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あるがままの自分に瞑想する〜セルフ・コンパッションについて②

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前回に引き続き「セルフ・コンパッション」についてのお話です。この文章はダラムサラにあるチベット仏教の瞑想センターTUSHITAのオンライン講座の内容を元に、自分の感想などを加えてまとめています。


「セルフ・コンパッション」すなわち自分自身に対する慈悲の心。それは自己中心、自己愛、自己犠牲、自分に自信を持つことなどと、どう違うのかを前回書きました。


自己中心とは自分だけに関心が注がれる、自己犠牲は自分のことを後回しにする。いずれも自分と他者の間に垣根があるわけです。慈悲とはその分断を取り去ってゆくあり方です。


では具体的には、どのようなすると良いのでしょうか?


効果が高い三つの方法が挙げられています。


その1:まず自分自身に対して思いやりある言葉を投げかける。

「自分ってサイテー」「こんなことも出来ないの?」「自分が悪いから、こんな目にあうんだ!」という自分に対するネガティブワードを吐かない。


その2:その上で、今の自分のありのままの状態に気づきを向ける。マインドフルであること。ここがいわゆるポジティブシンキングとは違うところです。

今の感情、感覚に気づいて、それをしっかり感じること。


悲しいなら悲しい、辛いなら辛いと自分にとってネガティブな感覚、感情にもオープンでいることです。どんな自分であっても包み隠さず、暖かくOKであること。


そもそも「自分がダメか、ダメじゃないか」を決めているのも自分の思考なのです。だからそうした判断を一旦取り去って、今自分に起こっていることをしっかり感じて、寄り添います。


その3:さらに、起こっている感情や感覚と自己同一化しない。

私たちは何か辛い出来事が起こった時「何故自分がこんな思いをしなければならないのだ。」と考えがちです。まるで世界で自分たった一人だけが悲しみの淵に落ちているように錯覚しがちです。


しかし、それはどんな人にも起こり得ることです。大切な人やものを失う悲しみ、病気や老いにまつわる体の痛み、孤独感などなど...それらは人間に共通なものだという、当たり前の事実に立ち返りましょう。



これってやってみると実感するのだけど、すごく瞑想的なあり方なのです。

その瞬間瞬間のありままの自分に気がつき続ける。その自分に優しく寄り添い続けることは自分に対するとても深い愛情と、辛抱強さを育んでくれます。

「あるがままの自分でOK」なんて自分を甘やかしているんじゃないかなと、全く思う必要はありません。


ほとんどの場合、私たちは自分にとって都合の悪い感情や思考がやってきた場合、素直にそのままにしておくことはできないからです。


例えば私がなにがしかの痛みを伴った怒りを感じたとします。その感情は不快なので、即座に何とかしてそれを感じないように、一刻も早く立ち去ってもらえるようにあらゆることします。何か心地良いこと、美味しいものを食べたり、買い物をしたりして気を紛らわせる。そのような怒りを誘発させた相手を責める(その裏側で当然自分も責めています。)あるいは感情を押し込めてなかったことにします。


ただ「痛み」を痛みとして素直に受け入れれば、いつかは去っていきます。けれど多くの場合、「痛み」をそのまま感じることよりも、感じることを避ける方に、より膨大なエネルギーを使っているのです。ところが感情を抑圧すればするほど、それがトリガーとなり、ちょっとしたことでその感情が再発したり、人生の中で度々そのボタンを押してくる相手が現れるのです。


さて、ここでニュートラルな視点に立ち返ってみましょう。


人間として生を受けた以上、悲しみや傷は当然のように存在し、世界には痛みが満ちています。なぜ痛みが自分に起こるのを間違いだと思うのでしょう?

自分だけはそれを感じないで済まそうと、望むことの方がナンセンスではありませんか?


もしも、自分の友達が同じように痛みを感じている自分を責めたり恥じたりしていたら、きっとこう慰めるはずです。「私にも似たような辛いことがあったよ。」「誰だってそんなことはあるよ。」


自分自身の良き友でいる、ということは、そういう細やかな心の動きに、ひとつひとつ気づけるようになることです。例えそれが心地良くないものであっても、静かにそれと寄り添うことは、多分とても深い心の成熟とキャパシティを必要とします。


そして、ここが大切な点ですが、感じることとそれを行動に移すことは別物です。

怒りをあるがままに感じることは、怒りを表現してもいいということではありません。むしろ、しっかり感じることによって、今まで無意識的にやっていた「感じる」→「行動する」のループを止める選択肢が与えられるのです。


今まで、イライラするとつい周りに無意識的に八つ当たりしていた。そのループを一度止めることができたら?一人の人間を傷つける機会を一回減らすことになります。それがどれだけの連鎖をもたらすか、想像してみましょう。


そのとき「自分に対する慈悲」が「他者への慈悲」に繋がっていくのではないかと思うのです。


「あるがままの自分にOK」でいるのは、本当はとてもとても深い瞑想です。

人生で起こるあらゆることは、心を磨くチャンスになり、消しゴムで消し去るべきことなど、何一つないと気がつくのかもしれません。





# by umiyuri21 | 2020-07-01 18:55 | 瞑想

オンラインクラス 7月のスケジュール


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Tara Meditation & Yoga Online Circle

ターラ 瞑想とヨガのオンライン・サークル 7月の開催日です。


明日から7月、あっという間ですね!オンラインでの瞑想とヨガの集いをはじめて、3ヶ月になりました。3ヶ月続けると、参加してくださっている方々にも確実に変化が現れて、とても嬉しいです。


