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インディアン・ヨガライフ 第2ラウンド~Vol.27 

「あるがまま、疑いも持たずにそのままであること、それがあなたの自然な状態なのです。」(ラマナ・マハルシ)

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「ラマナ・マジック」

 結局私達は、オートに乗って町の中心まで出向いてランチにミールスを食し、再びラマナ・アシュラムに戻って、宿を探し始めた。すでに夕方になっている。
 ツーリストは多いものの、宿泊施設はまだ発展途上といった趣で、なかなか良い場所が見つからない。オートの運転手に頼んで、適当なルームレントを探してもらうが、 アシュラムからちょっと離れると、辺は急に寂しくなり、野良犬も多くて夜はあまり歩きたくない。だんだんと日が暮れてきて、私はますますイライラしてくる。
 そういう時に限って、ジョシー先生は疲れてきたのか、場所の感覚があやふやになってきて、今日はノース・ヴェリヤナード村に帰ろうか、などど言い出す。先生頼む!ここで時空を飛ばさないでくれ。だから疲れる前に部屋を探したかったんだよ...
 
 ティルバンナマライは町の中心にシヴァ神を祀る大寺院がそびえ立ち、インド人巡礼客の目的はラマナ・アシュラムよりも寺院の方である。周囲には巡礼宿がけっこうあるらしいので、町へ行けば宿は何処か見つかるだろう。仕方ない、今夜はそっちへ泊まるとしようか。諦めて、オートに乗り込み町の中心まで行ってもらうように頼んだ。
 すると途中で、運転手があの道の向こうにも一件ゲストハウスがあるよ、と教えてくれた。連れて行ってもらうと、「ラマナ・ホーム」と書かれたそこそこ清潔そうな宿であった。あれ、ここロンプラで勧められていたので、メモしておいた宿ではないか。こんな所にあったのか。
 
  部屋はないかと尋ねるとあっさり見つかった。一泊600ルピー。
 まあ、取り立てて綺麗な部屋ではないが、汚くもない。トイレと水シャワーも付いている。窓には網戸も張ってあって、蚊に困ることもなさそうだ。
 ようやく荷物を部屋に置いて、一安心。改めて辺りを散策しに出てみると、ラマナ・アシュラムまでもほんの数分の距離であった。結局アシュラムの宿泊施設以外の場所ではベストの場所にとまれた訳だ。ジョシー先生が言った通り、部屋はちゃんと見つかった。

 そして翌日から毎日、ラマナ・アシュラムに通う生活が始まった。日課はごくシンプルであった。3度の食事の為にレストランへ行く以外は、ずっとアシュラムの中で過ごした。
 マハルシの墓石があるサマディー・ホールの裏手にはオールド・ホールと呼ばれる、アシュラムの中でもとりわけ特別な小ホールがあった。そこは、ラマナ・マハルシが訪れる帰依者たちと過ごした場所で、彼が涅槃に入る一年前まで、一日のほとんどの時間を彼はここで坐って過ごしたのである。黒い石が敷き詰められた30畳ほどのホールで、入り口には「Silence Please, Meditation Hall 」と書かれてある。
 彼が生前に座っていた長椅子はそのままに保たれ、その上には、マハルシがその長椅子に足を伸ばしてもたれている絵が置かれている。周りを、帰依者たちが取り囲み、一日中沈黙の中で瞑想を続けている。
 マハルシの身体がない、という以外は生前と同じような空間と時間が今も保たれている場所なのだ。

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 このオールド・ホールもまた、非常に印象的な空間であった。半分観光気分の巡礼者も出入りし、多少くつろいだ雰囲気のサマディー・ホールとは違って、オールドホールの空気はピンと張り詰めていて、真剣勝負の瞑想小屋という趣であった。広くない場所なので、大抵いつも人で一杯で、何日か出入りしていると、だいたい似たようなメンツが長い時間、このオールド・ホールで坐って過ごしていた。

 ここでごく簡単にマハルシが説いた教えのあらましを、ざっくりと説明したい。
 ラマナ・マハルシの教えは、とてもシンプルだ。人は「私は誰か?」という問いかけを自らの内面に続けることで「真の自己」、永遠の存在である「真我」を発見することができる。
 そもそも真我とは、手を伸ばして獲得するものではなく、すべての人間の根源に在るものである。ただ、真我を覆い隠している様々な余計な想念の束、「私は身体である。」「私は感情である。」「私は思考である。」etc...といった間違った思い込みが、真我と人を引き離しているだけだ。
 だから私達は、特別な何かを手に入れようと外側を追い求める必要はない。ただ自分の内面に奥深く分け入って行き、真我を覆い隠している曇を取り除けば良いのだ。

