について。私たちはこの人生の借りを支払うことになるわけですが、私たちが社会に出る前にしてきたことを振り返ると、この困難を経験している理由がよく理解できるかもしれません。
このサディサティにそなえて、もっとも重要なことは、正しい行為によってカルマを落ち着かせることにつきます。私たちが支払うべきカルマの借りがあるのは明らかです。様々なダシャーの期間中、私たちはしばしば自分が知る由もない、過去のカルマを受け取ることがあります。しかし土星がもたらすカルマのインパクトをしっかり見れば、私たちは実際、どんなことをすべきでなかったか、知ることになります。もし私たちが成長しているなら、それを二度と行わないように赦しを求めるでしょう。
これは過去世だけの問題ではありません。今生からその借りを支払うことで、サディサティがもたらす困難さが落ち着いていくのです。もし、サディサティ中に何かが起こったなら、この出来事を引き起こす何かを自分はしたのだろうか、と少し振り返ってみてください。重々しくなりすぎず、ただ責任感を持つことです。
3について。
見返りがすぐに期待できないことに取り組まざるを得ない。だからこそ私たちは、サディサティがハードに感じられる訳ですが...全てが重い責任としてのしかかり、ハードワークを要求されます。そして何をしたとしても一歩進んで二歩下がる、前に進んでは壁にぶつかる、ということが当たり前に起こります。そうであっても進み続けるしかないのです。
自分の義務を遂行し、短期間の見返りを期待しない。長い目で見れば、その働きはゆっくりと確実に、あなたを成功に導いてくれるでしょう。土星はただしっかりと、あなたに義務と向き合って欲しいのです。
もしこの時期、パートナーを騙したりしたら、確実に転落するでしょう。もしあなたが、犯罪的な傾向を持っていたら(そうでないことを願います。)それらの恐ろしい行為を通して、サディサティから逃れることはできません。むしろそれらはこっちに向かってきています!ちょっとばかり楽になろうと、ズルをして抜け道を選ぼうとすれば、それは確実に返ってきます。
4について。
サディサティ中の1番の敵は、堪え性がないことと怒りです。苛立ち、怒りっぽく、物事を無理やり前に推し進めようとしたり、他者や自分自身に不寛容だったりした場合は、必ず手痛いペイバック、カルマ的な借りを支払うことになるでしょう。
忍耐強く、義務を遂行する、とても退屈に聞こえるかもしれません。しかしそれこそサディサティの間私たちを安全に保つ秘訣なのです。
そういう意味で、ある特定の月星座及びアセンダントが、サディサティをスムーズに過ごせると言われたりもしますが、それはあまり正しくありません。山羊座、水瓶座、天秤座はハードワークに耐えうる性質を持っており、多少はうまく対処できるかもしれません。しかし決して楽な時期にはなり得ません。私たち全てが自分の良き特質を成長させる機会になります。それこそが土星が私たちに望むことなのです。そして最終的に「ロード・シャニ」は執着を手放させるのです。
5について。
しばしば、人々はサディサティの期間に家族や親族かなくなるのではないかと恐れます。しかし現実は、サディサティの間になくなる人もいれば、それ以外の期間に亡くなる場合もあり、人は時期が来れば人生から立ち去っていくのです。
いずれにせよ、友達であったりパートナーであったり、人生の中で役割を終えたものが、土星によって取り除かれるとも言えます。明らかなのは、私たちにとって、仕えるべき人、忠実であるべき人の命を土星は絶対に守ろうとします。土星が取り除きたいものは、私たちの人生の中で、執着だけを残し、時間を無駄にしているものなのです。
サディサティ3つの段階さて、サディサティには3つの段階があります。
第1段階 土星が月のサインから12ハウス目に来る時
土星があなたの月のサインの12ハウス目に入る時、それぞれの月のサインによって様子が変わりますが、全体的に「調整」する時期となるでしょう。12ハウスは、海外旅行の象意とともに、潜在意識を表します。ですので、精神的に「落ち着きのなさ」を感じやすいでしょう。この2年半は、土星が月の背後に控え、潜在意識に影響を及ぼします。あなたはとても強く「苛立ち、落ち着かない感じ」を経験するかもしれません。
その影響で、実際に海外に赴く人も少なくありません。全体的に動きたい、移動したいという衝動が強く現れます。なぜでしょうか? この時、土星は海外旅行を表す9ハウス目に10番目のアスペクトをしています。スピリチュアルな探求の旅に出たくなるかもしれません。
あなたは何かがシフトしようとしているけれど、それが何なのか,まだ確信が持てません。何かははっきりしないけれど、今いる場所では幸せではない感じがします。家族と一緒にいることに対して、強い欲求不満を感じます。家族のサークルの中にいるのが居心地悪く、調和を欠いているように感じます。
さらに経済状況も非常に芳しくありません。あなたは経済的な安定を強く求めます。そして健康状態ですが、あなたはこの時非常に批判的になっているので、特に悪いところがなくても、注意深くなり、健康志向になるでしょう。何を食べたらいいか、どんなエクササイズをしたら良いか、気にし始めます。そういう様々なこと全てが、意識に強い影響を及ぼします。
何よりも一番大きな特徴は何かが「変化」しようとしているという感覚、でも何が変わろうとしているのかはクリアではないという感覚です。土星が幸運の9ハウスにアスペクトを投げけることによって、サディサティにあなたが期待することより、もっと多くの扉が開かれているように感じるのです。でも、注意してください!土星があなたをテストしていますよ!
