西と東を巡る黙想

さてさて、最近聖書を紐解き、教会通いまでしている私です。新しいことを学び始めると、新しい扉が開いて、世界が違った眼差しで眺められるようになる。しかしながら、新しい「世界を見る目」をインストールすると、当然今まで培ってきた世界観とぶつかる場合もあるわけです。
全てを合わせ飲んでしまうヒンドゥー文化では、キリストも偉大なヨギ、聖仙の1人として尊敬され、受け入れられています。神はどんな呼び名であっても結局はひとつであり、どんな宗教も真理に向かって真摯に道を登れば、一つの頂上に辿り着く。宗教に関係なく、私たちの内に神なるものは存在している。と言った考えがけっこう浸透しています。
インドの聖者たちもキリストは否定しないし、自分たちの言うブラフマン、純粋意識と神は同じもので、キリストも梵我一如に至り、解脱したマスターだと捉えます。
私もそういうインド的な考えにどっぷりハマっていたので、最初は今まで培ってきた東洋的な世界観と聖書の神はそれほど矛盾しないだろうと思っていました。
ところがある時youtube で衝撃的ないくつかの動画を見つけてギョッとしました。それはエンジェルや女神のオラクルカードで有名なドリーン・ヴァーチューの証(あかし)の動画。(証とはクリスチャンが自分の信仰や神に関わる体験を証言する事を言います。)
数多くのオラクルカードを制作し、奇跡のコースの教師でもあり、まさにニューエイジ、スピリチュアルの女王様的存在であったドリーン・ヴァーチューが、突然キリスト教に回心し、過去に自分が制作したもの、教えてきたことが間違いだったと告白する内容。
いやあ、彼女のオラクルカードは、ベリーダンス時代にどれだけお世話になったことか。
彼女が自分が培ってきた土台を全て捨てて、今までやってきた事は間違いでしたと告白していたのは衝撃でした。オラクルカード、占い、チャネリング、女神崇拝、ヨガ、瞑想も悪魔的で間違った霊に繋がってしまうので、非常に危険だと述べるのです。本やカードも捨てた方がいいとまで言っています。
ええっ?! 私、そういう世界にどっぷり浸かってるんですけど…
ニューエイジからキリスト教に回心しました的な動画は他にも結構あって、すっかり煽られてしばらくその手の動画を見まくっていました。(水星:ラーフ:月と煽られやすい時期でしたしね。)
ニューエイジという言葉は日本では聞いたことがない人が多いかもしれませんが、ざっくり言えばスピ系全般と言えるでしょう。話題のChatGPTに問い合わせたところこんな答えが返ってきましたよ。
ニューエイジとは...
ニューエイジ運動は、1960年代後半から1970年代初頭にかけて、西洋社会において急速に広がった精神的な運動です。その起源は、多くの異なる源泉に由来していますが、以下のような要素が重要であると考えられています。
1: 東洋の宗教・哲学の影響:ニューエイジ運動の多くの思想・実践は、東洋の宗教や哲学から影響を受けています。特に、ヨガ、禅、タントラ、アーユルヴェーダなどが重要な影響源となっています。
2: 霊性的な探求:多くの人々が、伝統的な宗教や教義に疑問を抱き、より個人的な霊性的な探求を求めるようになりました。
カウンターカルチャーの影響:1960年代の反戦・反権力運動やヒッピー文化などが、ニューエイジ運動の思想・実践に大きな影響を与えました。
3: 科学的な進歩への期待:科学技術の進歩が、人々の世界観を大きく変えたことも、ニューエイジ運動の起源に関連しています。人々は、科学技術がもたらす恩恵に期待しながら、同時に科学的な世界観に疑問を抱き、より包括的で総合的な世界観を求めるようになりました。
以上。
で、なぜそれがキリスト教的にNGなのか?このスティーブン・バンカーズという人の動画に詳しく語られています。簡単に言うと、聖書の創世記に書かれた有名なアダムとエバの物語と、ニューエイジの歴史的な成り立ちとの絡みがその理由です。
内容を具体的に解説すると、かなり長くなるので、興味を持たれた方は動画を見てみて下さい。この方も、元バリバリのニューエイジャーからクリスチャンに回心した方です。ニューエイジの欺瞞を暴く的な動画と沢山配信しています。
いかがでしょうか?
