今日は引っ越し

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今日は引っ越し。

だいたい片付け終わって、引っ越し屋さんを待っている。


今まで住んでた家を立ち去るときは、何はともあれちょっとしんみりする。

荷物を片付けながら、昔のノートやら思い出の品々が出てきたりするし。


この数年、ひたすら身軽になろうと荷物を捨て続けてきた。インドにいる間は一畳のトランクルーム荷物を入れて、入らない分は捨てたり置いてきたりしてしまった。だから今年の春にシェアハウスに越した時は、大きな家具は机と椅子だけで、家電製品も何もなかった。シェアハウスには基本的な生活用品が揃っていたので、何も買わず生活する事ができた。


しかし、今回は普通に部屋を借りるので、そういう訳にはいかない。

細々したものが何かと必要で、色々買い集めていると、どんどん荷物が膨らんでく。一畳のトランクルームに押し込んでいた荷物も、こうしてダンボールに再び詰めて部屋にならべてみると、結構な量だ。

引っ越す度に、人が一人暮らすのに、どうしてこんなに荷物が必要なんだろうと思う。


年齢を重ねていくと捨てられないものは増えていく。私の場合は昔描いた絵とか、ノート類とか、本、服。実際回転して使ってる荷物より、捨てるに捨てられない荷物が半分以上だ。そういうもの全部を思い切って捨ててしまおうとかと考えたが、けれど、いつも使ってはいないけど時々取り出して眺めたり触れたりするものが、意外と自分のインスピレーションの源になっていることにも気がついた。


カバン一つで旅暮らしのように生きるのもカッコいいが、生きている限りは大きくて余分な荷物を引き受けて生きるのも、人生なのだなーと、今はそういう心境だ。


要するに荷物は快適に生きるために必要で、自分の心がそれに囚われすぎなければ、自分を豊かにしてくれるありがたきツールなのだ。荷物の軽さと心の軽さは多少は比例するかもしれないが、物が沢山あっても心を軽くすることは可能だ。


しかし、今住んでいるシェハウスの人々は本当に荷物が少ない。特に、家の主宰者の物に対する美意識は徹底していて、余分な物は一切置かれていない。「あら、便利ね」って具合に増えていく収納系のカゴ類なんかもなくて、必要な物たちがその場にストンと佇んでいて、ごちゃごちゃしてくるとその分が捨てられる。この辺の精神は見習いたいな。


ここ菊名の「ごちゃまぜの家」にも随分とお世話になった。インドから帰ってきて、食材も何もなくて疲れはてている私を静かに受け入れてくれて、とても感謝してる。濃い付き合いではなかったけど、そうやって距離があっても、別にそれほど仲良しじゃなくても、それはそれでOKという不思議な開かれた場があった。

鍵もかかっていなくて、誰もが訪問できるこの家。普通の家じゃないから、当然驚くこともあったし、苛立つ事も、いやになる事もあった。でも、終わってみるとその全部をひっくるめて、いい経験だったなあと思う。

そして、この家に住みながら、自分が何を必要としているか見えてきた。


引っ越してもまた、時々お茶を飲みに立ちよろう。何しろ356日いつでも空いているのだ、ここは!もしその時誰もいなくても、一人でコーヒーを淹れてくつろいで帰ればいい。そんな事が出来る場所はやっぱり、世界でも稀だ思う。そして、そうした場所がいつも心にあるという事が、ここで半年暮らした一番の収穫かもしれない。


ありがとうございました!


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# by umiyuri21 | 2018-10-09 12:30 | 日々の暮らし

墓参り

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台風がうまい具合に過ぎ去ってくれたので、昨日予定通り釧路に着くことができた。

今日は母の命日だった、亡くなってから早9年、あっという間だ。

母が亡くなってからの9年は私には怒涛の月日で、墓参りに来るたび、どこかで切羽詰まった想いを抱えていたような気がする。


前回お墓参りに来たのはインドに旅立つ前だった。あの時は密かに、もうインドに行きっぱなしで済むならそうしたいと考えてた。

けれど、色々な事が起こって、結局帰国する流れになり、またすぐ旅立てるようにとシェアハウスに住み始めたものの、そこも来週引き払って普通に部屋を借りて住む事になった。