土星が月の12ハウス目に入る、サディサティの第1段階は、 試用期間のようなものです。チャンスや誘惑がやってきますが、どうか経済的にも安易な道は選ばないでください。どうか倫理的になってモラルを忘れないで行動してください。様々な誘惑が、あなたのホロスコープの12ハウス(月からもラグナからも)の状態に則してやってくるでしょう。土星があなたを見ています!
もしも注意を欠いていたら、土星が月の真上にやってきた時に、がつんとその見返りを受けるでしょう。そう、これは警報でもあります。海外旅行に出たくなったり、遠くへ移動したくなったり、全ての扉が開き、沢山の可能性を感じるかもしれません。しかしこの時期すべきことは道徳心と倫理感を忘れないこと。精神的で哲学的な側面では、この時期はとても良い時期です。自分の内側と向き合うこと、内省的になるには最適です。また、仕事場でのいざこざ、葛藤などもこの時期よく見られます。
第2段階 土星が月のサインに来る時
ではいよいよ、第2段階 土星が月のサインに入る時期、サディサティのピークについて。この2年半、何が起こるのでしょうか。それは単にトランジットの土星がネイタルの月とコンジャンクトする現象ではありません。この点は西洋占星術の解釈とは全く違っています。彼らはトランジットの土星がネイタルの月と重なるポイントだけにフォーカスし、他の5年間のことは忘れています。
もちろん人生の中で多くのイベントが起こりますが、これは全体的なプロセスなのです。あなたは非常に研ぎ澄まされ、この時起こるイベントは7年半のプロセス全体とリンクしています。この時期、トランジットの土星は、ネイタルの月とハードなアスペクトをとります。それによって、鬱っぽく抑圧的な感情を感じ、家庭の問題や、仕事の問題やあらゆることに対処を迫られ、どんよりと不安を感じるかもしれません。しかしそれは、あなたが完全に変容していく、7年半のプロセスの一部です。
これを考慮に入れて、あなたは何を経験するでしょうか?もちろん、心はどんよりと重く、抑圧的で、批判的になるでしょう。他の人への批判的な感情も非常に強くなりますから注意してください。あなたはとても強く兄弟姉妹やパートナー、同僚などに対して不満を感じるかもしれません。ときには全てに対してそうかもしれません。(それはチャートによります。)さらに自分自身への批判も強くなる可能性もあります。鋭い自己批判を感じて、一層重々しくなります。このようなとき、中庸であることは重要です。
あなたは、「変化したい」という大きな衝動を抱えていますが、それができません。土星はあなたの上に乗って今や最大限に、ウインカーを点滅させます。あなたは前を見て、ただ進むしかありません。仕事先でも、難しい案件に対処したり、同僚とのいざこざに向きあわねばなりません。でも前に進むのです。もちろんパートナーとの関係も、ヘヴィになるかもしれませんが、何とか向き合うしかないのです。ただあなたの義務に忠実になることで、物事は時間の経過とともに緩和されます。
しばしば見られることですが、土星がネイタルの月に近づくとき、人は内にこもり秘密主義的になりがちです。ですので、オープンでいることを心がけてください。そしてあなたが、サディサティ中で他人のアトバイスを求める時は、セカンドオピニオンが大切です。良いアドバイスが得られにくい時期でもあるからです。そして若い時期のサディサティは、悪い友人に気をつけてください。あなたは、心の底では興味を感じられない人々に囲まれているかもしれません。
そう、確かに重々しい時期です。人によっては何らかの喪失体験があるかもしれません。(全員というわけではありません!)あるいは法的なトラブルもあるかもしれません。
