カテゴリ:ヨガ滞在記( 103 )

グリーンターラ 2018

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2018年 あけましておめでとうざいます!
新しい一年への願いを込めてグリーンターラを描いてみました。グリーンターラは慈悲を司る菩薩として、チベットではとても人気があります。

去年の5月ダラムサラ近郊のDGL尼僧院に滞在していた時、ターラ仏についてこんな話を聞きました。

その尼僧院の本堂の壁面は、それは美しいターラ仏、そして女性の修行者や帰依者たちの絵で埋め尽くされていました。ブッダやミラレパなど一部は男性の姿もありましたが、8割方は女性たちばかり。その豊かな色彩と凛とした美しさに深く魅了されました。世界にたくさんの仏教寺院は数あれど、これだけ女性ばかりが描がかれている場所はあまりないのではないかしら?

その時私が「こんなに美しい女性や女神で埋めつくされている仏教寺院は、はじめてみました!」と言ったところ、一緒にいたアイルランド人の尼僧に軽く訂正されました。「厳密に言えば、ターラは女神ではないのよ。」
「ヒンドゥー教徒にとってはターラは女神でしょうけれど、仏教には女神はいないのです。ターラは私たちにとって女神以上の存在です。彼女は言ってみれば女性のブッダ、フェミニン・エンライトメントのエネルギーを体現しているのよ。ターラにはこういう言い伝えがあって、昔高貴で徳の高い女性がいて、彼女は深い慈悲の心を持って、祈りと瞑想を続けていました。そんな彼女に偉いラマ達が言った、あなたが来世で男性に生まれ変わったら、悟りを開くことができるでしょうと、するとこう答えました、いいえ私は来世も女性として生まれてきます、と。そして彼女はターラ仏になったのです。」

「ヒンドゥー教の神々というのは、怒ったり争ったり時には恋をしたりするでしょう?でも彼女はどんなことがあっても変わらない、完全なるエンライトメントと智慧を体現しています。そして、こうも言われているわ、密教の修行中にターラがありありとした姿で現れてきたとする、そしてもしもそのターラが本物だとしたら、彼女は自分が存在しないことを知っている、って。」

この会話のあと、ますます私はターラ仏に魅了されてしまいました。グリーンターラは片足は瞑想の姿勢をとり、もう片方の足は前に出し、助けを必要としている人がいたら、即座に行動する準備ができています。悟りと現象世界の両方に足をかける姿はまさに女性の叡智の体現だと思うのです。彼女の表現する豊かさと美しさ、そしてその中心にある、透明で広大な目覚めと智慧、本当の美しさとは表面上のものでなく、こうした不変の静寂さの深い中心で花開いていくものかもしれません。そのエネルギーを少しでも近くに感じたいと願いながら描きました。

私たちの内側にそれぞれ備わっているターラの智慧が、より一層深く豊かに花開いていきますように。

2018年がみなさまにとって素晴らしい年でありますように!
by umiyuri21 | 2018-01-01 14:15 | ヨガ滞在記

存在の耐えられない重さ

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アナディのリトリートでは、事前にスカイプのセッションがあって、個々に見合った課題が出される。今回の参加者は30人ほど、いつもより人数が少ないらしい。初参加は3人だけで、あとは古い生徒ばかり。新しい人がどんどん来て出たり入ったりするという雰囲気ではなさそう。やっぱりメソッドが特殊だからだろう。


リトリート中はサイレンスなので、それぞれがどういう練習をしているのかは分からない。朝と夜に1時間の瞑想、午前と午後に2時間づつの瞑想で一日計6時間。2時間の瞑想の間に歩行瞑想が20分。瞑想中はサイレンスの時もあるが、半分くらいはアナディのガイダンスやレクチャーが入る。アナディが来ないで生徒だけで瞑想する時もある。話の内容は時々分かるくらいで難解すぎて基本的に意味不明。ついていけない時は自分の練習をひたすらやる。


リトリート中に個人面談が2回あった。瞑想中にアシスタントの人がお知らせメモを置いて行く。指定の時間に面談用の小屋で待つ。そこで今の自分の進捗状況を説明しアドバイスをもらい、最後にエネルギーワークがあっておしまい。サットサンのような公の場で質疑応答するのではなく、生徒と先生の個人的な繋がりの中で、ティーチングが伝達される。