多分目の手術をしたのは、大きな転機だったと思う。病気になることで、拠点のない生活が心身にかなりの負荷をかけていた事に気がついたからだ。シェハウスに住んで、トランクルームに荷物を預けまた旅立つ。そんな生活を続けられるキャパは自分にはないらしい。何はともあれどこかに拠点は必要だ。そして病気になった時の事を考えれば、日本に住民票があったほうがいい。だから日本に家を借り、それを維持する為にも生活を安定させなくては。


今までのように後先考えずに、インド通いを続けていたら、自分は足元から崩れてしまうだろう。という当たり前すぎるとも言える結論が、ある日ごつんと降りてきた。ここ数年インドに行く事が私のパッションそのものだったので、それをひと段落させると決めるのは、なかなか辛いことではあったが。


私は家探しと職探しを同時に始めた。その先行きが見えてきたのが、くしくも今回の帰省の直前であった。だから今日は母が亡くなって初めて、彼女がホッとしそうな知らせを、持ってこられた気持ちで墓前に立った。


何故か今回は、家族や生まれ育った場所との繋がりを深く感じている。以前はそれらの嫌な面ばかりが目についていたが、今はここに生まれ、この家族と共に生きてこられた事に、「悪くない」と、じんわり思う。その心の変化こそが、インドの旅が私に教えてくれた事かもしれない。自分自身と共にあり、その中心に立つ、ということ。自分自身との絆が深まれば、幸せや不幸の原因を外側に見出す必要がなくなる。どこにいても自分は変わらないのだ、インドにいようと日本にいようと。


先日久しぶりに開いた プンジャジの本の中で、心に響く一節が目に飛び込んできた。

「あなたが誰かに恋をしたとしよう、そしてその人はロンドンにいる。あなたはロンドンに行かなければならない、何故なら愛しい人がロンドンにいるからだ。あなたはそこまで旅をしなければならない。その為にはお金も必要だ。だがもし愛する人が呼吸よりも近くにいるとすれば、何が起こるだろうか?もしどこかへ走り出したら、あなたは彼女の方へ向かっていくのではなく、彼女から走り去ることになる。もし走れば、あなたは愛する人から逃げ出すことになる。

いつであれ、何か他のものを探す時、呼吸よりもあなたに近い彼女以外のなにかを求める時、あなたは彼女から離れ去ってしまう。これが通常起こることだ。

もし、自由が欲しいなら、走り出すのをやめなければいけない。とどまる事を学びなさい。

そしてあなたが、今いるところにありなさい。」



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# by umiyuri21 | 2018-10-02 23:42 | 日々の暮らし

10月のヨガレッスン

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今月は都合により火曜第2週のレッスンはお休みです。代わりに火曜は第4週と第5週に変更いたします。そして来月からヨガレッスンの曜日は月曜夜に固定になります。火曜と土曜のレッスンは今月で最後です。みなさま来てね🎵


シンプル・ヨガ&メディテーション

土曜日 10月6日、20日 19:00-20:30

火曜日 10月23日、30日 15:00-14:30


場所:Ruhani Bellydance Arts

東京都渋谷区神宮前3-36-17 (明治神宮前駅、原宿駅から徒歩8分ほど)

www.bellydancearts.jp.

料金:ドロップイン 2,000円

予約は必要ありません。ヨガマットもご用意しております。光の降り注ぐとっても気持ちよいスタジオです。


今月はシャクティ・ヨガと題しまして、第一、第二チャクラを強化して、下半身すっきり元気になるアーサナを中心に行っていこうと思っています。先月好評だったマントラ・チャンティングも続けていきます。


第一チャクラは私たちが現実世界で生きていくための基盤です。大地にしっかり足をつけてグラウンディングする、身体の中心感覚を意識する。私たちがこの世界に身体を持って生まれ落ち、そして身体という神殿を通り抜けてもっと大きなものとつながっていく、そのエキサイティングな旅路はここから出発します。

ここはクンダリーニと呼ばれるエネルギーの源で、第一チャクラはこのエネルギーが背骨を通って頭頂に抜けていくための着火点です。ですからここを強化することで、自然に、私たちのシャクティも活性化されていきます。