瞑想、少しづつでも続けると変わってきますよ。瞑想は自分の心を発見するプロセスです。外で起こる出来事を変えることは難しいですが、自分の心は自分で変えることができます。そして心が変われば、外側で起こることを見る目が変わります。それが結果的に外側を変えていくことにつながります。


身体の柔軟性も年齢も関係ありません。ちょっとしたコツを掴めば、誰でも瞑想を習慣化することができます。


レギュラークラス

火曜日 20:00〜21:15 瞑想

土曜日 9:45〜11:00 ヨガ、 11:30〜12:45 瞑想


臨時クラス

7月1日(水)15:00〜16:15 瞑想

※ 3人以上参加者が集まれば、時間を合わせてクラスを開催します。どうぞお問い合わせください。



★代金★

1回1,000円 

1ヶ月受け放題 4,800円


個人サポート 1回4,000円(75分程度)

瞑想やヨガの個人セッション、それらに関するトークセッション、希望者にはインド占星術のチャートを参照しながら、ご自分の人生のテーマや心の特性を読み取っていきます。


1ヶ月受け放題&個人サポート 7,800円


参加希望者はTwitterやFBのDM、コンタクト欄、またはumiyuriko★gmail.com 星印を@に変えて連絡ください。ZoomのID及び、代金振込先をお知らせいたします。直前に参加したい!と思いついた方、後払いも可能ですのでお気軽にご連絡ください。



※万が一ご連絡後、48時間以内に返信がない場合は、迷惑メールなどに入って見落としている場合もございますので、恐れ入りますが再度ご連絡ください。



# by umiyuri21 | 2020-06-30 14:10 | 瞑想

私が私の良き友となる〜セルフ・コンパッションについて

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世の中は徐々に通常モードに戻っておりますが、私は今もおうち時間主流です。ステイホーム期間にダラムサラにあるチベット仏教の瞑想センターTUSHITAのオンライン講座を受けたら、以後次々にお知らせが来て、継続して色々なオンライン講座を受け続けています。基本的にはドネーションオンリー、インドがロックダウン中だからという主な理由はありますが、心をどのように扱うかという知恵が、今とても必要とされていることを深く感じているのだろうと思います。


私にとっても家に居ながらにして色々な講座を受けられるのは、本当にありがたい限りです。いつも世界中から100人以上の受講者がいます。


そうした中、最近たまたまなのか「セルフ・コンパッション」という言葉を続けて聞くようになりました。ちょうど今も、そのTUSHITAで「セルフ・コンパッション」をテーマにしたオンライン講座が開催されています。


「セルフ・コンパッション」翻訳すれば自分自身に対する慈悲の心、という意味です。慈悲という概念は意外と掴みにくいものだと思います。愛とはどう違うのかといえば、特定の対象や条件のない愛が慈悲と言えるかと思います。愛の純化された形、私たちが本来持っているハートそのものの働きと言えるのかもしれません。

つまりは「生きとし生けるもの全てに対する愛情、思いやりの心。」生きとし生けるもの全てに向けられるのだから、もちろん自分自身への慈悲も含まれるわけで、だからそこから始めましょうということです。


正直言って、最初は自己愛とか自尊心とかそういうものだろうと、軽く流していたのだけど、何度か話を聞く機会を重ねるうちに、実はこれはなかなか深いのではと、思うようになりました。以下は今まで聞いたお話を総合しながらまとめています。



自分に対する慈悲の心、それは自己愛、あるいは自己中心的態度とはどう違うのか?自己中心とはまさに自分のことしか考えないことです。自分の欲求を逐一叶えてあげることは自分に対する慈悲とは違います。自己中心的な態度は、自分の欲求が満たされればいいだけで、他人のことまでは意識が回りません。


逆に自己犠牲とは自分への思いやりを一番後回しにすることです。スピリチュアルな人ほど「エゴをなくす」という固定観念が先立って、自己を否定する態度を取りがちです。もし自分を犠牲にして他者ばかりを優先するなら、それもまた自分に対しての慈悲の心を欠いていることになります。その時は往々にして「自分を犠牲にしてやっている」という押し付けがましさにつながりやすいかもしれません。


そしてさらに、自尊心や自分に対する自信とも微妙に違うものです。自分に対する自信は、他者との比較で成り立っている場合が多いからです。「〇〇ができる自分はすごい!」は出来ない自分や他者との比較が根底にあります。もし、それができなくなったら、簡単に「ダメな自分」に逆戻りです。そうならないために常に自分を上げ続けることになります。現代社会ではそれが奨励されてはいるけれど、休みなく自分を追い立てるあり方は慈悲深いとは言えません。


セルフ・コンパッションはそういうものとは全く逆のベクトルにあります。セルフコンパッションの定義というのがあり、「自分が傷ついた時、自分にとって一番大切な人をケアするように、自分をケアすること。」だそう。個人的にはセルフ・コンパッションとは「自分を一番大切な友として扱う」というのがしっくりきます。


自分を一番大切な友として扱う、これがなぜか私たちにはなかなかできないのです。


もしも自分がとても落ち込んでいるときに、友達にどう接してもらったら嬉しいと思いますか?少なくとも「なぜ出来ないの?」とか「落ち込んでるあなたってサイテーね。」とか「もっともっと頑張らなきゃ」て言って欲しくないですよね。


私にとって、最高の友とは、自分があるがままの自然体でいることを受け入れてくれる友だちかなと思います。どんな時も、例え自分がどっぷり落ちていていようと、少々落ち着きなく舞い上がっていようと、そのあるがままにOKでいてもらえる。


そうだというのに実際は、私は自分に対してとてもとても口やかましくなってしまうのです。そして自分に口やかましいから、他者にも口やかましくなって、ついダメ出しをしてしまうのでしょう。


では、自分自身に対して慈悲を持つとは、具体的にどうしたら良いのか?


