人気ブログランキング |

身体という門

c0010791_22064093.jpg



神宮前のヨガクラスは一旦クローズになります。


いよいよ、人生初の入院まで1週間となりました。

たった1週間の入院ですが、自分にとっては大きな手術でありますので、自ずと色々なことが、見直しモードに入っています。


そんな流れの中で、長らく続けてまいりまいりました、神宮前Ruhani Bellydance Artsでのヨガクラスを一旦クローズすることにいたしました。

当初は術後1ヶ月ほどで再開しようと考えていましたが、クラスの再開は今のところ未定です。


再びクラスをはじめるとしたら、どのような形が最善か、クラスに来てくださった方々の意見も伺いつつ、再構築したいと思います。

今までヨガの時間を共にしていただき、どうもありがとうございます。

スタジオの主催者であるNourahさん、そしてスタッフの方々にも深くお礼を申し上げます。


一緒にヨガができて、とても楽しかったです!

また新たな形でお目にかかりましょう。



淡々と準備をしつつも、それでも体の一部を切除するのですから、その後の世界はどんな風に見えるんだろうと考えています。

きっと変わるのは身体だけであって、私の中心は何も変わらないのでしょう。

身体はいつも変化し続けています。一瞬たりとも同じところにはいません。

生まれた瞬間から、すごいスピードで老化し死に向かっていくだけです。

そこで何が起ころうとも、それは変化の一形態に過ぎません。


診断が下ってから、数年も往生際悪く放置していました。

その間私はずっと自分の間違い探しをしていました。

病気になった私はどこか間違っている、その間違いを探さなければいけない。

その間違いを見つけて正せば、病気は治るかもしれないと。

胸だからハートが傷ついているとか、女性性が傷ついているとか、自己愛が足りないとか、食べ物が悪いとか、生活習慣や考え方のせいかもしれないとか。



そして時間が経つうちに、私はこの身体の周りに沢山のストーリーを張り巡らせていました。

でも結局、答えは見つかりませんでした。


答えがない、と気がついたのが答えだったと思います。

ぐるぐると探し続けていた、この身体に張り付いた「若山ゆりこ」というストーリーは、なんの実体もなく、夢のようなものでした。


病気になったのは、生活習慣かもしれないし、遺伝かもしれないし、ネガティブな考え方かもしれないし、悪い性格のせいかもしれないし、カルマかもしれないし、星の巡り合わせかもしれません。

でも、正解は誰にもわかりません。

そこに無理やり意味や原因をこじつけても、真実ではなく、それにしがみつくことこそ、自分を苦しめていたのでした。


その時、後生大事に抱えていた、重たい荷物をストンと下ろしたように感じました。

私はそこに何のストーリーを挟むことなく、この身体という現実に、ただ対処するしかないのだと気がつきました。

本当に単純なことだったのです。まあ、馬鹿ですよね。




たがが身体、されど身体です。

生きているということは、身体がこの世界にある、ということです。


「身体は神々に至る神殿の門だよ。だからいつも綺麗にしておきなさい。」

と私のヨガの師は言いました。


彼は身体を「神殿」ではなく「神殿の門」と言いました。

神々の住まう神殿は、身体を超えたところにあります。

けれど、門を通らずして、神殿に向かうことはできません。


私たちがこの世界に生きる限り、身体という門を無視して

神に出会うことはできないのです。


そして、私たちがこの世界に生まれ落ちたのは

身体という門をくぐって、身体を超えていくため、とも言えるのかもしれません。


このシンプルな言葉の中に

「ヨガ」(特に身体的なハタ・ヨガ)の基底にある哲学が凝縮されているように感じています。


この身体を通じた大きな経験を、無事に通過できることを祈るばかりです。







# by umiyuri21 | 2019-08-21 22:12 | ヨガ

心の彼方で「私」と出会う 続 :ラマナ・マハルシとラマナアシュラム

c0010791_16314966.jpg


ラマナ・マハルシとラマナアシュラム


南インドの聖地、ティルバンナーマライ。

シヴァ神の御神体そのものと呼ばれるアルナーチャラ山とその山を一生離れず愛し続けた、近代インド最大の聖者ラマナ・マハルシのアシュラムがある町。

ここが私の探求の出発点です。


とはいえ、別に最初から探求するつもりでインドへ行った訳ではありません。

何度も書いていますが、2012年にヨガの師であるジョシーと出会ったことがきっかけで、ケーララの村に住み込んでハタ・ヨガを学んでいました。


ところがその頃から、津波のように人生の難題が次々と押し寄せてくるようになりました。その激動をヨガでなんとか乗り越えようと頑張っていたのですが、どうにもカバーできなくなったのでした。