 私達が「心」と呼ぶもの、それがすべての想いが起こってくる源である。さらにその奥を探ると、「心」のなかに現れるすべての想いの中で、一番最初に現れるのが「私」という想いである。
 「私」を出発点にして、心の中であらゆる想いが展開されてゆく。「これは私の~だ。」「私がこれをやった。」「私はあれがが欲しい。」...という具合に。
 では、その「私」とは誰なのか?
 それをどんな時でも問いかけよと、マハルシは説く。そうすれば、「心」はすべての想いが起こる源泉にまで引き戻さる。そこに動かずに留まることで、想念はそれ以上広がることはなく、静かに穏やかになってゆく。
 その内的な探求を繰り返し続けることで、心は少しづつ簡単に源に留まることが出来るようになり、やがてはすべての想いの源である、「私」すら消え去ってゆく。
 その時こそ、あなたの中に既に存在する、真我が輝き出すのだ、と。

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 インドでは解脱を達成した聖者は、死後再び生まれ変わることはなく、輪廻から開放されると信じられている。ラマナ・マハルシも死の直前に「彼らは私が死ぬという。だが、私は何処にも行きはしない。どこに行けるというのか?私はここにいる。」という言葉を残したと言う。
 彼の伝記によれば、マハリシが亡くなった後も、帰依者たちが瞑想のうちに坐れば、生前と同じようにホールで彼の前に坐った時と同じ力、きめ細やかな愛情や導きを感じることが出来たのだそうだ。
 
 生まれ変わりの輪廻を超えた、「ジニャーニ(真我を実現した賢者)」にとって通常の時間感覚はもはやない。過去と未来の違いもない。変化もなく去るということもなく、ただ永遠の「今」だけがある。
「私は何処にも行きはしない、私はここにいる。」
 だから死の直前の彼の言葉通り、たとえ肉体を離れても、真我を実現した彼の魂は、今もこのアシュラム、そしてアルナーチャラ山に臨在していると帰依者たちは確信している。そして「沈黙」を通して、彼からの導きが受け取れることを、今も求めて坐り続けるのである。

 こう書くと、なんだか途方も無い話ではあるが、実際にその場所に坐ってみると、自然にそれが納得できてしまう、並外れた力が空間に満ちているのだった。
 もともと、「聖地」と呼ばれるような場所は、多かれ少なかれそういうエネルギーがあるのだろう。そうでなければ、これだけの人々がただ黙って坐るだけの為に、世界中から集ることはないはずだ。
 
 私も必ず毎日オールド・ホールに立ち寄り、坐り疲れると、少しリラックスできるサマーディー・ホールに移って、神殿の周りを歩いてみたり、身体を崩してぼんやりとその場の空気に浸って過ごした。
 ジョシー先生はといえば、さすがに狭いオールドホールでは、静かに坐っているが、広々したサマディーホールでは大抵黙々とヨガをしている。ともかく、感激と神妙さが入り混じって、この場所の雰囲気にすっかり持って行かれている私とは対照的で、肩の力が抜けている。気が付くとウトウト眠ってるらしいこともあった。
 夕方6時過ぎになるとサマディーホールには人が集まり、マハルシが作ったアルナーチャラへの讃歌を朗唱する時間がある。それが終わると7時過ぎで、日は既に落ちている。夕食を食べたら、もう一日がおしまいだ。

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 一日中ただ坐っているだけなのに、不思議と満ち足りていた。
 特に何かを強制されるのではなく、自由に出入り出来て、ただ坐っていられるこのアシュラムの、良い意味でのそっけなさも心地よかった。
 ここに居ると、まるで自分の家に帰り着いたような、深い安らぎと安心感を感じることができた。
 この場所にいる限り私はもう何処へも行かなくて良いのだ、そういう想いが素直にストンと入ってきた。あれをしよう、これをしようとあくせく動かなくていいのだ。ただここに坐っていればいいのだ。
  
 考えてみれば、自分の人生において、ただ黙って坐っていれば良い、などという場所にわざわざ来たことはなかったかもしれない。何処かへ行く、ということは常に何かをする為であった。何かをするということは、大小なりとも目的があり、できれば目的はつつがなく遂行されて欲しかった。できれば失敗しないで、スムーズに物事が運び、楽しかったり、タメになる何かを得たりもしなければならなかった。
 ケーララでヨガを学んでいる間中も、以前よりは減ってきていたとはいえ、もっと色々な事を学びたい、もっと教えて欲しい、もっと上手になりたいと、早る気持ちを完全に手放すのは、難しいことだった。。
 しかしここでは、ここに居る、という以外必要なことは何もなかった。それだけが、この場所の目的ですらあった。言葉もいらない、何か特別なことを聞いたり話したりする必要もなかった。
 なんという気楽さ、開放感であろうか。頭のなかに詰め込んでいた、余計な荷物をよっこらせ、と床におろせたような。
 
「できればいつまでもここに居たい。」 
 そう、「着いた瞬間にここから離れられなくなってしまう」という強い衝撃こそなかったものの、私も気が付くとそう思い始めていたのだった。
 
 ティルバンナマライのマジックにいつのまにか、引っかかてしまったらしい。
by umiyuri21 | 2014-06-12 23:41 | ヨガ滞在記


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