第二チャクラは、感情表現やセクシュアリティ、創造性と関係が深いチャクラです。私という身体が感じる素直な感情や欲望、いわゆる「子宮の声」と呼ばれる感覚はここを通して意識されます。第一チャクラが、基本的な生存にかかわる場所にあるのに対して、ここでは人生に対する情熱やクリエイティビティと関わります。

セクシュアリティの開花により、私たちは人生に対し情熱や美しさを感じられるようになります。私たちが自分自身の体にゆったりくつろぎ、それを慈しみ祝福すること。第二チャクラを活性化することで、その感性が開いていきます。


アーサナを通じて、チャクラに働きかけることで、それぞれのポイントの感覚の違いを繊細に感じてみましょう。何より下半身に力がみなぎると、身体も暖まって元気になりますよ!


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# by umiyuri21 | 2018-09-30 23:33 | ヨガ

踊るダキニ

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ダキニ、日本語では荼枳尼天と呼ばれ、一般に白狐に乗る天女の姿で示される。そしてインドでは裸身で虚空を駆け、人肉を食べる魔女。カーリーの眷属とされ彼女に付き従って敵を殺し、その血肉を喰らう女夜叉とされる。髑髏杯と肉切り包丁を手にし、生首を飾った杖を持つ。


このおどろおどろしいダキニはチベット仏教においては、密教行者を悟りに導く重要な女神である。彼女は「スペース・ダンサー」「虚空を行くもの」と呼ばれ、修行者に悟りの智慧を伝えるメッセンジャーだ。彼女の伝える智慧を知らずして、行者は二元の世界を超えることはできない。

また、ダキニは男女両尊のパートナーとしても描かれる。つまり女性原理、シャクティそのものを体現した女神とも言える。


身体、死、そして性愛。一般的な宗教が忌避するエネルギーをダキニは露わにする。その彼女がなぜ、悟りの智慧の使いなのか?そこにタントラの教えのキーがある。私たち人間にとって最も恐ろしく、扱いにくいもの。死や性愛のエネルギーを知り、それに向き合い、突き抜けていくことで、私たちはユニティ、聖なるものとひとつになる。

何故なら、世界には本来善も悪もない。それを決めているのは私たちの思考だ。それと同様に身体の中にも本来は浄も不浄もなく、生と死もひとつの肉体の始まりと終わりにすぎない。

真の自己は生も死も身体も超えた存在だ。ダキニは恐ろしい姿でそれを伝えにくる。「メメント・モリ」死を知りなさい、この身体を、それを生み出した性のエネルギーを知りなさい。

彼女は流転し続けるこの世の生にしがみつくものに容赦なく包丁を振り落とす。その表層の体を貪ることによって、無常を悟らせ、私たちの「魂」をあらわにするかのように。


死の智慧、身体の智慧を知るものは、生の智慧を知る者だ。その恐怖と磁場に絡め取られないものだけが、その向こう側へといくことができる。

向こう側、そこが彼女の踊る「虚空」である。

広大でたったひとつの、分割されることのない透明な「スペース」。


ダキニのパワフルなエネルギーは、大きな変化や困難の時には必要なものだ。何かを終わらせて新しい場所へいく時、古い自分が死につつあるとき、彼女の恐ろしい形相はそれに立ち向かう強さをあたえてくれる。彼女は恐ろしいが同時に慈愛に満ちている、欺瞞やごまかしを見抜き、すでに古くなって必要のないものを切り落としてくれるからだ。強い一撃でそれを落とさなければ、私たちはゴミになったものをいつまでも捨てきれずにいるかもしれない。新しい場所へジャンプする勇気を持てずにいるかもしれない。


伝統的にはダキニは裸体で、ヨニをむき出しに、髑髏杯から血を飲み干すというかなりハードコアな姿で描かれる。今回はそのスピリットを下敷きに、パンクでワイルドな踊るダキニを描いてみた。

しかしそもそも真実を知りたいという情熱は、激しく荒々しくパンクなものだと私は思っている。枠を超え、心地よさを超え、常識を超え、人の思惑を超え、その先へ行く。そこに踏み込む気骨のあるものだけが、本当の智慧と愛に出会うとことができる。