たまたまケーララであるアーユルヴェーダの先生に診察をお願いした時、先生にこう言われました。

「君の身体は大丈夫だよ。むしろ問題は心の方だね。心配事っていうのは一つ解決してもまた次がやってくる、それをいちいち気にしていたらキリがないんだよ。」


その時私は毎日アーサナを実践していましたし、朝は浄化法を欠かさず、菜食も今よりずっと厳格に行なっていました。

ポジティブ・シンキングやヴィパッサナー瞑想の本などもたくさん読み、瞑想もそれなりにやっていました。


表向きはスピリチュアルな生活をしていたものの、内面は問題でいっぱいの心を抱えていたのです。身体はヨガで変えられたものの、心の本質的な部分はそのままだったのです。


アーユルヴェーダの先生は私にこう言いたかったのでしょう。

問題を解決しようと躍起になるのではなく、問題を問題としない心を作りなさい。


さて、問題を作らない心を作る。


一体どうやったらいいのだろう?




アルナーチャラ山とラマナ・アシュラムの話は、ずいぶん前に当時習っていたヨガの先生から聞いていました。

でも、行ってみようと思ったきっかけは、たまたまケーララから近かったからです。

もしも私がリシュケシュでヨガを学んでいたら、探求は全く違うものだったかもしれません。最初にこの場所に出会ったことは、私には幸運なことだと思っています。


ティルバンナーマライはケーララから列車で一晩。インドの移動としては短い方です。

その頃「ラマナ・マハリシの教え」と言う本(山尾三省が翻訳した版)を一冊だけ持っていましたが、あまりよく分かりませんでした。

ただ、それは今まで私が知っていたスピリチュアルな教えとは、かなり違ったもののように感じました。


ラマナ・マハルシの教えは、日本語で不二一元論/サンスクリット語でアドヴァイダ・ヴェーダンタ/英語でノンデュアリティ、の流れに属します。また、インドではジニャーナ・ヨガ(知識の道)に分類されます。


「ブラフマン=真我だけが宇宙の唯一の実在者であり、そのほかは全て幻にすぎない。」

この宇宙はふたつ(不二)ではなく、究極的にはひとつ(一元)、ということです。

ざっくり言えば、それにつきます。


ラマナ・マハルシの説く道は、ひたすら「真我」を探求していくものです。宇宙の唯一の実在者が「真我」なのですから、私たちの本性もまた「真我」なのです。

その探求の骨子となるのが「私は誰か?」という問いかけです。


なんて、いきなり言われたって「はあ?」って感じですよね?

この日々の雑事や心配事に追われ、争い事や軋轢が絶えず、自分のパートナーや親とさえ分かり合うことができないこの世界が、何故一つなんだと?

なぜ私たちが真我なら、これほどに欲や煩悩や恐怖や苦しみにまみれているのか?


「真我は到達しなければばらないような、どこか遠い所にあるのではない。あなたは常に「それ」なのである。ただ、あなた自身を非真我と自己同一化するという習慣を棄て去らなければならないだけである。全ての努力は、ただそのためだけにある。」

(ラマナ・マハルシ)


私たちは真我でないものに、自分を自己同一化している。

真我でないもの、つまり幻。

この幻に自己同一化している状態が「エゴ」とも言えます。

自分を本当の自分ではなく、幻の自分(=エゴ)に自己同一化してるから苦しいってことなんです。

だから目を覚まして本当のことを知ればいい。

今とは違う、特別な何かになったり得たりするのではなく、ただ自己の本性を知りなさいと言うのです。


ほとんどの伝統的なスピリチュアルな教えは、厳格な修行法や浄化法、戒律などがきっちり定められています。

それをひとつひとつ、クリアしていかないと先へは進めません。


例えば、ヨーガの聖典「ヨーガ・スートラ」を読むと、そこには修行の階梯がしっかりと述べられています。

「ヨガの八支則」と呼ばれる、8つのステップがあります。

その8つのステップの中にも様々な段階があり、最終ステップの「サマーディー」においても、いくつものサマーディーを修める必要があります。


これ読んだら人は大概「こんなのできるわけない!」って思いますよ。(笑)

もちろん私もそう思いました。

しかし、当時はヨガの修練を続けていって、身体と呼吸が整い、

瞑想が深くなって心が強靭になれば、今自分が抱えている苦しみから、

逃れられるだろうと考えていました。



「真我を実現するために必要なことの全ては、静かにあること。それ以上簡単なことがあるだろうか。」


ところがラマナ・マハルシはこう言うのです。

それが私には目から鱗の一言でした。


方や山のような修行のステップが用意されており、もう一方はただ静かにして、自己の本性を知るだけでいい、と言う。

そもそも、私たちははじめから「それ」であり、到達すべきものではない、と。

これは一体どういうことだろう?