リトリートの10日間の滞在期間が終わったら一人でさっさと会場をチェックアウトして、外に出る。みんなはサイレンスのままさらに1ヶ月のリトリートが続く。結局初日にちらっと挨拶したくらいで、後は言葉も交わせず、目も合わせられないから、結局参加者の誰とも交流してない。横のつながりが出来にくい、面白いシステムだなーと思う。


瞑想ホールには純粋意識の象徴としてシヴァの絵が飾ってあるくらいで、特定の宗教色は全くない。その代わりあちこちに美しい花が活けられている。マントラもチャンティングもしない。アナディに対しても瞑想の最後に軽く手を合わせるだけだし、生徒が先生をグルと仰いで神聖視したり、依存するような状況をなるべく産まないように工夫されてる印象を受けた。


アナディ自身も本当にぱっと見普通のオッサンで、正直カリスマ性はそんなにないと思う。語り口も難解なことをだらだら話すので、結構苦痛なことも多かった。存在感だけでもっていかれるというタイプではない。セイントというよりは天才肌の瞑想家。だから逆にリラックスして面談が受けられたし、過剰に何かを期待することもなく、わりとフラットに向き合う事ができた。でも、ミーティングの後はいつも、鮮烈に何かに突き抜かれた感覚になった。エネルギーの印象はキーンとクリアな透明感。だから面と向かった時にドカーンと来るのでなく、後でその濃さに気づく。


瞑想中にしても、話が小難しく聞いているうちに集中力が欠けて、身体の痛みが気になりだす。モソモソしながら何とか我慢して、はーやれやれ終わったかと彼の顔を見上げると。なんだか大きな愛を感じてじわーっと来ることが多々あった。だからやっぱり只者じゃないんだろう。ちょっと宇宙人みたいと思ってた。


何といってもあまりにも話が難解だから。瞑想指導の時、ものすごい細かいポイントへ注意力向けて行く、重心のおろし方の質まで、呼び名がいくつもある。それを頭蓋骨の内部で行う。でもその通りにやれると彼のエネルギーサポートもあり、本当にシンプルそして深く、ただあるという感覚になった。シンプルにビーイングするためのドゥーイング。瞑想が終わっても身体が重く、重力に沈んだようになる。ただただ呆然とその存在の密度を味わう。

ああ、存在とはこんなに重たいものだったのかと。


それにしても、そこまで細かい区分けが必要なんだろうかそういう素朴な疑問を、ある日素直に聞いてみた。実際にそこに存在するから、それを伝えてるだけ、数学よりよっぽどシンプルだろう。難しいじゃなくてわかろうとしなさい、インテリジェンスを使いなさい。と言われた。オタク的探究なのか、普通の人類の数倍先を行ってるのか分からない。そういうところも宇宙人だなーと思う。

あの時ずっと感じていた存在の重さは、今もまだ背後に流れている。そんな状態でデリーの街を歩くのは、けっこう大変なんだけど…




by umiyuri21 | 2017-11-24 02:07 | ヨガ滞在記

私と恋に落ちる



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アナディのティーチングのファーストステップは、純粋な主体、自分自身そのものに注意を向け、認識し、それを継続的にキープできるようになること。グルジェフの自己起想に近いけど、アナディのメソッドは注意を向ける方向や質、場所がかなり細分化されている。

マインドフルネスなどの一般的な瞑想法は呼吸や身体感覚など自分の外側に注意を向けるが、自己起想は方向が逆。呼吸に気づいている自分自身に気づく。


この純粋な気づきの状態を彼はこれまで「ステート・オブ・プレゼンス」と名付けていたが、現在はその言い方はしていなく、 Pure Me (純粋な私)」と呼んでいた。しかもピュア・ミーは一つではなく、三つのエネルギーポータル、コンシャスネス、ビーイング、ハートの中にそれぞれ存在していて、呼び名が違う。ここですでに頭がこんがらかってくるのだが


ともかく、最初は頭の後方にある、彼が名付けた「Pure Me of Consciousness 」というスポットに純粋な注意を向け、それを失わずにいるのが私に課された宿題なのである。これができない限り先には進めないのだ。アルモラで彼に最初にミーティングした時に言われた。