性なるものと、生なるものと、聖なるもの。それらに違いはないのだと。


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# by umiyuri21 | 2018-09-04 20:19 | ヨガ

9月のヨガレッスン

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シンプル ヨガ&メディテーション
土曜日19:00-20:30 9月1日、15日
火曜日15:00-16:30 9月11日、25日

場所:Ruhani Bellydance Arts
東京都渋谷区神宮前3-36-17 (明治神宮前駅、原宿駅から徒歩8分ほど)
料金:ドロップイン 2,000円
予約は必要ありません。ヨガマットもご用意しております。光の降り注ぐとっても気持ちよい、スタジオです!

 空はなんとなく秋の気配ですが、まだまだ暑いですね!
9月のヨガは先月に引き続き、ヨガの師ジョシーから教わった基本のアーサナを少し発展させながら行ってみようと思います。身体のセンターラインを意識を保ちながら、いくつかのアーサナを組み合わせて連続して行うことで、エネルギーの流れに繊細に開いていきましょう。

 ヨガを続けていると、何か日々清く正しい生活を送っていると誤解されがちなのですが、私は全然清くも正しくもないと自信を持って言うことができます(笑)。むしろ「ヨガをしているのだからこうあらねば」というところから、できるだけ自由でいたいと思います。しかし自由であるためにはある程度心身のクリーンナップが必要ではあります。そうでなければ私たちは簡単に自分で自分を、型にはめて束縛する罠にはまり込んでしまうからです。その罠から逃れるために、何がどうやって自分を不自由にさせているのかを、注意深く見ていく必要があります。
 私たちが自由で魂の底から生き生きと開くためには、時には周りの意見と反することになるかもしれません。それによって孤独を感じることもあるかもしれません。
そう言う時にもヨガの知恵が助けになってくれると感じています。

 例え突風によろめいたとしても、自分のセンターに気づいていれば、すぐに体制を立て直すことができます。センターにしっかり止まることができれば、突風に飛ばされるか弱い木の葉でははなく、大地に根を張った木として、そこに在ることができます。自分がただ自分としてすくすく伸びていくことができます。

 最初は細い小さな木かもしれません。
 けれど丁寧に水をやり育てていくことで木は太く大きくなっていくのだと思います。私も自分の内なる木を、日々少しづつ育てています。

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# by umiyuri21 | 2018-08-30 19:27 | ヨガ

ケーララの洪水 (続)

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ケーララの洪水のニュースを見ながら落ち着いない時間を過ごしている。実は昨日記事を書いた時は、ニュースをしっかり確認していなくてそこまで深刻とは思ってなかったのだ。雨季に水浸しになるのはよくある事だから、例年よりも酷い感じなのかなって。

でも100年ぶりの洪水被害になってしまったとは!長雨にもちょっとした冠水にも慣れてる全てのケーララ人にとって、人生最悪のモンスーンって事だ。しかも被害は州全土に及んでいるらしい。交通網は完全に寸断されてるだろうし、電気も止まってるから、飲み水も来ないだろう。(インドはタンクにモーターで水をためて給水するタイプなので、電気が泊まると水も止まる。)

雨は未だ降り続いているらしく、ジョシーの実家がのある付近の村人はみな、近郊の町に避難したらしい。

雨が止んだ後の道路やインフラの復旧だって相当時間がかかるだろう。


2012年から毎年数ヶ月をケーララで過ごしてきた。去年は一年を通してインドを旅をしながら、時々ケーララに戻り、ほぼ半年くらいは滞在していた。去年の雨季もケーララの村の中にいた。これがもし今年だったら?私はどうなっていたんだろう、と考える。

滞在していたのは丘の上のゲストハウスだったから浸水はしないだろうけど、(今ゲストハウスの方にも状況を確認してる。) よく雨が降るなあ、なんて言ってるうち道路が寸断されて身動きが取れなくてなっていたかもしれない。ちょうど今頃ケーララからダラムサラへ旅行していたが、今年だったら空港も閉鎖されてる。避難勧告が出たとしても一体何処に避難するんだ? この状況だと州外に出るのは無理ではないだろうか。