むしろこのシンプルな言葉の中に含まれた深い真意を、段階的に理解し、直接体験して行くプロセスこそが、「知識の道」であり、真我探求とも言えます。

最初にゴールを示して、そこから進んでいく

一段目から順に階段を登る、ヨガの道とは進むベクトルが逆だったのです。


ラマナも別に全ての修練を否定している訳ではありません。

それが直接真我実現へと至る道ではないが、心を強くするためには各々の心の状態に合った修練が必要だと対話集の中でもしっかり語っています。


ただ静かにしているだけでいい、という言葉にそそのかされても、

私たちを静かにさせない「心」がいつも動き回り、「真我」ではないものの夢へと誘い込まれてしまう訳で、実際はそんな甘いもんじゃなかったわけですが・・・(当たり前ですけど)


しかし、煩雑な戒律や修行法の垣根を取り払い、ダイレクトに真我への道を示す彼のシンプルな言葉は、ものすごく革命的に響きました。




c0010791_16341665.jpg


アシュラムはアルナーチャラ山の麓にあります。

ラマナとその母のサマーディーホールが隣接して並び、その奥に小さな瞑想ホール、宿泊棟、食堂、図書館、オーディトリアムも併設されています。外国人向けの宿泊棟はアシュラムの外にあって、けっこう綺麗です。

敷地内は基本的に沈黙が保たれており、孔雀やサルがウロウロしていて、美しい静謐なエネルギーに満ちています。


朝夕にプージャ(儀式)やチャンティングの時間がありますが、特に決まった規則やメソッドがある訳ではなく、ただ静かにしていればいいだけです。

お昼休みの数時間は閉まりますが、早朝4時から夜9時まで自由に出入りできます。

そのゆるい放置感がなんともいいのです。


私は毎日アシュラムへ行き、静かに座って過ごしました。

別に何が起こる訳でもありませんでしたが、ただそこで静かに座っていれば、満足できる。それこそが不思議な体験でした。


当時私の心は、今より遥かに騒がしく、外へ外へと動き回り、駆り立てられ、何かになろう、何かを得ようと必死になっていました。

ですから目を閉じてもまともな瞑想などできるはずもないのですが、それでもここにいるだけで良いと、感じることができたのです。


今、その時の感覚を思い出してみると、まさにそれがラマナの「臨在」のなせる技だったのかもしれないと思います。


ラマナ・マハルシは沈黙の聖者とも呼ばれ、沈黙の中で伝達される言葉を超えた教えを、とりわけ大切にしていました。

本の記載によると、真我実現した彼の臨在を直接人々に伝達していたのです。

彼は死の間近にこう言い残しています。


「『私』がどこに行くというのか。どこへ行けるというのか。」


個としてのラマナが、死してもなおここに残ると言う訳ではありません。

私たちの本性は生まれることも死ぬこともない「真我」なのですから、

そもそもどこかへ行ったり来たりする存在ではないと言うことです。


しかし通常人は真我ではないものと自分を同一化しているので、

肉体を離れた後も、再び新しい肉体と同一化して輪廻を繰り返してしまうというのがインドの考えです。

しかし自己の本性を悟ったラマナは、もう新しい肉体に同一化して生まれ変わることはありません。(それが解脱。)


ラマナが肉体を去った後、大きな光がアルナーチャラ山の山頂に輝き、山とひとつになったという証言が残されています。


理論上は肉体が失われた後も、臨在はまだそこに満ちているということになります。


その臨在が、騒がしい私の心を静めてくれたのかもしれません。


しかし残念ながら、ただラマナ・アシュラムへ通って静かに座り、「私は誰か?」と問いかけ続けても、自力で変容を起こすことは簡単ではないのでした。

いくらそこに特別な何かがあったとしても、そこで起こっていることを理解できる知性と、解説してくれる誰かがいなければ、ただの一時的な不思議体験で終わっていまいます。


二度目にティルバンナーマライを訪れた時に、私はそのことを痛感し始めました。

ということで、私は生グル(生きている先生)を求めて、アシュラムの外にも目を向けるようになりました。

結局、じっとしていられない性分なのですよ。(苦笑)