ニューエイジに対してかなり辛辣な内容ですが、多分それは、今世界で同時多発している新保守的な潮流とリンクしているように感じます。日本でも自分たちの伝統文化を見直す動きがありますよね、それと似ているのかなと。いずれにせよ、東洋の思想についての認識はちょっと浅いように思います。
ちなみに「ニューエイジ」という言葉は占星術的な概念から生まれており、こちらも興味深いので次の記事でちょっと取り上げてみようと思います。
そんな経緯から、しばらく色々な資料を探して自分なりに考えていました。
まあ、上記の動画の人々の言いたいことは分かるけど、他宗教やその文化に非寛容なのはやっぱり納得できません。
西と東の霊性、世界観の違いについての洞察や対話は、探すと結構見つかりました。特にカトリックの神父さんと仏教僧の対話、ダライラマ法王やティク・ナット・ハン師によるキリスト教についての書籍も出版されていました。インド人神父のアントニー・デ・メロという人も、東洋と西洋の霊性を融合しようと試み、著作を出版しています。
そんな中、柳田敏洋という神父さんによる「キリスト教的ヴィパッサナー瞑想のすすめ」という本に出会いました。
これはかなり助けになった!
ヴィパッサナー瞑想を通して神の存在と繋がり、アガペ(無条件の愛)の人へ向かう道のりが、仏教とキリスト教神学の両面から語られています。
ユダヤ、キリスト教では人間の外に絶対的な神が存在しますが、インドの世界観では究極的には人間と神はイコールになります。人間が神となろうとすることは、原理主義的なキリスト教徒にとって悪魔的な驕りとも捉えられ、ここが東洋思想を否定する核のひとつにもなるようです。
これについても絶妙に素晴らしい解説がなされており、めちゃくちゃ腑に落ちました。超乱暴に説明すると、人間=神にはなれませんが、人間が己の神性に開くことはできるのです。人間には神性が宿っているけれど、それはこの世界を創造した神と完全にイコールではないという考えです。そういう意味でのタイトルの「神を追い越さない」なのかなと思いました。
聖書でも神が土で人の形を作り、それに息を吹きかけると人間になったという記述があります。ティク・ナット・ハン師はこの神の息こそ聖霊だと述べています。
こうして見ていくと、西と東の霊性は限りなくエッセンス的には近づいていきます。瞑想を続ける新たなモチベーションにもなりました。
自分たちの考えこそが正しく、他は間違っていると攻撃することはエゴにとってとても心地よいことです。だからこそ私たちは注意深く立ち止まり、気づきと愛を持って向き合う必要があるのだと思います。
この考察はまだしばらく続きそうです。また書きますね。
追記:写真はタミル・ナドゥにあるインドでも最も古い教会(名前失念!)で撮ったもの。柱の部分は2世紀のものだとか。南インドはキリストの12使徒トマスがキリストの死後布教した地と言われております。まさに西と東の霊性が出会う場所。
思いがけずに

すっかりブログもSNS関連もご無沙汰していました。
前回の記事を書いてから色々な事がバタバタとありまして、仕事もこれまでと全く分野の違う仕事を始めました。
そしてなんと、年末からキリスト教会に通って、聖書を勉強しております。
どっぷりインドかぶれだった人が何故?と思われそうですが、正直自分でも驚いています。
実は私の両親はとても敬虔なクリスチャンでしたので、幼い頃は毎週教会に通っていました。でも、中学生になった頃からキリスト教の教えがひどく窮屈に感じて、行くのをやめ、代わりに東洋の思想や哲学をはじめ、オカルト系にも興味を持ち始め、今に至るというわけです。
複雑でシステマティックなインド哲学や仏教の視点から見ると、キリスト教の教えは非常にナイーブに見えました。それでも帰省する際には親孝行の一環として、日曜の礼拝には参加していましたが、説教に心を動かされることはありませんでした。聖書の教えは非理論的で、それをまるっと信じるというのは、宗教に盲従しているようで嫌だったのです。