今年3月に日本に帰って来る時、何となく今回で私のケーララ通いもひと段落するだろうと感じていた。私が帰る決めたと言ったら、ジョシーにも「それを言うの待ってたんだよ。」と言われた。

今思い出すのは彼がぽそっと、

「神さまが怒って地球から出て行こうとしてる。何か起こってもヨガを知恵を忘れないで生活してください。」と言ったこと。

「何それ?なんか災害が起こるってこと?」「分からないけどね。」


ケーララは「Gods Own Country (神々に抱かれる国)」と呼ばれている。今You tube インドのニュースを見ていると、どの番組も「Gods Own Country (神々に抱かれる国) の今世紀最悪の洪水被害」みたいな表現をしている。まさにジョシーが言ってた「神様が怒って出て行く」という言葉通りではないか!深読みしすぎかもしれないが、彼はそういう直感的に何かを捉える能力が確かにあったから、不穏な何かを感じていたのかもしれない。


実は同時期に私が帰国を決めかねて、インド占星術の鑑定を受けた時も「秋頃まで惑星の影響で世界情勢が不安定ですから、早めに日本に帰って来た方が良いと思います。」とアドヴァイスされたのだ。


ジョシーが直感的にキャッチしたことと、実際の星の運行でアドヴァイスされたことがリンクしていたのも印象的だったが、帰国後の生活が慌ただしく、ほとんど忘れかけていた。が、まさか本当にケーララでこんな災害が起こるとは

人生とは見えない手によって動かされているんだなと、ただただ不思議な気持ちでいる。


幸いジョシーはカンニャクマリ(タミル州)に弟と住んでいて、そちらの方はそれほど雨が酷くないらしい。彼の弟からも連絡が届くから電気も通じているだろう。しかし、彼らも自分の実家がどうなっているか、親戚や知人が無事か、ケーララを訪ねたくても今はとても近づけないだろう。あの、バックウォーターの村の、彼の実家まで道が復旧するのはいつのことか


色んな事を考えてしまって、落ち着かない。

今はとにかく祈ることと、幾ばくかの募金をすることしかできない。

本当に一日も早い復旧を祈ります。








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# by umiyuri21 | 2018-08-19 23:44 | ヨガ滞在記

ウォーターランド

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ケーララから、今年は雨が酷く洪水の被害が出ている知らせが届く。被害は日本でも報道されているほどだ。もともとケーララ州、特に南部の海岸沿いのエリアは、運河や川の入り乱れる水郷地帯で、海抜ゼロ以下の土地で稲作が行われている世界でも珍しい場所でもある。雨季の時期は道路が冠水するのはよくある事らしい。


私のヨガの師匠ジョシーの実家は、そんな水郷地帯の村のど真ん中にある。ケーララ通い始めた最初の3年は、そこで毎年数ヶ月暮らしていた。家の周りは運河が通り、少し先には川がある。 その村自体も地図を見ると川と湖の間にある中洲のような場所で、まさに水に囲まれた土地だった。今ではバス道路があるものの、それが出来る前は、交通手段は船しかない。人々は自家用ボートを持っていて、先生もそれで学校へ通ったのだという。

雨季で雨が続けば、村も水浸しになるので、雨の一番激しい時期には家族で内陸の高い土地に住む親戚の家に、避難ついでに泊まりに行くのが習わしだったらしい。


バス道路が通ってから生活は激変したと先生は言うが、幹線道路から村へ至る道はその一本しかなく、その道もすぐ先の川で終わってしまう。だから水で道路が一箇所寸断されても、村は孤立する。いつぞや、雨季の後の道路工事で夕方以降道が通行止めになり、知らずに町へ出てしまった私たちは家まで戻れなくなった。ものすごく周り道をして、川を何度も渡し船で渡ってようやく帰宅した思い出がある。


そんな村の生活は不便極まりなかったが、水と緑に囲まれた風景は本当に素晴らしかった。今でも渡し船や一人用の小さなボートが現役で活躍していたし、買い物しに町まで行った帰りに、パブリックボートで家まで戻って来るのもお気に入りのルートだった。