一人で抱え込まずに、心を開いて、他の人に助けを求めてください。それはとても助けになるでしょう。しかしもっとも大切なのは、心を穏やかに保ち、起こっていることにフォーカスすることです。
第3段階 土星が月のサインの2ハウス目に来る時
いよいよ最終段階です。この時人によって様々な経験をするかもしれませんが、何か非常にエクストリームで、チャート全体を見る必要がありますが「復活」の時期です。あなたは以前より自信と確信に満ちていますが、まだ注意が必要です。またある人にとっては家族の問題がクローズアップされるかもしれません。
しかし全ての人にとって何らかの経済的な事柄に直面するでしょう。2ハウスは経済的な安定を表すハウスです。まもなく、土星は月から3室目へ移動します。3室目の時期は人生の新しい始まりで、全てが一新されるでしょう。なので、あなたはそれに備える必要があるのです。そのせいで人によっては家庭や家族の事柄により批判的になるかもしれません。もちろんビジネスやお金の問題、そうした物質的な安定に関わる事柄が浮き彫りにされます。人によっては給料が上がったり下がったりします。いずれにせよ経済的な事柄が強調されます。
そして一つの旅が終わって、いよいよ新しい扉が開くという感覚、ちょうど人生の交差点に立っているような深い感慨を抱くでしょう。その感覚は正しいです。土星が月から3ハウスに入る時、あなたが人生の中で望むことに対して、より多くのチョイスが与えられるでしょう。
その3に続きます!
自分がサディサティかどうか知りたい人はこちらを
もっと詳しく知りたい方はインド占星術鑑定を承っております!
]]>
土星のトランジット サディサティがもたらす試練
http://umiyuri21.exblog.jp/32704440/
2022-08-11T16:37:00+09:00
2022-08-11T16:49:11+09:00
2022-08-11T16:37:25+09:00
umiyuri21
占星術
久しぶりにインド占星術の動画翻訳をしてみました。
KRSチャンネルと並んで、いつもとても参考にしている、Astrology Loka チャンネルからの紹介です。パーソナリティのGinaさんは、子供の頃から西洋占星術に親しみ、のちにインド占星術に出会って転向、現在はインドでも著名な占星術家であるパンディット・サンジャイ・ラート氏に師事しているようです。時々馴染みのない独特なテクニックや解釈を紹介していることがありますが、それはこの師の流派によるもののようです。
長いので前編後編に分けます。いつものように多少端折って意訳しています。最後に元動画を貼り付けておきます。
サディサティとはネイタルの月がある星座から、土星が12、1、2ハウス目をトランジットする7年半の期間を指します。インド占星術はトランジットよりもダシャーを優先させて鑑定するものの、土星のトランジットは重要で、中でもサディサティは大きなチャレンジやインパクトをもたらす時期と、恐れられています。
この動画はyoutube上に数多くアップされているサディサティに関するものの中で、現在サディサティの渦中にある私が、一番刺さった内容です。物質的な側面と精神的な側面、両方から解釈していますし、視点がホリスティックかつ実際的で参考になります。サディサティ真っ只中の人、これから迎える人、もう終わった人、全てに読んでいただけたらと思います。
以下翻訳です
******************************************************************************************
サディサティはどこまでも続く?!