ティルバンナーマライのシーズン中は国内外から多くの覚者(自称も含め)や先生がサットサンを開きます。ほとんどがお心付け(ドネーション)で参加できます。

旅人の集まるカフェに行けば、掲示板にこうしたサットサンのチラシが貼り付けてあるので、それをチェックして気になったところに足を運んでみる。


その中で、非常に印象深い人々に出会っていきました。

この話の続きも、いつか書いてみようと思います。


ラマナ・マハルシの言葉は学びが深まっていくにつれ、より魂に染み込みんできます。

わかったつもりで読み飛ばしていた箇所、さりげなく大切な事が語られていることに気が付いたり。

何度も何度も読み返しその度に発見があり、このふんどし一丁生き続けた、半裸のおじさんへの愛が募っていきます。


ラマナ・マハルシが私の探求の原点であり、「父」であることには、今も全く変わりはありません。







# by umiyuri21 | 2019-07-29 16:34 | 探求

心の彼方で「私」と出会う 

c0010791_00312640.jpeg


ただいま発売中のヨガ雑誌「Yogini」にエッセイを二本掲載しております。

いつもの連載と、「心の解剖学」と題された特集記事の中で「インド、心を巡る旅」

というタイトルで、インドでの心の探求の旅路を駆けながら書き綴りました。

心の領域というのは抽象的だし、自分もいまだ探求中ですから、理解が浅い部分も多々あり、それを限られた文字数で分かりやすく書くのはかなり難航しましたが、

最後はやっぱり少し、抽象的になっちゃったかなあ。


そんな流れもあり、このエッセイの補足もかねて、少し書いてみようと思います。


私の「心を巡る旅」は今も続いており、むしろインドから戻り、日本での生活の中でより深まっていったと感じています。

長年インドに向かっていた心を日本に戻し、地に足をつけて生活していくこと。

様々な実際的な問題、そして長年抱えてきてしまった健康上の問題に、きちんと対処しようと決意すること。

それは簡単なことではなく、今まで見えずにいた、内面の大きな暗部が浮き上がってもきました。



スピリチュアルな界隈で「探求」というと自己を巡る探求、つまり自分の内面に意識を向け、探求していくプロセスを指します。

多分サンスクリット語の「アートマ・ヴィチャーラ(真我探求)」という言葉に由来しているのかもしれません。

探求=修行という訳でもありませんし、何か特別な技を取得したり、境地を体験することを目指しているのでもありません。


「自己の本性を悟ることが解脱である。」


と、ラマナ・マハルシも言っておりますが、探求のゴールは「真我」、私という存在の本性を知ることです。

「真なる私」を知り、そこから離れずにいること。

ぶっちゃけガチな私探しの旅!とも言えます。

もちろん「真なる私」と「エゴ」は完全に別物です。


「私は誰か、という想いは、他のすべての想いを破壊するだろう。

屍を焼く薪の山をかき混ぜる木の棒のように、やがては、私は誰か、というその想い自身も滅ぼされてしまうだろう。

そうれば真我の実現がやってくるだろう。」

(ラマナ・マハルシ)


さて、この「真なる私」と出会う旅路に立ちふさがる手強い宿敵が存在します。

それが「心」です。

「心の働きを止滅させることがヨーガである。」

とヨーガ・スートラの冒頭にありますが、

インドでは心とは実体のないもので、むしろ心の働きそのものを指します。


「心と呼ばれているものは、真我に内在する驚くべき力である。

想いを離れて心はない。それゆえ想いが心の本性である。真我の中から心が現れる時に世界が現れる。

それゆえに世界が(実在)として現れているときには、真我は隠されている。」

(ラマナ・マハルシ)


この心からあらゆる「想い」が現れてきます。

思考が現実を作る、とよく言われますが、この心の働きの巧妙さと複雑さは、観察していくにつれ、どんどん明らかになってきます。

私たちの人生と世界は、心の産物に他なりません。

心の現れに巻き込まれている時、「真なる私」は忘れ去られ、隠されています。

それが私たちの「分離感」「苦しみ」の源となっていきます。

「真なる私」とは絶対的に心の働きの及ばない場所にあるものなのです。


喜びも悲しみも、快適さも不快さも、夢も希望も失望も、恐怖も不安も欲望も、素敵な神秘体験もどん底の悪夢も、

あらゆる問題はみんな心が作っていた!