「誰かに恋したら、始終その人の事を考えるだろう?それと同じ、ピュアミーに恋しなさい。それはあなた自身なんだよ。自分のアイデンティティをピュアミーにシフトチェンジしなさい。

そうでなければ、どこで何をしたところで無意識のマインドに巻き込まれるだけだ。考え事をするのは悪い事じゃない、でも常にピュアミーを失わないように。」


アナディの最近の著作の中でも、本当の自分自身を知ることの大切さが繰り返し語られている。それが魂と出会う唯一の道であり、本当のセルフラブだと。

その私自身に目覚めた私が、ユニバーサルな意識(アナディ用語でUniversal I am )と溶け去り一つになるのが最終的な段階。だとしても、まずは自分を知り、本物になる、それが人間がこの世に生まれた理由だし、魂が望んでいる事。


インドを旅する中で「私はいない」という教えはたくさん聞いてきた。だから瞑想していても早く私はいない場所に行きたくて仕方なかった。

でも彼はいきなり「私はいない」に向かうのではなく、まず私を知れと強調する。スピリチュアルな伝統の中で根強く残る自己否定が、どんなに多くの魂の進化を阻んできたかと。


彼とのミーティングはあっさりしていて、プラクティカルなことしか話をしなかったが、なぜか強烈に出会ったいう感じがした。彼がきっと深い存在のレベルから話をしていたからだろう。その深い存在の底から「自分自身と恋をしろ」と言われて、ガツーンと心を動かされてしまったのだ。それは鮮烈的な言葉だったのだ、私にとって。


ああ、私がいてもいいんだ。

そうだよね、この私、いつも私のそばにいる、

探していたのは私だったんだ。

問題はむしろ私を忘れて、私がすぐに外に出て行っちゃうからなんだ。


自己認識のレッスンは、アナディから学んだ方からのセッションで、すでに教えを受けており、6月ぐらいからゆるく練習はしているのだが、一向に保てる気配がない。

瞑想中や意識している時は何とか出来ても、人と話したり焦るような事があるとすぐに飛んでしまう。だから初心者はリトリートなどの保護された環境で集中して練習する必要があるわけ。


アルモラに早めに行ったのも、そのせいで、それとリトリート合わせて17日あるから少しは定着してくれるだろうと思ったけど、結果から言えば、まだ道は遠いようです

でもさすがにリトリート期間中はひたすらそれしかやってないから、コツが分かりかけたり、一瞬シフトチェンジした?というような強烈な体験もあった。最後の方は保ちながら歩いて考え事くらいは出来てたんだけど、日常に戻って来たらあっという間に、鈍ってくる。


リトリート中、ケーララを去る前にジョシーに言われた言葉をずっと思い出していた。

あなたは本物になろうと頑張っている。

毎日の生活が偽物じゃないって分かったら本物になる。


最初は彼がどういうつもりで、それを言ったのか分からなかったけど、多分そういうことなんだろう。


そうなんだ、人生に偽物の時間は一つもない。

一息一息、今この瞬間に、私は私と出会うことができる。






























by umiyuri21 | 2017-11-23 01:16 | ヨガ滞在記

瞑想から日常へ

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昨日デリーに戻ってきました。

10日間、サイレンスの中一日中瞑想して、いきなり世の中に放り出され、まだ頭がぼーっとしてます。普段使わない脳みそ使ってきたので、今はパソコンを見るのがしんどい。


瞑想はとても内的な体験なので文章にするのが難しいのですが、10日間ひたすら自分の内的な体験とだけ向き合ってきて外の世界に戻ると、あれはなんだったのだろう、と全てが別次元の出来事に感じます。傍目からはただ日がな座り続けているだけですが、内側では本当に色んな事が起こりました。内なる世界はこんなにも多くのポテンシャルがあるのかと驚きます。


アナディの瞑想リトリートは10日間と40日間コースがあって、参加してみて分かったのは、ほとんどの人が40日コースの参加者だったってこと!10日間の参加というと、あ、短いのねってみんな言う。10日ってあっという間だけど、それでも色んな事が起こるから、40日だと戻ってこれなくなるんじゃないかと

でも、年配のおばあちゃんなんかも参加してて、40日間の瞑想によく耐えられるなーと感心しました。一日6時間の瞑想で、ヴィパッサナーよりは短いけど、それでも10日目には腰がかなりやばい感じになって来た。