長くなりそうなので、次回に続きます!


オンライン瞑想&ヨガクラス開催しています。瞑想の実践とともに様々なトピックを参加者のみなさまとシェアしています。詳しくは下記をクリックしてください。









# by umiyuri21 | 2020-06-27 15:41 | 瞑想

身体という自然の声


相変わらず、人と会わない生活を続けている。


とはいえちょいちょいオンラインで会話はしているので、特に不都合は感じない。逆に人混みにも出ず、直接人と合わないと、エネルギー的に影響される事が少ないせいか、小さなことに感覚が開いていく感じがある。


家で過ごす2ヶ月半の間に、部屋に植物がたくさん増えた。朝は植物の水やりから始まる。梅雨前の朝の空気は明るく澄んでいて、水をかけた葉っぱがキラキラ光る様子に癒されて、それから軽くヨガをして瞑想するのが日課。


今は窓を大きく開け放てる季節だから、座っていると、遠くから色々な音が聞こえる。

電車の音、車の音、海が近いから時々霧笛も。

隣の家の子供の声、いつもテンパってるお母さんの甲高い声、そこにウグイスの鳴く声が響く。


風が窓を叩き、皮膚の上を通り過ぎ、髪の毛を揺らして頬をくすぐる。

思考が雲のようにどこからか湧いては流れてゆく。

昔の切ない記憶が思い出されると、胸が締め付けられる感じがする。

いつまでも許せない怒りは腹のあたりでくすぶっている。それから朝は何を食べようかなと考えたり、今日しなければならないことを考え始めた事に気がついたら、それを手放してやる。



それらは私の周りにしばらく漂って、去っていく。

でもしつこく居座る感覚や思考もある。

時に私をイライラさせるが、それもいつかは必ず去っていくだろう。




インドを旅しているときに、ティルバンナーマライで出会った方から頂いたOSHO の「Talking to Your Body Mind 」という誘導瞑想の音源がある。


実はこの瞑想の趣旨である体の声を聴けたことはほぼく、大抵途中で寝落ちしする。

逆にその特性を利用し、寝つきの悪い夜のお供として、もう数えきれないほど繰り返している。( その中で最後まで途切れず聞けたのはほんの10回くらいかも。)


その冒頭でOSHOが語る。


あなたに近づいたもっとも親しい自然

あなたに訪れたもっとも親密な神

それは身体を通してだ


「体はあなたに近づいた最も親しい自然。」

最初に語られる言葉なので、その時点ではまだ起きていて、それこそもう呪文のように何回も聴いていて、うんうん、そうだよね、と思っていた。

いや、正直に言えば、特に心も動かされず聞き流していたと言ってもいい。

体も自然の一部なんてよく聞く言葉だから。



ところがある朝、いつものように座って、私の周りにやって来ては去ってゆくものたちに耳を傾けていたら、我に返ったのだ。


「体は私にとって、もっとも親しい自然。」


まさにその通りだった。私は自然と共に生きている。

数年にも渡って聞き流していた言葉が、突然耳に響く。

私は体という自然といつも一緒だということに。


この体の中に大地があり、海があり、空があり、星々がある。

空を風が抜けていくように、体の中を呼吸が通り過ぎてゆく。

体には体の知恵があり、生命の流れに貫かれている。


ふと、森の真ん中に座って木々の息吹を感じるように、自分の身体の感覚や振動をそのままに感じてみる。


それはチリチリと弾けるようで、生き生きと波打っていて、ただ無邪気な素直さで、この世界の只中に存在していた。

たとえ朝、どんよりするような気分であっても、死にたくなっても、体は変わらず呼吸をし、絶望している様子もなく、エネルギーに満ちていたのだった。


蕾が時を得て勝手に花開くように、私が体の声を聞こうが聞くまいが、体は体でちゃんと生きているのだ、と思った。

彼方からやってくるプラーナが心臓を動かし、その存在が命の面倒を見ているのだから。

そして開いた花が自然に枯れて落ちるように、時間が来ればこの体も土に還ってゆく。


この体もまた、思考や感情と同じく期限付きだ。


毎朝が私が目を覚まし、今日も限りある体を持って生きているということは、本当はとてもとても不思議なことだ。

そんなこと、今まで考えてもみなかった、その驚きにふいに包まれてしまったのだった。


実は瞑想中って、こういう直感的な感覚が急に降りてきて、勝手に感動してしまうことがよくある。

後になると、で、一体何にそんなに感動していたのだっけ?と思うこともけっこう多い。

実は今もここまで書いてきて、う〜んやっぱり言葉にするとイマイチかもと...(笑)


多分これって、言語化できない、思考を超えた理解なんじゃないかな。

頭で捉えようとすると、するりと逃げてしまうけど、内側の深い土にぱらりと蒔かれた種。

いつか、然るべき時に大きく芽吹いて顔を出すかもしれない。


それまでは無理に掴まずに、放っておこう。







# by umiyuri21 | 2020-06-10 12:48 | 瞑想

オンライン 瞑想とヨガのクラスを再開いたします!