しかし、宗教に盲従するのは嫌だといいながら、一方で様々なスピリチュアル系の事柄に、手を染めてきました。
特に、2022年は振り返ってもかなり切羽詰まって、追い詰められたので、節操をなくしていました。働いていた職場がブラックで、いつも怒鳴られていたこともあってストレスが多く、自尊心は地に堕ちて、かろうじて慈悲の瞑想をして乗り切っている状態。
何とか幸せになりたくて、タガが外れたように、神社仏閣に通ってはご利益を求めたり、お守りをいくつも買ってみたり、ヒーリングの類にも行ったり、果てはマッチングアプリにも登録してみたり。(笑) 要するに少しでも楽になりたくて必死。しかし状況は改善されないばかりかひどくなる一方。今まで、自分ではそこそこ硬派なスピのつもりだったので、ご利益系にはあまり手を出さずにいたのですが、去年は本当に藁にもすがりたくなっていましたね。
そうこうするうちに、視力がガクッと落ちて、周りがかすみ、光が眩しく白く飛んで見えるようになりました。眼科に行っても単なる眼精疲労でしょうと言われるばかり。
心も視界も白く霞んで曇って、先行きが見えない。こんな目の状態で仕事はどうなるのか、
この先どうやって生きていったらいいのか、不安感でふらふらヨレヨレ。そんなある日のこと…
ふらりと参拝に出かけた、近所の霊験あらたかなお寺の境内を登っている時に、心の中で声がしたのでした。
「どうしてお寺や神社ばかりに行くの?なぜ教会に行かないの?祈るなら、そこがあなたにとって一番近い場所でしょう?」
はたと立ち止まって「確かに」と思いました。
その時、その声が妙に腑に落ちたのです。
思えばずっとずっと教会に行く以外の、様々なスピリチュアル活動に興味を持ち、それでも、職場のストレスごときで結局こんなにヨレヨレなのだから、自分の原点とも言える場所に、試しに足を運んでみてもいいかもしれないと。だから心の中の声に従うことにしました。ネットで近所の教会を検索して、次の日曜日に教会に行ってみようと計画を立てました。人生初の出来事でした。
その2日後、ヨガの先生であったジョシーが亡くなりました。
彼はヨガを愛するインド人でしたが、ケーララの何代にも渡るキリスト教徒の家系でしたので、インドではよく教会に連れて行ってもらっていました。
晩年はずっと修道女だった妹のご縁で修道院で療養していました。最後の頃は神様の話をすることが多くなっていました。
これはさすがに偶然ではないだろうと、とりあえずしばらく教会に通ってみよう、聖書も通読してみようと決心したのです。
不思議なもので、一旦自分で決めて、扉を叩いて中に入ると、聖書の教えはとても神秘的で深かったのです。外側で眺めているのとは全く違う世界が広がっていました。まだまだ勉強中ですが、ものの見え方がずいぶん変わりました。正直いろいろ反転してしまって、まだ整理がつかないので、今はインド占星術の鑑定などはお休みさせていただいております。今後の方向性が定まりましたら、改めてお知らせさせていただきます。
その数週間後、目の不調の原因も分かって治療することができました。
仕事も変わって、もう怒鳴られることはなくなり、ストレスも激減しました。何だか一気に生活がまとまって、今は淡々と穏やかな日常を送れております。
まあ、土星が水瓶座に入ったら、フェーズが変わって何か見えてくるだろうとは予測していましたが、まさかこのような形でとは、想像できませんでした。
今後は、これまでとは毛色の違ったネタがこのブログに登場するかと思います。今回も長くなりましたがこの辺で!
2023年のはじまりに

遅ればせながら 2023年あけましておめでとうございます。
本年度もどうぞよろしくお願いします。
年始年末はどんな風に過ごしましたでしょうか?