そう、私たちの人生を操っているのは

お金でもない、社会でもない、親でも先生でもない、闇の陰謀組織でもない

「心」なのです。


霧のように旅路の前に立ちふさがり、変化自在に形を変え、私たちを幻惑させ、私でないものを私だと勘違いさせ、

迷路に誘い込み、時に偽物のゴールさえ作ることができます。

油断すると進んでいるつもりで、同じところをぐるぐる回っていることになります。


そうした心の働きを明晰に観察し、それが織りなす夢にはまらない鋭い「気づき」を養うために瞑想という技法が育まれてきました。

心の迷路にはまっていると本人は気がつかないから、ごつんと頭を叩いて軌道修正してくれる先生が必要になります。

(私も叩かれ続けています・・・)


ですから、「真なる私」を探す旅とは、心という敵を知り、その妖術に巻き込まれないように徹底的に向き合っていく旅でもあります。

そして心に操られていた生を「真なる私」の元に奪還していく。


目覚めや悟りなどというと途方もないことのように聞こえますが

心が主人公の人生を「真なる私」が主人公の人生に変えていく。

その長い旅路とも言えるかもしれません。




ほんの最近になってようやく、内的な探求と外的な生活をリンクさせていくことの大切さを学びつつあります。

言ってみれば、インドでの探求は教習所で運転免許を取るようなものだったのかもしれません。

教習所という守られた環境で「若山ゆりこ」という車をどう運転するか、学んだだけです。


実際の運転は、今日、この日々の生活の中で続いていきます。

毎日思いがけない事が起こります。嫌なことも楽しいことも、対処すべき問題も。

慣れないので、居眠り運転してぶつかったり、急に止まったりしています。(笑)

それでも、運転を続けます。それしか、上手になる方法はないのですから。







# by umiyuri21 | 2019-07-25 00:14 | 探求

これからのヨガスケジュールとお知らせ

c0010791_19410697.jpg


6月のヨガクラスのスケジュールを書こうと思っていたら、すでに第2週目に突入しておりましたね。


6月は通常通り神宮前でクラスを行なっておりますが7月以降はイレギュラーなスケジュールになります。

今回こちらでまとめてお知らせしておきます。


【Being in Yoga ビーイング・イン・ヨガ 〜ヨガの中に在ること】

開催日時 : 毎週金曜日 19:30〜21:00

東京都渋谷区神宮前3-36-17 (明治神宮前駅、原宿駅から徒歩8分ほど)
www.bellydancearts.jp.
ドロップイン:2,000円


予約は必要ありません、どなたでも参加できます。


★6月のスケジュール


6月7日:アーサナ

6月14日:心のヨガクラス(お話とアーサナ)

6月21日:マントラとアーサナ

6月28日:瞑想クラス


※太陽の力が強まる夏至ですので、マントラ付きの太陽礼拝を行なっています。


★7月のスケジュール

7月は勝手ながら瞑想リトリートに入らせていただきます、クラスは2回だけになります。


7月5日:アーサナ

7月26日:瞑想クラス


★8月のスケジュール

8月は最終週に手術の予定があり、レッスンは第4週目までとなります。


8月2日:アーサナ

8月9日:心のヨガクラス(お話とアーサナ)

8月16日:マントラとアーサナ

8月23日:瞑想クラス


★9月は静養のためお休みです。クラスは10月から再開の予定です




去年の白内障の手術に引き続き、今年は何と乳がんの摘出手術を受ける事になりました。と言っても今に始まったことではなく、実は7年越し。

しこりを発見したのは2012年で、0期の乳がんという診断を受けたのは2014年の事でした。全摘という診断に納得がいかず、手術は見送ってアーユルヴェーダで治療することを決意し、それなりに色々試して、一時期は大分小さくなっていたのですが、完全治癒までは至らず…


今年色々な事が重なって、再検査〜手術を決意しました。7年も放っておいたにも関わらず、幸いステージは0期のままでした。(ただ、開いてみないと分からないそうです。) これまで頑張ってくれた身体にただただありがとうと言いたいです。進行していなかったから良かったものの、全くもって褒められた事ではありません。


表向きにする事はありませんでしたが、6年に渡るインドの旅の中で、この病は私の「影のドン」のような存在でした。無謀とも言える旅に私を駆り立てたのは、「彼女」の存在が大きかったと思います。


この「影のドン」とキチンと向き合って決着を付けようと、覚悟するまでの数ヶ月はさらにディープに自分の内面と向き合う事になりました。治療に関しては色々な可能性はまだあるとは思いますが、西洋医学できっちり治すと決めた今は、大分スッキリしています。


現在は身体の不調は全くありませんので、術後にどのくらい速やかに回復できるかが、一番気になる所です。まさに今まで学んできた、「心と身体との向き合い方」を実践する機会になるでしょう。