会場は野生動物公園内にあるキャンプ場で私の部屋はテント部屋。広いしそこそこ綺麗で基本的なファシリティは揃ってるけど、夜はかなり冷えるし、ネズミは入ってくるし、動物たちが周りをカサカサ動き回っている音で目が覚めます。そのぶん自然が深くて気持ちが良かったけど。


アナディのティーチングは、以前よりも相当独自で難解になっており、通好みっていうか伝統に真っ向から立ち向かい、今の主流な悟り系のティーチングと相反する所も多々あり、戸惑うこともありました。

でも、なぜかとても深く響くところがあり、今までインド、だけでなく人生の中で、色々な場所を訪れ学んだきた事、生きてきた事が一つにまとまって、ああ今ここにたどり着いたんだ、っていう予感があるのです。

少なくとも今の私には、ものすごく大切な出会いでした。


細かい話を書くにはまだ頭が戻ってきていません。

また今度!





by umiyuri21 | 2017-11-22 02:15 | ヨガ滞在記

アルモラとドゥルガー寺院

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アルモラ滞在あっという間に1週間がたちました。
そもそも何故ここに来ることになったかといえば、アナディというポーランド人の先生の瞑想リトリートに参加するため。
リトリート自体はここから車で数時間のコルベットキャンプが会場、アナディがアルモラにもう10年以上も住んでいて、リトリート参加を申し込んだ時に、時間があるなら先にこっちに来たらと言われたから。

アナディはアジズという名前で以前何度も日本に来てリトリートを行なったことがあり、日本語訳の本も出ている。すっごく有名というわけじゃないけど、瞑想に興味がある人の中では知られた先生。本人も昔日本の禅寺で修行していた時代があったらしい。この方の素晴らしいところは、瞑想や悟りといった神秘的で曖昧模糊として、伝統によって様々な固定概念に囚われた世界を、もすごく明確に言語化してとらえたところ。でも、かなり知的で捉え方が細かすぎるから、若干複雑であんまり万人ウケはしないかも。しかも体育会系っていうか、かなりプラクティス重視。

何年か前に彼の本を読み、結構感動してずっと気になっていて、今年たまたまその本を翻訳した方と知り合うご縁があり、その流れで今回のリトリート参加を決めた。メールで問い合わせると、まず事前にアナディ本人とスカイプでのセッションを行なってくださいとのこと。げ、いきなり本人とスカイプって緊張するな...とドキドキしたけど、話すと意外と気さくなおじさんでちょっとホッとした。ビギナー向けのプラクティスをアドバイスされたあと、
「で、ところでいつ来るの?」
「え、リトリートの始まる9日から...」
「インドにいるのなら、早めにアルモラに来なさい、瞑想しやすい環境だし、直接話もできるから。」
「どのくらい、早く来たらいいのでしょう?」
「1週間でも2週間でも出来るだけ早く。」
と言われたら行くしかないよな。

というわけでデリー滞在予定を2日で切り上げそうそうにアルモラへ向かうことに。駅からのタクシーアレンジも、泊まる宿も全部アナディ先生がアレンジしてくれた。メールのレスが異様に早い。

指定された宿に行くと、アナディがバイクで現れた、大柄でごっつい本当に体育会のおじさんって感じで、全然スピリチュアルな風貌ではないのだ。そしてセッションの時間が空いたら連絡するからではまたと去っていった。
宿の周りは本当に何もない静かな場所で、宿泊客も私しかいない。事情がつかめず、周りのインド人に聞き込みをする。どうやら彼は自分のアシュラムやスクールなどは持っていなく、こうしてリトリートの時期になると、プレリトリートみたいな感じで、早めに生徒達が集まって来る。宿泊する場所も、静かで周囲と隔絶されたような宿を彼が選んでいるらしい。観光客が多いカサールデヴィの中心などには宿泊させないとか。

連絡するといって先生からは一向にセッションの連絡なし。どうやら風邪をひいたらしい。

そんなこんなで、数日一人でうろうろしていたが、全然退屈はしていない。もしかして、アナディを通してこの場所が私を呼んでくれたのかもと思ってしまうほど、ここが好きになってしまった。