私は完全にダラダラして過ごしました。
去年の夏頃から、左目の視力がずいぶん落ちて見えにくくなっていたのですが、それが11月ごろから加速して日常生活も困るほどに。診断は後発性白内障。
私は4年前に白内障の手術をしており、術後20%の人に発症する後遺症のようなもので、レーザ治療ですぐ直るとのこと。しかしずいぶん進んでいたようで「かなり見えにくかったでしょう」と言われました。
行きつけの眼科では単に眼精疲労と言われ、原因が分からず悶々としてたので、気はずいぶん楽になったものの、最近またさらに一段進行したっぽく、今はパソコン作業もきついし、本も読めないし、人混みにも出たくないです。そんなんで、年始年末は家で静かに過ごしていました。治療まであと数週間の辛抱です。
2023年は数技術では7の年、支配星はケートゥ。
そして2022年12月から日本はケートゥ期に入りましたので、今年はケートゥ色が強い年になるのかもしれません。
引きこもって過ごした私の年始年末もケートゥ的でした。
これまで17年間日本は魚座で減衰する水星期を過ごしていました。国のダシャーが変わったからと言って、自分に直接影響はないだろうと思っておりましたが、そうでもない気がしています。
これまでは好奇心に任せて色々トライ&エラーしてましたが、そういう節操のなさに突然嫌気がさして、自分にとって本質的なもの、ルーツに帰りたい、ひとつのものに深くコミットしたいという気持ちになりました。これもケートゥっぽいなあと。みなさまはいかがでしょうか。
2022年末から水星も逆行しているし、色々振り返ったり、何が必要で何が不要か整理するにはいい時期ですね。これは今月19日まで続きます。
ごった煮状態だった情報も研ぎすまされ、世の中がもっと本質的なもの、根源的なものに立ち返っていく空気感になっていくのかな、と感じています。
さて、今月はもっと大きな惑星の動きがあります。1月18日に土星が約3年ぶりに水瓶座に移行します。土星は去年の春に少しの間水瓶座に移動したものの、すぐに山羊座に戻り、今もまだ山羊座にあります。
土星が山羊座に入った2022年の冬はちょうどコロナが広がって行った時期と一致しているので、この土星の水瓶座入りと共に、収束へ向かうだろうというのが大方の予測ですが、感染者はまだ増えていますね…治療薬が浸透して恐るるに足りないものになっていくのを願うばかりです。土星はインド占星術では最もゆっくり動く惑星ですから、土星の惑星移動は大きな節目です。
さらに今年の主な星の動きを紹介いたしますと5月に1年木星が牡羊座へ移動して、ラーフとコンジャンクションしてグルチャンダラヨガを形成。
12月に1年半ぶりにラーフケートゥ軸が魚座乙女座軸へ移動。
主要惑星が全部移動するので、来年の今頃は、今と様相がずいぶん変わっているのだろうと思います。もちろんインド占星術では初めにダシャーありきが鉄則ですが。こうしたゆっくり動く星の移動は、やはり節目にはなりますね。
個人的にもこれらのトランジットとネイタルチャートが結構しっかり絡むので、今年は私にとっても変わり目の年になるのかも。ダシャーも水星期の終わりに差し掛かって、思いがけないところに着地していきそうな予感が。今年の終わりには久しぶりにインドに行けたらいいなあ。
新年に、一年の展望を俯瞰してみたい方
インド占星術の鑑定を受け付けております。
https://www.yurikowakayama.com/menu-1/jyotish/
また、パンチャンガカレンダーも発売中!
こちらの通販サイトでも取扱中です。
ガラムガラム https://garam2.com/view/item/000000004650
ティラキタ https://tirakita.com/id_clen/id_clen2023_1.shtml…
シータラーマ https://sitarama.jp/?pid=171670728
2023年がみなさまにとって、実り多き年でありますように。
パンチャンガ2023発売! Q&A

パンチャンガ手帳2023年度版が発売されました!今年は月の満ち欠けとナクシャトラを記載した卓上カレンダーも登場です。
2023年パンチャンガ手帳 3,000円
卓上カレンダー 1,500円
セットで4,000円
送料は370円
ご希望の方はコンタクトフォームよりご連絡ください。
さて、少しづつ認知が広まってきた(広めていきたい)パンチャンガ、
今回はパンチャンガとは何か、どんな風に使ったら良いかをQ&A式で解説します。
パンチャンガって何?
パンチャンガとは、インド式の月の暦のことです。パンチャ「5つの」アンガ「足」という意味。ちょうど日本における高島暦のようなもので、その日の吉凶を占い、祭事や冠婚葬祭を決める際には欠かせません。
ホロスコープはその人の生まれた瞬間の星の配置で、そのキャラクターやテーマ、どの時期にどんな出来事がクローズアップされるかを見ていきます。
一方パンチャンガはその日、その時間の吉凶を占うものです。
大筋の運命は変えられないとしても、自分の意思で何とか調整できる部分を見ていくわけです。
手帳には何が記載されているのですか?