その後先生は足が悪くなって、不便な村では生活できなくなり、今はカンニャクマリにいる。以来そこを訪れたのは一度だけだ。先生が去ってから、その家は誰も住む人がいなくなり、ジャングルの中に放置された家は、湿気で大分痛んでいた。


昨日先生の弟から、村はすっかり水浸しだよ、家はかろうじて無事だけどね、と連絡が来た。久しぶりに当時の写真を取り出して眺めていた。安い携帯のカメラであんまり画質は良くないけど、普段の村の生活で目にした風景を残した写真は、今では宝物だ。写真を見ると当時の自分の気持ちまで蘇ってくる。

あの時は虫やら湿気やら暑さやらで不満タラタラだったけど、こんな場所で生活できるなんて滅多にない体験だった、あんな所でよく暮らしたなあ、と今は楽しい思い出しか残っていない。あの村の人々は無事だろうか?

被害がこれ以上広まることがないよう、祈りながら

しばし水の記憶に想いを馳せる。





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# by umiyuri21 | 2018-08-17 23:15 | ヨガ滞在記

8月ヨガレッスンのお知らせ

 
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 暑い日々が続いています。この夏は月食やら火星接近やら天体の動きが活発で知らず知らずの間に影響を受けているかもしれません。インドでは天体の動きをとても大切にします。
 以前ケーララでアーユルヴェーダの長期トリートメントを受けたとき、ジョーティッシュ(インド占星術)の鑑定を勧められました。今回の身体の不調がどのようなもので、治療がどのくらい効果的かどうか、星のエネルギーからも診断してみようという訳です。
 つまりアーユルヴェーダで脈や舌の状態をチェックして体の状態を診ることと、ホロスコープで星のエネルギーの状態をみるのがひとつながりになっているということ。面白いですね!

 そしてホロスコープの状態から、エネルギー的に詰まっている部分を見つけたら、効果的なマントラを唱えたり、それを浄化するホーマという儀式を行います。これはエネルギーのパンチャカルマみたいなものでしょう。私たちの身体は個体として完結している訳ではなく、この宇宙の動きと共にシンクロしながら、存在しているのです。

 日々の体と心のメンテナンスとしてヨガや祈り、瞑想がとても効果的です。
私たちの日々の体と心に繊細に向き合うこと、それは周りを取り巻く、宇宙の流れにも繊細になることです。そうすることで私たちは、ちっぽけで孤立した存在はなく、大きな繋がりの中で生かされている存在なのだと、感じることができるのです。

ベーシックヨガ&メディテーション
土曜日19:00-20:30 8月4日、18日
火曜日15:00-16:30 8月14日、28日

場所:Ruhani Bellydance Arts
東京都渋谷区神宮前3-36-17 (明治神宮前駅、原宿駅から徒歩8分ほど)
料金:ドロップイン 2,000円
予約は必要ありません。ヨガマットもご用意しております。光の降り注ぐとっても気持ちよい、スタジオです♬ 

 8月のヨガレッスンは、私がヨガの師匠から教わった基本のアーサナを5ポーズ前後ピックアップしてじっくり行ってみます。私が先生から教わったアーサナは、いわゆる見た目にはシンプルで「難易度の高い」アーサナではありませんが、シンプルな分とても奥が深いです。私も未だに新しい発見があります。
 いつもより、ひとつひとつのアーサナに、ゆっくり丁寧に向き合っていきます。


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# by umiyuri21 | 2018-07-31 13:54 | ヨガ

内なる王座

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めっちゃ今更ながらインド映画「バーフバリ」にはまってる私(笑) この映画がインドで公開されていた2017年中、私はインドにいたというのに、全く気付くことなく過ごしていた!そして帰国してからも、友人にしつこく勧められていたが、目の調子が悪いので、映画を観る気になれなかった。


で、よーやく劇場公開終わるギリギリに足を運んだ訳だが、久々にインド映画の快楽に持っていかれましたわー。南インドが舞台なのもいいしね。

何といっても、インド映画ならではの感情の盛り上げ方の巧さよ。極上のインド古典音楽を聴く時にも勝るカタルシス感。場面場面に細やかに用意された決めのアクセント、映像のスケールのデカさ。それが見事に音楽にシンクロして、否が応でもガンガン心が盛り上がる。