詳しいことは、またちょいちょいブログに書いていきます。

まずは簡単にご報告まで。


※写真はラマナ・アシュラム。このような経緯があり、最近このお方の言葉がますます魂の深くに染みるようになりました。






# by umiyuri21 | 2019-06-13 19:36 | ヨガ

5月のヨガレッスン

c0010791_20251310.jpeg


5月になりました。平成から令和へ、単に元号が変わるだけなんて思ってましたが、

この数日は確実に空気感がカチンと切り替わるような不思議な感覚を感じてました。

平成に起こったことを思い起すと、平成の最初に始まった大きなテーマのいくつかが、その時代の終わりとともに、自然と完結していったことに気がつきました。

その一つが旅です。

初めて海外旅行に出たのが平成元年、あまりの楽しさに心を奪われ、以来ずっと旅を続けてきました。

旅に明け暮れた30年とも言えるかも...


去年、旅というテーマがひとつのサイクルを終えた感覚があり、

もちろんこれからも旅は続けると思いますが...

今までと違ったものになるだろうと感じています。

みなさまは、新しい時代の幕開けにどんな思いを寄せていますか?


連休中もヨガクラスは通常通り行います。


5月3日(金)19:30〜21:00

ヨガクラス 【Being in Yoga 〜ヨガの中に在ること】

週替わりで内容が変わる新しい試みです。

第1週目はアーサナ中心のクラスです。瞑想も少し行います。


場所: 神宮前前 Ruhani Bellydance Arts

http://www.bellydancearts.jp

ドロップイン:2,000円


ヨガクラスは予約制にしておりましたが

予約なしで参加できる事にいたしました。


当日時間の空いた方、どうぞフラリといらして下さいね♬


5月のスケジュールはこちらです。


【Being in Yoga ビーイング・イン・ヨガ 〜ヨガの中に在ること】

開催日時 : 毎週金曜日 19:30〜21:00

5月1日 アーサナ

5月10日 心のヨガ〜アーサナとヨガのお話

5月17日 マントラとアーサナ

5月24日 アーサナと瞑想

5月31日 瞑想中心のクラス






# by umiyuri21 | 2019-05-02 20:03 | ヨガ

2019新作Tシャツ ナタラジャ・ガールTee 発売中♫

c0010791_19421430.jpeg

毎年恒例のGaram garam さんとのコラボTシャツ。
2019新作は踊るシヴァ神「ナタラージャ」のポーズをモチーフにいたしました!
「ナタラージャ」は「踊りの王」という意味、コズミックダンサーとも呼ばれます。
演劇や舞踊、音楽の守護神です。
シヴァの踊りは大宇宙のリズムそのもの。
一足踏みしめるごとに、破壊と再生を繰り返します。

ナタラージャ神は4本の腕を持っています。
右上の手の鼓は宇宙の創造を、左上の手のひらに乗る炎は世界の破壊を、
ムドラを作る左右の手は秩序の維持を、右足で踏まれた小人(ここには描いていませんが)は無知からの解放を、
周りを取り囲む炎の輪は、創造と維持、破壊という大宇宙のサイクルが輪廻し続ける姿を表しています。

そしてこのポーズは、男性性(シヴァ)と女性性(シャクティ)の統合も表現しています。
身体に絡みつく蛇は、クンダリーニのエネルギー、
右の上に向けた手のひらは男性原理、甲を見せながら下を向ける手のひらは女性原理
(スーフィーの旋回舞踏と同じですね。)
そしてこのポーズ自体にシヴァとシャクティの象徴である六芒星の形が内在されています。


そのような深遠なビジョンを持つナタラージャのポーズをとって踊る、女性ダンサー。
私にとって彼女は天と地の深遠なる知恵に精通したタントラ・ヨギーニです。

着てくださる方々のハートに、ダイナミックなシヴァとシャクティのエネルギーが注ぎ込まれることを願って作りました!
ダンスにヨガに瞑想に!是非ご愛用ください。

どうぞよろしくお願いいたします♬
お買い上げはこちらから↓
私のヨガクラスでも販売しますので、ご入用の方はお問い合わせくださいませ!