パンチャンガは次の5つの要素によって構成されています。
1 ナクシャトラ (nakshatra 二十七宿)
2 ティティ (tithi)
3 ヴァーラ (vaara 曜日)
4 ヨーガ (yoga 月と太陽の黄経を足した数値を13度1/3で割る)
5 カラナ (karana ティティを前半と後半に二等分した時間単位)
2023年度版はさらに、日の出日の入りの時間、月が運行する星座、ホラ(時間の吉凶)、その週のトランジット、ナクシャトラの相性を示すタラ、が記載されており、より充実した内容になっております。
ただその日の吉凶だけを見るのですか?
この5つの指標それぞれに、性質や適した行為が割り当てられています。一番シンプルなのは、下弦の月に行動を計画し、上弦の月に行動に移すというサイクル。また、曜日の持つ性質に沿ってみること。例えば金曜日なら何か華やかなこと、土曜日ならカルマヨガ的な行為、などなど。さらにナクシャトラや、ティティの性質を組み合わせながら、行動の参考にしてください。(それぞれ指標の適した行為や性質は手帳に記載されております。)
この中で最も重要なものは27つのナクシャトラで、これは個人のチャートを読む際にも不可欠な要素です。
ナクシャトラって何ですか?
白道360°を27分割、13°20‘ごとに区切った概念です。牡羊座0度のアシュビニーを始まりとして、魚座16°40’のレーバティーが終点。ひとつの星座に2.5ナクシャトラが配置されます。約24時間ごとに月はナクシャトラを移動するため、月宿とも呼ばれます。非常に古くからインド占星術で用いられてきました。
それぞれのナクシャトラには、支配星、シンボル、神話、支配神、動物、グナ、色、方角、性質、方向などの象意が附帯されており、深淵な世界観、多層的な構造を形成しています。
生まれた時の月のナクシャトラをジャンマーナクシャトラと呼び、その支配星がヴィムショッタリーダシャーのスタートポイントになります。また結婚の相性を見る際には、ナクシャトラの相性はマスト。結婚式もジャンマーナクシャトラとその日の相性によって選定されています。
このナクシャトラを用いた占術は中国を経由して、空海によって宿曜占星術、密教占星術として日本にもたらされました。
ただ現在の宿曜占星術は27室の概念は同じであるものの、算出方法も異なり、インドのナクシャトラシステムとは異なっています。
チェックポイントが色々あり過ぎて混乱するのですが...
もちろん全ての指標がベストを示す日などほとんどありませんし、毎日これを見て行動を決めていたら、中世の貴族みたいに行動が制限されてしまいますので、ここぞという勝負時以外は、毎日の月や星のサイクルを感じながら、何となーくその日の象意に沿った事を行って行けばいいのかなと思います。
全てが良い日を選ぶというよりは、「大切なことをする日には悪い日を避ける」、というイメージいると使いやすいと思います。
具体的にどんな風に使っていますか?
例えば、私自身の使い方としては…
歯医者に行くのは木曜より火曜かなーとか
楽しい約束は金曜日、あるいは華やかなナクシャトラの日
月の相性が悪い日は無理しない
月がジャンマーナクシャトラに戻ってくる日は、ムーンリターンとして、サイクルの区切りとして振り返る。
(実際そのような事が起こりやすい)
ここにさらにダシャーやトランジットや加味しながら、少し先の展望を予測したり、日々の計画を立てているという感じです。今回のパンチャンガ手帳にはトランジット運行表もついておりますので、個人のチャート以外のユニバーサルな星の動きを見るには必携の内容です。
個人的には、パンチャンガを見て何もかも決めようとすると、人生がとても窮屈になってしまう気がします。ですから、惑星のエネルギーをより微細に感じて、流れに乗りやすくする為のツールに使っています。惑星も私たちの身体もヴァイブレーションです。意識を向ける事で、それにリンクしやすくなります。
一年の宇宙の天気図として使ってください。
今私たちは大きな変動の中にあって、それぞれが先の見えない思いを、多かれ少なかれ感じているのではないでしょうか?2023年パンチャンガで宇宙の流れに感じながら、流れに乗って軽やかに生きてまいりましょう。



RIP そしてどこまでも自由に!