まーここまでハッピーに洗脳してくれる映画づくりは、世界広しといえどインド映画がダントツでしょう。


しかし困ったことに、あまりにも映画の洗脳力が高すぎて、ここ数日毎朝瞑想してても頭の中にグルグルとバーフバリ様がわー、これは何なんだ?!あの映画何かサブリミナル効果でも入れてるんじゃないの?ってくらい、脳みそにがっつり刷り込まれてて、笑っちゃいます。


つまり、たがが映画でも強烈な体験をするとここまで心にくっついてしまうんですね。スピリチュアルな例え話でよく使われるのは、私たちは普段から映画を見るように人生を生きているということ。本来はスクリーンに映像が映し出されているだけなのに、その映像が本当であるかのように、笑ったり泣いたり怒ったりしてしまう。その映像はそれぞれの脳が作り出したもので、私たちの本来は広大無辺の透明なスクリーンの方なんだけど、それには気がつけない。


作りものって分かってる映画ですらここまで脳に張り付くんだから、人生で出会う感情、そして情報、親や先生の言葉、時代的な価値観などなどに私たちがどれだけ影響されているか!そうしたものが固まって雲のようになって、私たち物を見る目の前にフィルターをかけている。


例えば人の感情でかなり強度の強い「恋愛感情」。

現実の恋は色や音があるだけでなく、触れることが出来て香りもある。映画よりもずっと強い。恋する人の眼差し、一緒にいることの心地よさ、胸がドキドキ切ない感じ。「バーフバリ」の中でだって、デーヴァセーナへ恋心のために彼は約束されていた王の座を棒に振ったではないか。それだけ、恋の起爆力は破壊的。恋は盲目、まさにその通り。恋は私たちの「見る目」に覆いをかける。


だから「恋」はものすごく危険で、古くからスピリチュアルな修行をする人たちは、危険な「恋」を遠ざけてきた。さらにインドの伝統的な社会では「恋」などという一時的な感情に惑わされぬように、親同士が社会的にベストな結婚を決めてきた訳。その代わりに映画の中ではこれでもかーっていう豪華絢爛な恋物語が展開されて、それを観ればとりあえず感情の飢えは満たされる。

だから夢のような恋が描かれるのは、映画の中だけ。

後先考えずに危険な恋に頭から突っ込んでいくヒーローやヒロインは英雄になる。


でも幸い私たちは比較的自由に恋ができる社会に生きている。

そして時代は少しづつ変わり、私たちは気がつき始めてる。


感情を避けることが、感情を超えることじゃない。

自分をコントロールする事が、自分を超える事でもない。


開くこと

胸のかんぬきを外し、重く閉じた扉を開く

その時、あらゆる感情や時に批判の矢が降り注ぐかもしれない

けれど一本や二本それが当たったからといって、私たちは死なないのだ

むしろ打ち抜かれることで、ハートはもっと大きく開き、強くなる

敵は自分のエゴ、あるいは社会の声、そして恐怖

その矢をくぐり抜けた向こうに 内なる玉座がある


私たちは皆「私」という魂の王国の王なのだ。

自分自身でないものをその玉座に座らせていないだろうか。

偽物の王様がふんぞり返って、自分に恐怖政治を行っていないだろうか。

「バーフバリ」のストーリーは単なるカタルシスだけでなく、内なる成長の物語とも読める。

神話的なストーリーってそれだけの広がりを持っているし、だからこそ深く刺さるんだ。


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# by umiyuri21 | 2018-07-26 18:05 | 映画

熱い想い

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日常が少しづつ戻ってきた。本も読めるようになったし、パソコン作業もそこそこ行ける。目の疲れ方が以前と違って、その時は平気だったりするのだが、調子に乗ると、翌日頭痛になってしまう。あと、眼内レンズを入れて、焦点の調節機能がなくなったので、遠くを見るためにメガネをかけると、近くが見えないという不便な状態になる。それでも、メガネなしで日々のほとんどの時間を過ごせるようになったにだから、贅沢は言うまい。