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手術のためにヨガクラスをお休みししたのが、去年の8月。それからだんだん体調も回復してきて、クラスをどのような形で再開するか考えていた折のまさかのコロナ禍。

しかしそのおかげでオンラインで瞑想会を開催するという企画を友人から提案していただき、FBの友人限定で2ヶ月ほど続けてまいりました。移動時間もかからず、遠く離れていても気軽に参加できるオンラインクラスの良さに気がつき、この度オンラインにて、瞑想とヨガのクラスを再開することにいたしました!どうぞお気軽にご参加くださいませ。


【Tara Meditaion &Yoga Online Circle  ターラ 瞑想とヨガの集い】

火曜日 20:00~21:15 瞑想

土曜日 9:45~11:00 ヨガ、 11:30~12:45 瞑想


★代金★

1回1,000円 

1ヶ月受け放題 3,800円(6月は月の途中から始めるのでお試し価格とします。)

1ヶ月受け放題&個人サポート付き6,800円(60分のプライベート・セッション&メールでのやりとりなどで、個人的にサポートしたします。)

個人サポートのみ 1回 4,000円 (60分程度)

瞑想やヨガの個人セッション、またそれらに関する質問などに対応します。


参加希望者はFB、Twitter経由またはumiyuriko★gmail.com(★を@マークに変えて)までご連絡ください。ZoomのID及び、代金振り込み先をご案内いたします。


万が一ご連絡後、48時間以内に返信がない場合は、迷惑メールなどに入って見落としている場合もございますので、恐れ入りますが再度ご連絡ください。



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昨日までインド、ダラムサラにある「TUSHITA」というチベット仏教の瞑想センターの主宰する、1週間のオンライン瞑想講座を受講しておりました。「The Science of Happiness Through Meditation(瞑想を通して幸福を科学する)」というテーマで、とても実践的な瞑想講座でした。


「瞑想の最終的な目的は、単にいい気分になったりすることじゃなくて、心のシステムを変容させる事。」と先生は念を押しつつも、チベット仏教の教えをベースとしながら、比較的即効性のあるヴィジュアライゼーションや誘導を使った洞察瞑想などを学びました。


最近はマインドフルネスブームもあって、いわゆる「悟り」を目指す瞑想ではなくて、メンタルマネジメントとしての瞑想、この現実世界で幸福感を持って、ストレスを減らして前向きに生きていくことを焦点に、様々な瞑想法が紹介されています。特に欧米では、瞑想が脳にどのような変化をもたらすか、健康や人間関係にどんな効果を与えるかという、科学的な研究や検証が盛んに行われているようです。

受講しているのも、ほぼ非仏教圏の人たちでした。ヨーロッパや南米、北米、インドと様々な国の人々が参加していて、ディスカッションタイムが楽しかったです。


瞑想のいいところは、すぐ始められる、お金がかからない、一人でできる、身体能力や年齢も関係ないってところかな。でも続けていくと確実に変化していきます。

ただ、独学でやっているとモチベーションを継続させるのも大変ですし、何と言っても心を見る作業ですから、色々なことが起こったりもします。そういう時に、経験をシェアしたり、質問したりする場所があれば道を歩くのも楽になります。そしてグループでの瞑想は、たとえオンラインでも、エネルギーが呼応して集中しやすいと思います。


この「ターラ 瞑想&ヨガ・サークル」がそのような場所になればいいなと願っています。落ち着いたらオフラインクラスも開催いたします!


ターラ仏は慈悲を司る菩薩としてチベット圏ではとても人気がありますが、同時にエンライトした女性性のシンボルでもあります。グリーンターラは片足は瞑想の姿勢をとり、もう片方の足は前に出し、助けを必要としている人がいたら、即座に行動する準備ができています。空と現象世界の両方に足をかける姿は、愛と智慧が統合された状態を体現しています。

新しい時の流れの中で、内なる智慧を共に育んでいけますように。



# by umiyuri21 | 2020-06-06 19:04 | 瞑想

心を見つめる、稀有な時間

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前回の記事から数週間、目に見えない極小の生物は瞬く間に世界に広がり、大変な事態となっております。皆様ご無事でしょうか?


とうとう都内でも週末は外出制限のお達しがなされて、じわりと緊迫した空気が濃くなってきました。私も可能な限り不要な外出はしないように過ごしています。


人に会ったり、人混みに出かけるたびに身構える日々、一番安全なのは一人で家に篭ること。こんな事態は、少なくとも自分が生きているうちは、後にも先にも今しかないに違いありません。世界中が一斉に立ち止まって、否が応でも内を向くしかない時間。きっと何か理由があるのでしょう。


私の場合ちょうどインドから帰国して2年経つのだけど、日本に戻ってからはずっと半分引きこもりみたいに暮らしていました。何故か引きこもらざるを得ない出来事が次々と起こるのです。今回も胸の手術が終わって数ヶ月、体調も安定してきたから、そろそろヨガ教室も再開して、と色々計画してたら、またも予想だにしないことが起こってしまいました。


引きこもりライフは慣れたもので、じっくり瞑想したり、最近勉強始めたインド占星術やタロット、絵を描いたり、読書とやることは沢山あって、暇を持て余すということはないのだけど、このスタック期間が長すぎて、いい加減にしてくれと毒づきたくもります。


でも、先日ふと思い立ったのは、これはもう完全に根本的に生き方を変えろというメッセージかもしれないなって。今回の出来事があって、多分多くの人が自分の今までの人生を振り返ったりしていると思います。


私もいかにこの生活が脆弱な経済基盤の上に成り立っていたかを思い知りました。もちろん自分がそういうことに無自覚でいたという「自己責任」もあるのだけど、それだけではなく、そもそものこの社会構造にも起因している部分もあるわけで。でも結局この社会構造は、人間一人一人の心のあり方から成り立っているんですよね。社会という大きな建物を作ってるのは、人間という小さなブロックなのです。