# by umiyuri21 | 2019-05-02 19:37 | オリジナル雑貨

ダンスと瞑想の集い開催いたします!

c0010791_15162082.jpeg


ダンス&メディテーショWS 開催のお知らせ
【Dance & Meditation with 7 Chakras】

ダンスと瞑想の集いを行います!
音楽に身体をまかせ、感情や直感を開いて自由に踊るWSです。アーサナは静的なアプローチで体系的に身体を開いていきますが、ダンスはより自由でクリエイティブ、直感的です。
かねてから、ダンスとアーサナは女性と男性のようにお互いを補い合う関係だと思っており、ダンスのWSを開催してみたいと温めておりました。

今回は7つのチャクラへ順にフォーカスしながら踊ってみます。
チャクラは体の中心を通る主要なエネルギーセンターです。
各チャクラはそれぞれのシンボルや性質があり、そのヴァイブレーションは私たちの日々の生活やパーソナリティにも影響を及ぼしています。

各チャクラの持つ、ヴァイブレーションや感覚の違いに耳を傾けてみましょう。
エネルギーがそれぞれのチャクラを通過する時、どんな変化が起こるでしょうか?
自分にとって感じにくいチャクラや、とてもしっくりくるチャクラがあるかもしれません。
各チャクラごとに、思いがけない感覚や見知らぬ自分と出会って驚くかもしれません。ダンスを通じて、身体を開き、やってくるものを、ジャッジメントを挟まず自由に表現していきます。

ダンスの後は瞑想をいたします。チャクラは上に行くほどに波動は微細になり、瞑想のスペースへと直結します。踊ることで体を丸ごと感じ、余分な感情やエネルギーの詰まりを流した後は、想念が働きにくく、より瞑想に入りやすくなります。エネルギーの流れの背後にある、決して変わらない聖なる静けさへ入っていきましょう。

身体を動かしやすくするための準備のワークを行った後は、即興で自由に踊っていただきます。ダンスの経験は不問です、振り付けもありません。上手に見せるためのダンスではなく、自由に感じ、表現するためのダンスです。
どなたでも参加できます!

日時:2019年6月2日(日)13:30~16:00
場所:Ruhani Bellydance Arts
東京都渋谷区神宮前3-36-17 (明治神宮前駅、原宿駅から徒歩8分ほど)
www.bellydancearts.jp.
料金:4,000円
必要なもの:踊りやすい服装、水

予約&お問い合わせ
若山ゆりこ
umiyuriko@gmail.com
ルハニベリーダンスアーツ
ruhanipresents@gmail.com
(件名:7チャクラ)


# by umiyuri21 | 2019-04-25 12:36 | ヨガ

サイレンス

c0010791_13450333.jpeg

朝、目覚めてすぐ、いつものように椅子に座って目を閉じる。

とても静かな流れがやって来て

ただ静かなまま、座っていた。


「私」は動かず

凪のような穏やかさの中に吸い込まれていく。

その水の中に浸され、

目覚めながら眠っているような

静けさと安らぎが、柔らかく広がっていく。


なのに動き始めて、想念が活動すると

不意に「大丈夫じゃない」という感覚が起こって

足元をすくう。

想念は自分のあれこれに文句を言いはじめる、

やれやれ・・・我に返って 目を閉じて深呼吸

ほら、静けさの中に戻っておいでよ。

想念の渦に流されてないで、光の方へと戻って来なさい。


その光の中には、理由のない静けさと平和があるように

想念の中にはいつも、理由なく自分や世界を責め立てる声がある。

声はもっともらしく囁くが、冷静に識別すれば

それが嘘だとすぐ分かる。

想念の声は、大抵的を外しているんだよ。


私はピカピカの豪邸に住んでも、不幸でいる事ができるし

考えうる限りの最低な状況でも、幸福で穏やかでいる事もできる。

不幸も幸福も、本当は理由がない。

ただ、私が幸福であるか、不幸であるかの違いだけ。


静けさは、いつもすぐそばにある。

外の世界がどんなに騒がしかろうが、

内なる静けさまでもを

奪い取る事は決してできない。


# by umiyuri21 | 2019-04-18 13:45 | 瞑想

Tシャツイラスト制作のご案内

c0010791_18121506.jpeg

暖かな薄着の季節がやってくると、いよいよTシャツシーズンが到来!

毎年Tシャツを制作、販売しているベリーダンス衣装店「Garam garam」さんでも今年の新作を準備中です!

近日中に発表します。乞うご期待ください。


さて、Tシャツ用のイラスト制作は個人でも承っております。

インドや中近東のモチーフ、神様や女神様、ベリーダンサー、ボリウッドダンサーetc...ご要望に合わせて、可愛らしくポップにデザインいたします★


ヨガやダンスクラスのスタジオTシャツにいかがですか?


もちろんTシャツに限らず、ステッカー、マグカップやトートバッグ、フライヤーや名刺など各種イラスト制作も大歓迎です!