サディサティは単にネイタルの月に土星が重なるだけではありません。これには3つのフェーズがあります。月から12ハウス目、1ハウス目、2ハウス目、この違いは何でしょうか?そしてもちろん月の星座によっても違いがあります。さらに、サディサティが若い時に来るのか、中年か、老年になってからか、そしてどのようにサディサティの準備をしたら良いのかお話しします。
さて、サディサティは月の星座から土星が12ハウス目、月星座のハウス、その2ハウス目を通過する期間を言いますが、同じように月から4ハウス目、8ハウス目も同じように難しくチャレンジングな時期です。
逆に月から3ハウス、6ハウス、11ハウス目を土星が通過する時にはスペシャルなギフトをあなたに与えてくれるでしょう。(このトピックについてはパート1で語っています。)https://www.youtube.com/watch?v=ZQ2NMSlCL-Y&t=0s
いずれにせよサディサティというのは月に関してだけではありません。土星は常にチャートを移動し続けていますから、月と土星の関係だけがサディサティという訳ではありません。それは3つあります。まずご存知の通り、月のサディサティ、そしてラグナのサディサティ、そして太陽のサディサティ。インド占星術では太陽の存在をほとんど忘れていますが、太陽から土星が12、1、2ハウス目に来るときも、また別のサディサティなのです。
インド占星術では月とラグナを起点にチャートを見る方法が非常に強調されていますが、さて、太陽はどこに行ったのでしょう?西洋占星術では太陽は非常に重要で、ホロスコープは常に太陽を中心に見ます。しかし逆に月の存在を忘れているのです。私たちはホリスティックに見ていく必要があると思います。ですので太陽、ラグナ、月、全てに関してサディサティとカウントすべきだと思います。
それではこの3つのサディサティの違いは何か?メインである月のサディサティ 月は私たちの執着や欲望、幸福感、そして母親と安心感、さらに身体を表します。体は母親の子宮で形成されるので、月は健康とも関わりがあります。
ラグナもまた私たちの体と健康を示しますが、むしろ見た目や風貌、そして何より人生の方向性に関連していると思います。あなたが生まれた星座の特定の度数から人生の道がスタートします。だから、土星がその12,1,2ハウス目に来るとき、あなたは自分の人生の方向性が変化するのを感じるでしょう。それは交差点のようなものです。
では太陽はどうでしょうか、太陽は目的と言えるでしょう。太陽のサディサティでは人生の目的が変化します。実はさらにもうひとつ、別のサディサティがあります。これはより深く作用しますので、忘れてはいけません。そう、D9の月のサディサティです!
ナヴァムシャの月のサディサティも非常に強く作用します。これは運命が変化する時期です。私の師であるパンディット・サンジャイ・ラートにこれを確認すると「まさに、D9の月のサディサティは非常にインパクトがある」と語っていました。
サディサティに関する大きな視点を持つことは、私たちのサディサティに対する恐怖心を軽減してくれると思います。一体いくつのサディサティが自分に影響を及ぼしているか、と考えてみると、逆にそれは大したことではないと思うことができます。私自身のチャートではD9のサディサティからはじまって、D1のサディサティの終わりにラグナのサディサティが始まりますから、まさにノンストップ!(笑)で変容が続くのです。
土星の使命
ではサディサティの目的はなんでしょうか?まず、土星の目的を理解しなければ、サディサティの目的も理解できません。この7年半の期間、土星の目的はふたつあります。ひとつは物質的、ひとつは精神的。月は私たちの誕生に伴う物質的な欲望を表します。
それは、この物質としての肉体を持って、この世界に生を受けた存在として、必然的に持っている執着です。母親、家、生まれ故郷、快適さ、親密さ、安心感...私たちはこうしたものへの強い執着を握りしめています。月はそれが必要だと感じています。月は私たちの物質的な幸福感を表すからです。
そこに土星がハードワーク、限界、責任、カルマを携えて月の元にやってきて、恐怖をもたらします。しかし物質的に実際に起こっていることは、土星はウインカーを点滅させることで、人生を完成に導いてくれるのです。
この時期私たち強い集中力を持って、ひとつのゴールへ向かっていきます。周りの人々とか環境とか気移りさせるものを退けて、土星は目的に向かって責任と義務と遂行することを心に強いるのです。月は心であり、そこに土星が影響を及ぼすわけです。