今までは何かをやろうとしても、そうした既存の構造(社会構造だけでなく自分の精神的な構造も含めて)の上に建物を建てようとしてた。それを今一度ザクッと底から掘り起こす必要があるのではないのかなと。

占星術的にもそういう時期が来ているのは感じてはいたけど、こんな形だったとは。


そうした流れの中で、マイロハスというWEBマガジンで、「心のコリをほぐす、マインド筋トレ」という連載を始めることになりました。体と同じように心も整えられる、というコンセプトなので、主にマインドフルネス系のお話が多くなると思います。瞑想→精神世界というイメージを払拭し、しなやかで自由な心の作り方を、様々な角度から取材し、紹介していきたいと思います。


こんなバタバタのタイミングでのスタートですが、今こそこういう知恵がものすごく必要になっていると実感しています。今後は具体的な瞑想方法なども紹介していきますので、皆様の日々の内観、心のストレッチに役立てていただけたら嬉しいです。


今だからこそ自分の制限をがっつり取り外して、新しい生き方を模索できるチャンスだと思います。

自分の制限を取り外す、というのは言葉で言うのは簡単ですが、一番大きな制限は「自分」という境界線だと思っています。自分が自分だと思っているこの境界をしっかり見つめていくと、自分が勝手に作った観念でしかないと分かります。


これを取り除くとき、自分を超えた大きなものの眼差しで、世界を見ることが可能になる。そうすれば「自分」という成層圏を突破したところにあるものが、この体に流れ込んできます。


時代は今、そのくらい大きなシフトチェンジを求めてるんじゃないかな。








# by umiyuri21 | 2020-03-26 18:00 | 瞑想

心という小さな家、世界という大きな家

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何だか世の中は、とても大変な空気になっています。

インドではとうとう日本人(中国、イラン、イタリア、韓国も)に対してビザの発給を一時停止しました。この騒ぎが収まるまではインドに行くことはかないません。

ウィルスの恐怖は人を分断します。見えないから疑心暗鬼になってしまう。親しい人すら疑わないといけないのだから、不安と恐怖で人と人がますます分離していきます。


しかし今、心が不安や緊張にいっぱいになったことろで、私たちが現実に対処できるのは、マスクを着用したり、手洗いやうがいを徹底すること、人が密集する場所に行く頻度を減らすということぐらいしかできません。活動的になりようもないのだから、自分の内側を見つめて行くにはぴったりの時期ですし、そういうことを促されているようにも感じます。


以前バリー・カーズィンさんというアメリカ人医師でチベット仏教の僧侶の方のレクチャーに参加した時、バリーさんが「家に帰る」というテーマで、印象的なことを語っていました。私たちの最も小さな家は「心」であり、最も大きな家は「世界」だということ。私たちが世界という大きな家をケアすることと、心という小さな家をケアすることは繋がっているというお話でした。

よかったら以前書いたこちらの記事を読んでみてください。

この時は環境問題をテーマにしたお話だったので、日々の生活の中で環境に気を配る、マインドフルネスな行動が地球を守ることに繋がっていくという内容でした。


ある日、この話をふと思い出し、今自分が、大きな家である世界のためにできることは、心という小さな家を整えることだと感じました。私は今、現実的には世界のために大したことはできません。そもそも外出するなという状況なのですから。だったら、無駄な心配はやめて、心静かに祈ろうと思いました。

人の心は共鳴しますから、パニックはパニックを呼びます。パニックは人を不安に陥れ、人を疑い、憎しみと怒りに導きます。不安はウィルスと同じで目に見えず、心の中で勝手に増幅します。

逆に心が静かでいる人が一人いれば、それが伝わって隣の人も平静でいられるかもしれません。そうすれば起こったかもしれない争いや憎しみが、ひとつ減るかもしれません。でも、それはウィルスを気にしないとか、何もしない、というのとは違うと思うのです。

「あなたの職務は行為そのものにある。決してその結果にはない。行為の結果を動機としてはならない。また無為に執着してはならぬ。」

このバガヴァット・ギーターの精神は今、結構大切ではないかなと思うのです。今自分ができる最善を行い、あとは心静かでいる。そして可能な楽しみは自粛しないで、淡々と生活するだけ。


もうひと押し何かしたいなと思ったら、マントラを唱えたり、慈悲の瞑想や世界平和の祈りとか、自己流の祈りでもなんでも良いのかもしれませんが、自分の内から外へ、ポジティブなエネルギーを流してみるのも、心が整います。マントラは厄災を防ぐ Mahamrityunjaya mantra 、心の平和を促す Lokah samastah sukhino bhavantu などが良いかも。聴くだけでも効果あります。

私も朝の瞑想の前後に祈りやマントラを日替わりで行っていますが、かなりいいですよ。エネルギーがぱりっと浄化されるのが分かります。手を消毒する気分で心も洗い流すような感じです。


今日、この世界の生きとし生けるもの全てが

幸せで平和でありますように


ありがとうございます。




# by umiyuri21 | 2020-03-04 21:00 | 瞑想

私という深き問いかけ〜ニサルガダッタ・マハラジ「意識に先立って」

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前回ラメッシ・バルセカールの「誰がかまうもんか?!」について書いたが、ニサルガダッタ・マハラジは彼の偉大なグルである。


マハラジの代表作である「アイ・アム・ザット」は随分前から持っていたけど、ものすごく分厚い本で読みにくく、マハラジの突き放したような物言いが、取りつくシマもない感じがして、なかなか読み切ることができず、ずっと苦手意識を持っていた。