特に村の中心にあるドゥルガー女神を祀るカサール・デヴィ寺院が気に入ってしまい、毎日通っている。歩いて1時間弱、往復2時間。行きはずっと上りだから結構いい運動。何かここのエナジーに心を揺さぶられ、深いところをひっくり返されてされているような感覚が起こる。深い感情に触れるような夢も出て来た。
そして、毎朝窓から差し込んでいる朝日を見ていると、無性に泣きたい気分になってくる。

今年の4月にリシュケシュに行ったときにもチャンドラバダニという山の上のドゥルガー寺院に連れていかれた。あの時はお腹を壊して一晩中うなってたんだ。ドゥルガーってやっぱり浄化力があるんだな。去年作った背中にドゥルガーイラストをプリントしたパーカーを着ているので、もしかしてコネクトしやすくなってたりとか?彼女が私に何かを語りかけてくるような感じがある。今自分にとってものすごく大切なことを。

そして昨日ようやく、アナディとのセッションがあった。30分くらいの短いセッションで、内容も本当に基本的なことだったのだけど、やっぱり強烈だった。うまくはまだ書けない、でも革命的なことが自分の中で起こりつつあるように感じている。

瞑想リトリートは11月9日から19日まで、その間はまた連絡が遮断になります。ブログもお休みです。その後のレポをどうぞお楽しみに!
by umiyuri21 | 2017-11-08 15:00 | ヨガ滞在記

ケーララからヒマラヤへ

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Almoraに来て4日目。常夏のケーララから、秋のヒマラヤ山麓へ。日中は暖かいですが、夜はかなり気温が下がります。毛布3枚かけて寝ています。

Almoraは山の中腹に広がる町ですがそこから車で30分ほど上がると、カサールデヴィという村があります。山の尾根沿いに道走り、斜面に沿って家々並んでいます。空間が素晴らしく広がっていて本当に気持ちが良い。鳥になって空を飛びたくなるような、そんな眺めです。ここは聞くところによると、マチュピチュやストーンヘンジと並ぶ場のエネルギーが高いところらしい。ドゥルガー女神を祀る村の山頂にあるカサールデヴィ寺院は、あのヴィーヴェカナンダが瞑想してエンライトした場所と言われています。


ヴィーベカナンダといえば、カンニャクマリにもヴィーベカナンダロックと呼ばれる、彼が瞑想していた小島がありまず。今年の7月に行ったばかり!インドの南の果てとヒマラヤ、海と山。でもどちらも、エネルギーが交差してぶつかり合うような強いヴァイブレーションと、広大なスペースを感じられる場所という共通点はあります。瞑想するにはそういう漠々とした広がりの感じられる場所が向いてるのかな。


村を走る尾根に沿った道を歩くと、本当気の通りが良く、天のエネルギーが降り注いでくるのを感じます。しかあちこちに花が咲きその色が本当にくっきりと美しい。山の上でこれだけ眺めが良いのに、何故か風が吹いてない。今はもう秋で花のシーズンは終わってしまったらしいけど。ちょっとこの世じゃないみたいな気がしてきます。ケーララの水辺の眺めも天国みたいだなって思うけど、ここも天国というか、人間を超えたスピリットの息吹を感じます。インドって本当に広いなあ。


今泊まっているのは、カサールデヴィより少し下ったところにあり、尾根沿いではないですが、朝起きると窓から素晴らしい朝日がビカーっと差し込んできます。ヒマラヤですから、光の強さは強烈です。南インドとは違う。コントラストがくっきりとしています。


そんな気候なのでハーブが沢山採れるらしく試しにハーブティをー買ったら味が濃くて美味しい。はちみつやアプリコットオイル、蜜蝋キャンドルやリップバームなど、そそられる地産品結構売ってます。地元の女性たちが作るウール製品も有名です。

けっこう気に入っちゃいました、ここ。


問題は食事のヴァリエーションが少ないということ。朝はパロタかトースト、夜も昼もダルと野菜のサブジ、チャパティ。聞けば朝と夜にちゃんと食べて昼はチャイくらいで済ますことが多いんだとか。だからみんなスリムです。ケーララ人みたいに腹出てない。