結果的にサディサティの終わりに私たちが悟るのは、人生がよりすっきりし、シンプルになっているということ、本当の物質的な成功と幸福を与えてくれる、強固な土台を打ち立てていることなのです。現実的に何パーセントかの人は、サディサティにキャリアや成功のピークを迎えます。例えばドナルド・トランプ、インドのインデラ・ガンディーなどは2回のサディサティの時期に選挙に当選しました。
土星は強い集中力を与えてくれるので、人によっては多大な成功を得ることができるのです。そのぶん責任も大きくなるわけですが。
さてもう一方のスピリチュアルな目的とはなんでしょうか?土星のスピリチュアルな目的なマーヤ(幻影)のヴェールを取り除くことです。どうかスイッチを切らないでくださいね(笑)これはとっても大切なことなのですから。
月はこの物質世界においての幻影を作り出します。私たちはイリュージョン、幻影の中を生きています。宇宙的な視点では、この世界はヴィシュヌ神の夢の中なのです。
もう必要なくなったのに、私たちがずっと握りしめ、執着しているものを土星は取り除きます。月こそマーヤであり、土星はマーヤの覆いを外すのです。サディサティの時期にうつ状態になりやすいのはこういう理由です。多大な努力をしてもほんの少ししか見返りがない、なぜなら土星は私たちの執着心に揺さぶりをかけます。カルマ的にもう目的を持たなくなったものを失うかもしれません。こんな風に土星はマーヤのヴェールを剥がしていくのです。確かに大きな物質的成功を与えてくれると同時に、執着を断ち切るような出来事が起こる、実にタフな時期です。
しかし土星は、私たちにとってもっとも素晴らしい友人と言えるかもしれません。なぜならマーヤのヴェールが取り除かれない限り、私たちは良くないカルマを作り続け、この生を間違って使うでしょう。
そうであるなら、この土星のトランジットは実に素晴らしく、讃えられるべきではないでしょうか。「ロード・シャニ」(土星)はこの地球での、私たちの本当の目的を完成させるために、心、自分自身、欲望の上を横切っていくのですから。
では 次にサディサティには具体的にどのようなことが起こるか解説していきましょう。
後編に続きます!
自分がサディサティかどうか知りたい人はこちらを
もっと詳しく知りたい方はインド占星術鑑定を承っております!
]]>
フルカラー&限定生産 ドゥルガーTシャツ発売中!!
http://umiyuri21.exblog.jp/32680956/
2022-08-07T19:57:00+09:00
2022-08-07T20:01:43+09:00
2022-08-07T19:57:42+09:00
umiyuri21
オリジナル雑貨
8月、夏真っ盛りですね!
インドでは7月14日から8月12日まで「シュラバナ月」と呼ばれ一年のうちで最もおめでたい月と言われています。この期間は宇宙にシヴァ神のパワーが満ちるとされ、人々はシヴァ寺院にお参りに行きます。
同時に西洋占星術では獅子座の季節、特に7月26日から8月12日までは「ライオンズゲート」と呼ばれるポータルが開いて、強力なエネルギーが宇宙に降り注ぐと言われています。(ピークは8月8日。)
そしてこのライオンズゲートは、地球から観測できる最も明るい恒星であるシリウス星と繋がりが深いと言われています。シリウス星が東の地平線から太陽に先駆けて登ることを「ヘリアカル・ライジング」といい、大体毎年7月末から8月初旬にかけて起こります。この「ヘリアカル・ライジング」とナイル川が氾濫を起こす季節がリンクするため、古来からエジプトではシリウスはイシスと同一視され、非常に神聖視されました。
シリウスーシヴァ神ーライオンズゲートって要するに宇宙は今、ものすごくエネルギー満ちているってことです!そんな吉祥な季節にあやかり、ドゥルガー女神のフルカラーTシャツを販売いたします!
ドゥルガー女神はシヴァ神の神妃で、「近寄り難き者」という意味。美しさと無敵のシャクティを兼ね備え、あらゆる厄災を跳ね除け、前進する力を与えてくれます。虎に乗ったシヴァ神の神妃、まさにこの季節を体現するような女神様ではないですか。ドゥルガー女神のパワーを身に纏って、降り注ぐ宇宙のエネルギーを存分にチャージしてください。
完全予約制の受注販売です!!
#ガラムガラム #ドゥルガー #女神 #Tシャツ #インド #ライオンズゲート #シュラバナ月 #シヴァ神 ]]>
https://www.excite.co.jp/
https://www.exblog.jp/
https://ssl2.excite.co.jp/