しかし「誰がかまうもんか?!」を読んでからは、マハラジが言わんとしているポイントがぐっと掴みやすくなり、割とするする読める様になった。ようやく、数年がかりでほどんどの部分に目を通せたので、今は晩年の講話集「意識に先立って」を読んでいる。

「意識に先立って」はマハラジの最晩年、喉頭癌の痛みに耐えながら行った講話を収めており、所々にはっきりと死を見据えた発言や、身体的な苦痛を訴える言葉が散見される。「アイ・アム・ザット」の頃は、探求初期にある弟子の身近な質問にも丁寧に答えていたが、もうそんな余裕はなく、死ぬ前に大切なことだけ伝えておく、理解できない人は帰りなさい。という気迫に満ちていて、それが胸を打つ。


一般には「アイ・アム・ザット」より抽象度が上がっているので、難解と言われているのだが、余計な部分がそぎ落とされてエッセンスが凝縮されており、分量も少ないので、私にはこちらの方がすっと本の中へ入っていけた。何より、死を直前にして「これだけは伝えたい」という熱量が行間からあふれ出ており、読んでる方も逃すまいと、つい真剣になる。

「意識に先立って」のあとがきの中で訳者の高木悠鼓氏が書かれているが、このニサルガダッタ・マハラジやラマナ・マハルシ、ラメッシ・バルセカール、プンジャジなどに代表されるインドの非二元系の教えは、便宜上宗教とかスピリチュアルに分類はされるが、実は非常に厳密な科学的なアプローチである。


探求、調査、研究される対象は「私」と「世界」のかかわり。

「私とは一体何者なのか?」ということを徹底的に問いかけていく。


私とは一体何か?私はどこからやって来て、どこへ去っていくのか?

ものすごくシンプルで根源的な問いかけなのだ。


小さな頃、誰もが一度くらいは、そんな素朴な問いを投げかけたことがあるのではないだろうか。私は一体どこからやってきたのか?死ぬとはどういうことなのか?私は何故、何のために生きているのか?

親や学校の先生は、彼らが生きている社会や宗教の常識や規範に従って、私たちにそれを教えてきた。精子と卵子が受胎して胎児になって母親の子宮から生まれたという解説もできるし、人間はダーウィンの進化論に沿って進化してきたと説明きるかもしれないし、インドならカルマや前世の考えがあり、キリスト教なら罪や天国や神の考えからその答えを子供に言うかもしれない。

何のために生きているという問いには、社会で成功するため、家庭を持って繁栄させるため、人の役に立っため、幸せになるため、今なら自分の好きなことをするためとか、いずれにせよそれは、時代や地域性に限定されている。


そうした言葉を心に刻みつけて子供は大きくなり、それに従って生きていく。それで上手くいくなら、しばらくは何の問題もなくそのまま人生は送られていくだろう。

でもいつか、人はふと立ち止るのだ。

「それって何か違う気がする。本当のことが知りたい。」と


ラメッシ・バルセカールならそこに探求者の自由意思はなく、探求が自然に起こると言うだろう。探求が始まるのに理由はいらない。もちろん人それぞれに色々な理由があるだろうけれど、結局それは突然起こり、これぞれ固有の運命に従って展開していくだけだ。

探求は色々な形で起こる、ヨガや瞑想に熱中したり、マントラや祈りを唱えたり、座禅を組んだり、スピリチュアルなセッションを受けたり、グルを探す旅に出たり、アシュラムに入ったり。

そこで神秘的な体験が起こったり、至福に酔ってもう大丈夫だと思ったり、そして再び惨めさに転げ落ち、「さらにもっと何かがあるはず」と探求を続ける。


この本を読みながら、ふと感じたのは、私は物事を複雑に難解にしていたけれど、探すべき場所は拍子抜けするくらいの足元、子供の頃に時折感じていた不思議な虚空の、あの彼方なのではないかと。

目が覚めた瞬間のあの空白の時間。

よく知った風景をじっと凝視していると、急に見知らぬ風景に見えて、目を凝らした驚き。

かくれんぼをしていて、押入れの中の暗闇で息を潜めていた時の深い静けさ。

森の中を散歩する時に感じた、全てが溶け合ったような穏やかな至福。


そこにいたのは誰だったのか?名前なく年齢もなく国籍も性別もなく、私が体だという意識もなく、自分が美人だとか醜いとか、頭が悪いとか賢いとかいう認識もない。

けれど、確かに自分はいる、と言う感覚

その私は何者なのか?


その誰でもなかった私は、いつのまにか体や名前、性別や国籍を自分を同一化して、「これは良いけどあれは悪い」「私はこう言う人間だから、こうしなければいけない」「あれをしてはいけない」「幸せとはこういうもの」と色々と余計なものを後付けしていっただけなのだ。

自分自身を「あれです、これです」と概念で分割する前、私とは一体誰だったのか?様々な概念で無数に分割される前は、私は制限のない自由な存在だったのではないか?それらの後付けを全て取り去った時、残るのは何か?

探すべきはその場所、その一点のみだ。


「ここであなたが得る唯一の知識は真我の知識だ。それはこの世で生計を立てるのには役立たないことだろう。自分の本質は何かという観念をあなたはもっていないのだろうか?あなたは自分が何でないかを理解したのだから、自分でないものについて関心をもつべきではない。そのことは明確だろうか?」

私とは本当は何なのか?そんなことを問いかけ続けたって本当に飯のタネにも何もなりはしない。子供が親にそんな質問をしたら、「バカなことを考えていないで、宿題でもしなさい!」と叱られてしまいそうだ。そんな命題を人生をかけて探求し、人々に説き続けてきたインドの賢人達ってやっぱり度が過ぎてるなあと思うのだ。

けれどまさに「私」という存在こそ世界と向き合う基盤そのもの。だから私を掘り下げることは世界全体を掘り下げることに繋がっていくのだと思う。


本文の口絵に、最晩年のマハラジの写真が掲載されており、私はその強烈な眼差しから目が離せなくなってしまった。その写真とともにマハラジの言葉を追っていると、彼がやがて移行するだろうその虚空へ引き込まれていく。もちろん厳密には彼はどこかに行くわけではないが...