あと、ネット回線は致命的です


夜はちょっと寒いけど、道産子だから寒さは我慢できる!久々の冷んやりとクリアな秋の気候を楽しんでいます。



by umiyuri21 | 2017-11-06 14:07 | ヨガ滞在記

季節が変わって

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今日のごはんはいつもより薄味で、若干パンチに欠けるなーと思ったら、いつもご飯を作ってくれるとチェチが娘が家を新築したそうで、泊まりがけで出かけてしまったという。いつ帰ってくるの?と尋ねたら111日と、あれーじゃあ私チェチに挨拶できないで発ってしまうんだね。


そして夕方キッチンからネパール語を話してる女性の声、誰だろうと思ったら、新しいスタッフだった。そして今までいた庭仕事をしていたネパーリーのお兄ちゃんはいつの間にかやめていた。新しいスタッフは夫婦で、ネパール系だけど、アッサムから来たインド人で、今まではこの近くのゴム園で働いていたとか。

みんな遠くから働きに来るんだね。


11月からはケーララも観光シーズン。この宿も来月から3月までは予約が断続的に埋まっていて忙しくなるらしい。マネージャーのラリーも次のゲスト到着に向けて、忙しそうにスケジュールを整理している。今までゆるーくのんびりしていた空気に動きが出て来た。


この「アヒムサ・ガーデン・リトリート」宿泊費は決して安くはないのだが、きめ細やかなサービスでお家のようにくつろげるのが特徴。食事も食べたいものがあればリクエストに答えてくれるし、フルーツなどもガーデンで採れた自然栽培ものがテーブルに乗る。今回のリトリートではダンスタイムもあって、大音量で大騒ぎしたけど文句も言われなかったし、近くのテイラーセンターで服も作ってもらえる。くつろぎすぎてドアの鍵かけるのもいつのまにか忘れています。


ヨガや瞑想リトリートでじっくり滞在するのが良い場所です。3月に泊まった時に会った、毎年来ているというヨークシャーでヨガスタジオを経営してるという先生が、生徒を連れて来月から2週間のリトリートに来るそう。


とりあえず、私はゲストの到着とともに北へ移動。

でも、せっかくできたご縁だしこれをつなげていきたいなと思ってる。

3月あたりにまたジョシーとのリトリートができたらいいのだけどというのも

4月から8月までは季節が良くないし、ジョシーの体は変化が激しいので、一年後どうなってるか全くわからない。時間はあまりないのです。


もちろん、ジョシーがいなくてもヨガや瞑想、ダンスのリトリート色々できると思う。

しかし、これも縁だから、ジョシー的に言えば神様の望まないことは起こらない。望みながら手放して様子を見よう。


でも、ちょっとここに書いてみてもいいかなって思いついたので書いてみます。








by umiyuri21 | 2017-10-28 02:08 | ヨガ滞在記

季節が変わって

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今日のごはんはいつもより薄味で、若干パンチに欠けるなーと思ったら、いつもご飯を作ってくれるとチェチが娘が家を新築したそうで、泊まりがけで出かけてしまったという。いつ帰ってくるの?と尋ねたら111日と、あれーじゃあ私チェチに挨拶できないで発ってしまうんだね。


そして夕方キッチンからネパール語を話してる女性の声、誰だろうと思ったら、新しいスタッフだった。そして今までいた庭仕事をしていたネパーリーのお兄ちゃんはいつの間にかやめていた。新しいスタッフは夫婦で、ネパール系だけど、アッサムから来たインド人で、今まではこの近くのゴム園で働いていたとか。

みんな遠くから働きに来るんだね。


11月からはケーララも観光シーズン。この宿も来月から3月までは予約が断続的に埋まっていて忙しくなるらしい。マネージャーのラリーも次のゲスト到着に向けて、忙しそうにスケジュールを整理している。今までゆるーくのんびりしていた空気に動きが出て来た。


このインドビザ・ガーデン・リトリート、宿泊費は決して安くはないのだが、きめ細やかなサービスでお家のようにくつろげるのが特徴。食事も食べたいものがあればリクエストに答えてくれるし、フルーツなどもガーデンで採れた自然栽培ものがテーブルに乗る。今回のリトリートではダンスタイムもあって、大音量で大騒ぎしたけど文句も言われなかったし、近くのテイラーセンターで服も作ってもらえる。くつろぎすぎてドアの鍵かけるのもいつのまにか忘れています。