連日の猛暑だが、今住んでいる菊名の家はとても風通しが良く、夜は冷房なしで快適に眠れる。数日前、夜布団に寝そべって窓を大きく開けると、夜空が広がり、南の空に大きな星が輝いていた。どうやら地球に急接近している火星らしい。それから、夜は星を見ながら眠りにつくことにした、そんなことも以前はできなかったのだ。(何しろメガネを外すと何も見えなかったから)


次はいつインドに行くの?とよく聞かれるが、次にいつ行くか今は全く決めていない。流石に一年以上いたから、今すぐにインドに戻りたい!という気分にもならないし、今の自分に必要なことは十分学んだように感じている。しばらくは自分の中で熟成させて、学んだことを日常の中でどう生かしていくか、が課題。


思い返せば本当に、沢山の素晴らしい先生、覚者と呼ばれる人々に出会った。ジョシーのように濃く深く関わった先生もいれば、短い関わりのなかで、思いがけない気づきをくださった方もいる。そしてインドではそうしたスピリチュアルな伝授の多くは無償か、ドネーションで行われている。凄いことだと思う。

お金を支払えば、決まった事を受け取れる訳ではない。いくらお金を積んでも何も受け取れない事もあり、お金がなくても宝石が受け取れる事もある。

お金を介していない、ということは先生は生徒が期待するものを提供する責任がない。必要な時に必要なことが伝えられるという自由な開かれたスペースが作られる。ベースになるのはお金ではなく、信頼と受け取る側の在り方の問題だ。


そもそもインドまで何かを学びに行くのだから、生徒はそれなりの代価は払っている。旅費はちろん、仕事を辞めてくるとか、社会的な立場を捨ててきたり、だから何としても何かを掴み取りたい。でも、必死になるほど私たちは何も受け取れない。私もインドで学び始めの頃はジョシーに随分毒づいたものだ。そして毒付くほどに、何も受け取れず、ただ待つしかなくなる。

多分、私がインドで最初に教わったのは、「待つこと」。器を空っぽにして待つこと。時間が来るまでじっと待つ。期待して待ち、期待が裏切られては、毒づいて、諦めてまた待つ。そんな事をどのくらい繰り返してきたことか。


待つことの中でだんだん心が静まり、期待も捨て、祈りが生まれる。そして準備が整った時、宙から甘露がポトリと落ちてくる。その甘露を逃さず深く味わえるか、受け取れるか、それも学ぶ側の器の純度にかかっている。


そういう伝授は絶対にお金を介することはできない。お金を払えば、払っただけの物を生徒は期待するし、値段を設定するということは、「これだけの価値がある物を提供します。」という保証でもある。受け手側の状態がどうこうより、提供されるものが重要になる。それはすぐに役立つ技能や資格を提供するには良いかもしれない、でも生徒自身の存在そのものを研磨するスペースは生まれるべくもない。


近頃はインドも経済成長が著しく、そんな呑気な事ばかり言ってられない雰囲気ではあるが、それでもまだまだ、昔ながらの学びの場がしっかり残っている。どうやってそこへたどり着き、果たしてそこで何を学べるか、はっきりした地図はない。だから授業料はかからないけれど、支払う代価はもっと高いかもしれない。時間もかかるし、回り道も多い。そしてどれだけ生徒が、時間や労力や人生の大切な物を支払ったとしても、それが先生の懐をうるおすことはないのだ。


生徒が支払う代価と、先生が受け取る報酬、全てはそれぞれの魂と、さらに個人を超えた大いなる存在へ流れ込んでいく。そうやって連綿と受け継がれてきた智慧、その片隅で学ぶ機会を与えて貰ったことは、本当に本当に貴重だ。


だからこそ、学んだ事をしっかり咀嚼して、血肉にし、人生を生きる。教えていただいたからには、その責任がある。そうでなければ、無償で時間とエネルギーを使ってくれた先生のパッションを無駄にすることになる。

ここ数日そんな想いが込み上がってきている。やけに気持ちが熱いのは、火星のせいかもしれないな。



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# by umiyuri21 | 2018-07-20 21:31 | ヨガ


旅とヨガとイラストレーション。世界と身体と脳内をめぐる旅。


by 若山ゆりこ

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