が11月26日 インド時間12:07 に息を引き取りました。死因は心臓発作でした。
ヨガにとどまらず、大切なことを沢山教えてくれた、私にとってかけがえのない存在でした。精神的な支えを失った喪失感は大きいですが、ここ数年は事故の後遺症で身体がずいぶん不自由な状態でしたから、自由になれてきっと彼は嬉しいだろうなという気がしています。
最後に会ったのは2018年の3月、それ以降は、私も身辺の変化でインドにいく余裕はなく、そのうちコロナ禍になってしまい、来年こそは会いに行けたらいいなと思っていました。
突然の知らせに動揺しましたが、振り返ればサインは色々ありました。ひとつひとつ書いてもキリがないですが…
その日は普段は朝食前に済ませるヨガを、何故だかじっくり行いたくなり、(いつもご飯の前なので、お腹が空いてサッと済ませてしまいがち) 昼食後、2時間経っての15時過ぎからヨガマットを敷いて始めました。
実はここ数ヶ月、座り仕事のせいか急激に左股関節が硬くなってしまい、全く倒れない状態になっていました。ところが2、3日前からまた急に柔らかくなって来て、その日はジョシーのフェイバリットで一番最初に特訓されたアーサナを、ずいぶん久しぶりに、出来そうな感じになりました。(完全ではないですが、ひさびさにお腹を床につけることができた)
長いこと強張っていた左半身にスーッとエネルギーが通って、温かな喜びの感覚がふわーッと広がっていきました。ああ、身体って不思議だなあと、心地よくヨガを終えて、しばらくすると、ジョシーが身体を離れたという知らせを受けました。
そっか、ジョシー、一緒にヨガやってくれたんだな。ととっさに思いました。ジョシーとヨガをやると普段できないポーズもできてしまう、とよく言われていましたから。ヨガをちゃんと続けなさい、と置き土産されたようにも感じました。
実のところ、悪かったのは股関節だけでなく、数ヶ月前から心身が非常に不安定な状態が続いて、この1ヶ月は特に酷かったのです。ヨガ中に理由もなく涙が溢れてくることも何度かありました。行きつけの鍼灸の先生には少し鬱っぽくなっているけど、もしかしたら世の中の悲しみを受け取っちゃってるのかもしれないね、と言われたりもしました。
多分世の中の悲しみじゃなく、来るべき悲しみを身体が先取りして感じていたのでしょう。身体って本当に、マインドや感情よりずっと知性が深いんだなと思います。
そんなこんなで、人生にスタックした状態で、かなり落ちていました。何かにすがりたくて、ちょうどジョシーが亡くなる2日前に、近隣の弘明寺に出かけ、おみくじを引いたところ、その漢詩の中にこんな一句がありました。
「彼の地からやって来た名のある僧が、徳を授けて、今帰路につこうとしている。」
弘明寺ってインドとご縁のあるお寺のようなので、彼の地とはきっとインドなんじゃないかと感じて、妙に引っかかったのですが...
今読めばそのままじゃないかと…
死とは本当に不思議なものだと思います。
自分にとってつながりが深い人が亡くなる時、いつもとは違う時空の扉が大きく開く、そんなふうに感じます。母が亡くなった時もそうでした。
肉体に収縮されていた生命エネルギーが一気に解放されるのだから、かなりの強度のエネルギーが放出されるはずです。
もしもその人が スピリチュアルな学びをしていて、死をネガティブな現象として捉えていなければ、大いなる解放の瞬間です。チベット死者の書ではそれを貴重な解脱の機会と捉えているほどです。
私にとっては深く悲しい死ですが、不自由な身体の状態で長く生活していたジョシーのことを思うと、ただただ「良かったね、やっと自由になったね。」という気持ちが湧き上がってきます。本人は今生でこの世は卒業したいと常々言ってましたが、よりパワーアップしてヨガを教えに、戻って来てほしいな。
多分現実的な悲しみは、これからじわじわとやってくるのかもしれませんが…
今はまだ放心しています。
とりあえず、ジョシーお疲れ様
(ずっと介護していた彼の家族も)
そして本当にありがとう
自由にどこまでも飛んでいって下さい。
ご冥福を心よりお祈りいたします。
(写真は2018年3月、私がインドを去る直前に撮ったものです。)
瞑想やヨガ、インド占星術、創作活動、日々の暮らしや旅など、色々綴っております。基本的に長文です。
by Yuriko
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