その虚空は私たちがやってきた場所であり、今もまたそうであり、未だかつて一度も離れたことのない場所。来ては去っていくのは身体で、そのスペースは決して変化することはない。

死とはなんて驚くべき神秘なのだろう。


「あらゆる人が死ななければならない。だったら、自分の本質として死になさい。なぜ肉体として死ぬのか?自分の本質を決して忘れないようにしなさい。そのことは多くの人たちには受け入れられないかもしれないが、それが事実だ。
 もしあなたが野心をもたなければならないとしたら、最高の野心をもちなさい。そうすれば、少なくとも死ぬ最中に、あなたは絶対になることだろう。今、断固として信念を持って決意しなさい。」


 

思い起こせば私の探求が突然始まったのは、2011年の震災の後だった、多くの死を目の当たりにした時に、理由もなくそれは起こり、背中を押され続けて、気がついたら今日まで来ていた。

そして今、世の中はあの時と似た重い死の空気に包まれている。こういう時、人の存在は揺り動かされ、裂け目が生じ、幾割合かの人々が探求に駆り立てられていくのだろうと感じたりしている。


「私」とは、そして生きることと死ぬことは何かを探しに。


ニサルガダッタ・マハラジについて興味のある方はこちらの動画がおすすめ。英語ですがいい映画です。

Rays of the Absolute







# by umiyuri21 | 2020-02-23 22:22 | 探求

自由意志はあるのか?

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お正月に弟に会って、ちょっとホロスコープを見てあげたら、結構当たってると驚かれた。超初心者の見立てであったが、身内は星の象意を特定しやすいから他の人より読みやすいのだと思う。占いにあまり縁のない弟は何気に驚いたらしく、運命って決まってるのかなと色々尋ねてきたので、そのままカルマとかのインド哲学の話になったりして、分かりやすい動画送るよとYouTubeで調べはじめたら、結構面白くなり、ミイラ取りがミイラになって、久々にラマナ・マハルシなどの動画を見漁ってしまった。


インド占星術では運命7割、自由意志3割と言われているけど、ラマナ・マハルシは全てが決まっていると講話集の中で述べている。


「何であれ起こらない運命にあることは、いかにあなたが試みても起こらないだろう。何であれ起こる運命にあることは、いかにあなたが避けようとしても起こるだろう。これは確実である。それゆえ、最善の策は沈黙にとどまることである。」(ラマナ・マハルシ)


起こるべきことは起こり、起こらないことは起こらないのだからジタバタしても無駄、と。


この全てが決まっている、自由意志はないという考えを、さらに強調して教えたのがニサルガダッタ・マハラジの弟子だったラメッシ・バルセカールという方。銀行の頭取まで務めたエリートで、退職後マハラジと出会って覚醒し、教えるようになった。


彼の著作は読んだことがなかったので、いい機会だから「誰がかまうもんか?!」を読んでみることにした。

多分今読むべき時だったのだろう、かなり引き込まれた。

なかなか押せなかった自分の再奥にあるスイッチを、カチッと押してくれたようだ。


自由意志が全くないと言うと、人は大抵拒否反応を示すが、逆を返せば全てが決まってるのだとしたら、好きな事を好きなようにやっても、決して間違えようもないということになる。もちろんだからといって全てが上手くいく訳では当然なく、失敗や損失が起こっても、そこに自分の責任はなく、予め決まっているということだ。

それは人生をシンプルで平和で、リラックスしたものにしてくれる。


何故なら私たちは、いつも人生と自分と世界と戦っているからだ。

私も自分の選択が間違えるのではという、大きな恐怖を抱えて生きてきた。

やるべき事をやらなかったり、間違った選択をして失敗したり、それによって手に入るべきものを失ったり...つまり自分の責任で、人生が失敗するのでは、という考え。

だから時に過去を悔み、未来を大いに心配し続けてきた。


でも自由意志が全くないとしたら、何も心配する必要はない訳だ。

これって実はものすごく自由なことじゃない?

自分は間違えてるかもしれないって恐怖がなくなるのだから。


「人は自由意志をもっていません。でもだからといって、あなたがどんな瞬間にも自分の好きなことをすることの妨げにはなりません。ですから、どんなときにも自分がしたいと思うこと、するべきだと思うことをやって人生を楽しんでください。それがその瞬間の神の意志です。でも、自分の意志が実行された時の結果は誰にもわかりません。ある時は良い結果で、ある時は悪い結果で、どんな人もそれを受け入れることしかできません。それを受け入れれば、罪悪感、プライド、憎しみ、嫉妬から解放され、人生は平和になります。」(ラメッシ・バルセカール)


インド占星術を学びはじめて数ヶ月経つ今、この考えはかなり抵抗なく受け入れられる。

自分の過去の出来事を星の運行と照らし合わせるほどに、どう考えても自分は星の通りに生かされていると思うしかないから。


インド占星術では自由意志3割の部分をマントラや奉仕による自己浄化、ムフタールなどの吉日選定やプージャなどによって改善する方法が用意されている。でもマントラによって運命が改善したということすら、初めから決められていた脚本と考える事もできる。