お気軽にご相談ください。


【料金の目安】

白黒イラストB5-A4サイズ前後 30,000円~

カラーイラストB5-A4サイズ前後 50,000円~

名刺などのワンポイントイラスト15,000円~

発注業務も必要な場合は別途10,000円いただきます。


細かな内容、用途によって価格が異なりますので、

どうぞお気軽にご相談ください。

若山ゆりこ umiyuriko@gmail.com


過去に制作したグッズに関してはこちらをご参照くださいませ!



# by umiyuri21 | 2019-04-08 18:53 | 仕事

父なる恩寵

c0010791_21574458.jpeg


春分の日の前後1週間ほどの間に、

自分の基盤を揺るがす、厳しいパンチを連続的に受けて、

動揺した日々を過ごしていた。

ショックやら、ふがいないやら、健康上の問題も含まれていたので、

これからの自分の命に想いを馳せてみたりとか…

非常にカオスな1週間だった。


一応もう表面的には落ち着いたけど、

根本的な解決はまだまだこれから


恩寵には父なる恩寵と母なる恩寵、2種類あると言われている。

母なる恩寵は、私たちを優しく包み込んで、愛と癒しを与えてくれるけど

父なる恩寵は、我が子を崖に突き落とすような厳しさで、痛いとところをばっさり容赦なく切り落とす。


きっちり向き合ってなかったこと

甘えて誤魔化してきたこと向き合わされて

お前は本当はどうしたいんだ?と突きつけてくる。


生きていく上で起こる、様々な問題を解決するために

それなりに努力して色んなことをやってきた。

そのいくつかは、上手く行っていたように見えていたけど

根本的には何も変わってなかった。


ほとんどは、表面上の事にしか過ぎず

物事を体裁よく見せていただけで

存在としての私が変容した訳ではなかったのだ

父なる恩寵のパンチは

その事に気づかされるような、出来事だった。


それはちょうどサナギが蝶に孵化するのではなく、

サナギが蝶のお面をかぶっていただけだったと

気づく事だった。

蝶のお面が崩れ落ちたら、その下にサナギのままの

自分が残っていた。


このサナギを本当に、本物の

蝶に変容させるには

何をしたら良いのだろう?


それは、表面上のあれこれを変えるのではなくて

私の根源にある、真なる自己に触れ

それを変容させること

その事にもっと本気になりなさい、と言われた気がした。


壊れたお面を拾い上げて

つぎはぎして、色を塗り直して

再び被り直すことだってできる

もっとゴージャスなお面を見つけに行くこともできる。

でもそれは、私の魂が喜ばない

では、一体どうしたらいいのだ?



何日か迷い、うんざりしたとき

ふと浮かんだ



何もしない


何もしない?



そのままで立つ

ここに踏みとどまり、どこにも逃げず。



ただ、ここにいる

何もしないで 静かに。



私が自分の存在に触れるには、それしかなく、

サナギを孵化させるにもそれしかない



何もしない?

そう、何もしない


急に心が静まり、

多分、これが正しい答えだろうと思った。




父なる恩寵は痛い

それに感謝できるのは

もっと先の事だろう。












# by umiyuri21 | 2019-03-28 22:00 | 瞑想


日々の暮らし、旅やアート、ヨガなどについて綴っております。


by 若山ゆりこ

プロフィールを見る
更新通知を受け取る

S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30

カテゴリ

全体
ヨガ
ヨガ滞在記
仕事
オリジナル雑貨
ベリーダンス
アート
音楽
映画
旅行
BOOKS
日々の暮らし
美容
スウィート・モロッコ
瞑想
探求
未分類

最新の記事

身体という門
at 2019-08-21 22:12
心の彼方で「私」と出会う 続..
at 2019-07-29 16:34
心の彼方で「私」と出会う 
at 2019-07-25 00:14
これからのヨガスケジュールと..
at 2019-06-13 19:36
5月のヨガレッスン
at 2019-05-02 20:03
2019新作Tシャツ ナタラ..
at 2019-05-02 19:37
ダンスと瞑想の集い開催いたし..
at 2019-04-25 12:36
サイレンス
at 2019-04-18 13:45
Tシャツイラスト制作のご案内
at 2019-04-08 18:53
父なる恩寵
at 2019-03-28 22:00

以前の記事

2019年 08月
2019年 07月
2019年 06月
2019年 05月
2019年 04月
2019年 03月
2019年 02月
2019年 01月
2018年 12月
2018年 11月
more...

twitter

記事ランキング

ブログジャンル

海外生活
スピリチュアル

その他のジャンル