自由意志がないと言っても、好きなことが何もできないのではなく、好きなことをすればそれが神の意志ということだ。それを見せかけの自由意志とラメッシは述べている。



ラマナ・マハルシやニサルガダッタ・マハラジ、そしてラメッシ・バルセカールらの説く.非二元論の考えでは、私たちはたったひとつの意識によって生かされている。全てはその内側で起こっていることにすぎない。この世界は内側で発光するスクリーンに映し出された3D映画のようなもの。この身体が主体で外側が対象なのではない。


この世界の全て、目の前にある部屋の風景

パソコンの画面、キーボード 目に映る指先

お尻に触れるクッションの感覚

内側の呼吸の感覚、胃がグルグルいう感触

頭の中で浮かぶ文章、心で起こる感情

私だと信じているこの体、そして向き合うあなたも

全て意識というスクリーンに映し出された映画だとしたら?


脚本はすでに書かれており、私たちはそれに従って演技させられているだけ。

行為している者はいなく、行為だけが起こっている。


とするなら占星術が示すのはその脚本のネタばらしだ。

マクトゥーブ、すべては書かれている、スーフィーではそう言うし、

インドでもこの世界は神のリーラ(遊戯)だと言う。

実際にラメッシ・バルセカールもナディ占星術(アガスティアの葉のような占術)の鑑定で自分のスピリチュアルな進展のプロセスをドンピシャで当てられたそうだ。


この世界の登場人物は、意識のスクリーンの上で演技をしている俳優なのだと考えると、そうしたら、人間に優劣はなく、間違っている人も正しい人もいなくなる。賢者と呼ばれる人は、きっと賢者としての役割を、ただ自分が演じさせられるままに、楽しんでいるのかもしれない。


そしてもし、誰かが私を傷つけるような事を言ったり行ったりしたとしても、傷ついた私も傷つけた誰かも同じ源からやってきたに過ぎず、ただそれらが起こる事によって、痛みや怒りや対立のような場面が演出されているだけと言える。

それはなぜか?ストーリーは脚本を書いた存在だけが知っている。


自分の世界観がガラガラっと反転して、なんだかものすごく、全てが軽くなり、世界に対してじんわりと愛おしさが湧いてくる。


まあ今は、星の配置も過激で、社会の構造が大きく変わると言われているのだから、私の世界の構造もひっくり返ってもおかしくはない。


という訳でこの本は私に静かな衝撃を引き起こしている。これを読んだだけでは当然「そうは言っても...」と色々な疑問が湧くはず。本ではもっと理論的に丁寧に述べられております。

興味のある方はぜひご一読ください。Kindle Unlimited で読めますよ。(でも紙の本が欲しくなってしまった。)











# by umiyuri21 | 2020-01-15 21:12 | 探求

2020年 明けましておめでとうございます!

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明けましておめでとうございます!

今年も自宅で静かに過ごすお正月です。去年からインド占星術の勉強を始め、星の動きを良くチェックするようになりました。トランジットや自分のダシャーの流れを見ながら、今年はこんな感じだろうかと予測するのも楽しい勉強のうちの一つ。

2017年末からトランジットの土星が、私の第一ハウスに当たる射手座入っておりましたが、1月24日にようやく隣の山羊座に抜けてくれます。トランジットの土星は約30年で12星座を一周するので、ちょうど30年周期のスタート地点に当たっていたんです。

ということで、なかなか厳しめな数年でした。現実に向き合わされることが多く、重かったなあ。私の場合アセンダントに金星が重なってるせいもあってか、楽しみや美意識を感受する金星が土星の圧を受けてよりストレスを感じるのかも。


30年前もちょうど就職活動~入社という時期で、厳しい現実に向き合わされるという状況は全く同じ、星のサイクルってやっぱり面白いなあと思います。3年弱土星に乗っかられるとようやく慣れてきたのか、押さえつけられているという感じがなくなってきて、この現実の中で最善のためにどう対処していくかという前向きな思考が生まれつつあります。今年は飛躍するというよりも、しっかりと力を蓄える時間になるだろうなと感じています。

まあ、ダシャー的にはまだ落ち着く感じじゃないから、変化に耐えうる土台を固めるイメージ。社会的にも今後大きな変化が起こっていくだろうという予測もあります。自分の中心に意識をしっかり引き戻して、ちょっと引っ張られるようなことがあっても、いつも戻れる家を作っていく。(内側も外側も)


私のホロスコープは放浪体質が強め、すぐに何かに心酔してしまう。それは集中して対象に深く入るという点では良いけれど、対象側のマターに引っ張られやすい。それが物ならいいけど、人間だと面倒なことをよく引き起こします。それも、自分のホロスコープを追っていくと全部出てきて苦笑いしちゃった。そういう時、ちゃんとパターンに気がついて、相手のマターじゃなくて、自分のマターをしっかり聞いて軌道修正する。

それは自己中心的というよりは、相手に依存しない体制を作るわけだから、結局自分にも相手のためにもなるんだろうなって。今年はよりそこに意識的になりたいな。


お休みしていたヨガクラスも月一ベースにして、春頃には再開したいと計画しています。生活の中でヨガは続けていますが、クラスがないとモチベーションが上がらないのか体もどんどん硬くなってしまいますね。

本年度もどうぞ宜しくお願いいたします。

みなさまにとっても、より良き一年でありますように。


# by umiyuri21 | 2020-01-01 21:00 | 日々の暮らし


日々の暮らし、好きなこと、瞑想やヨガなどについて綴っております。


by 若山ゆりこ

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