ヨガや瞑想リトリートでじっくり滞在するのが良い場所です。前回来た時に会った、毎年来ているというヨークシャーでヨガスタジオを経営してるという先生が、生徒を連れて来月から2週間のリトリートに来るそう。


とりあえず、来月から私はゲストの到着とともに北へ移動。

でも、せっかくできたご縁だしこれをつなげていきたいなと思ってる。

3月あたりにまたジョシーとのリトリートができたらいいのだけどというのも

4月から8月までは季節が良くないし、ジョシーの体は変化が激しいので、一年後どうなってるか全くわからない。時間はあまりないのです。


もちろん、ジョシーがいなくてもヨガや瞑想、ダンスのリトリート色々できると思う。

しかし、これも縁だから、ジョシー的に言えば神様の望まないことは起こらない。望みながら手放して様子を見よう。


でも、ちょっとここに書いてみてもいいかなって思いついたので書いてみます。








by umiyuri21 | 2017-10-28 02:08 | ヨガ滞在記

心配事

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ケーララも季節が変わり、雨季が去ったかなーって話していたけど、今日は夕方から土砂降りです。

次の出発まで大分時間があるし…とのんびりしていたら、気がつけば後5日!今回は常夏から冬へと移動なので、服もいらないもには思い切って捨てて、荷物の大整理をしようと思っていました。

気がつくと必要ないものが増えている!基本はトランク一個で旅しているけど、最近は1ヶ月くらいなら、トランクは残して小さい旅行鞄で出かけているので、いつのまにかトランクに入りきらなくなっている。これを何とかしないと…

もうすぐ、ケーララともしばしのお別れ。次はいつ帰ってくるんだろう?

来月参加する瞑想のリトリートに向けて、座ることに身体と心を慣らそうとしている。ジョシーがここにいる間、ゆっくり瞑想をしている時間もなかったのだ。

そしてしみじみ思うのは、瞑想の大きな敵は心配事だな!って

瞑想でリトリートが必要なのは、守られた環境で余計なことを考えずに、瞑想だけに集中することで、しっかりそれを定着させるため。普段の生活は気が散る事が多すぎる、食事の支度、メールの返事、友達とのおしゃべり。別にそれは悪い事じゃないけど、一旦それをシャットアウトしないと、内側へと注意のベクトルを変える事は難しい。

今のケーララの生活はリトリートじゃないけど、それでも東京の日常に比べたら格段平和で、考える事の少ない環境だ。内側に意識を向けるにはかなり恵まれた環境だと思う。

それでも、余計な心配事が心をよぎる。あ、宿代の清算しなきゃなーとか。今月はお金を使いすぎた、大丈夫だろうか…ということから始まり、こんなことして一体何になるのか、果たして何かの役に立つのか?非生産的すぎないか?などなど考え始めるとすぐに息が浅くなってくる。ま、それに巻き込まれなきゃいいだけなんだけど、何故にこんなにどうでもよい心配事が次々と浮かんでくるのだろうと、呆れる。

前に本で読んだが、人間が左脳、言語脳を発達させたのは、厳しい環境に生き残るためだという。危険から逃れるように、敵に倒されないように、食べるものを得るため、子孫を残すため…あらゆる危機を想定して、生き残るために何が最善かを考える。その危機管理のために大量のエネルギーを投入して来た。

生きる環境が厳しいのは古代も今も変わらない。だから脳の危機管理プログラムは回り続け、際限のない注意喚起の思考のさざ波の中に翻弄されてしまう。たとえ今、安楽な楽園に暮らしていたとしても、スイッチオフして今はお休みね、とは出来上ないのが問題。

いつも自分の危機を管理してくれるのはありがたいが、そのせいで本来の自分にアクセスしにくくなる。
そんなことして大丈夫?
お金ないでしょ
将来どうする?
騙されるかもよ
もっと安全な道を選ぼう
と始終警報が鳴る。

本当にどれだけ人類は、この心配ごとに大量のエネルギーを使っていることか。もしも心配しなくなったら、余ったエネルギーはどこに使われるか、と考えてみた。

危機への恐怖から動くことがなくなったら、
本当に必要としている場所を動かしていくだろう。
恐怖ではないとしたら、愛から

それならば心配することより、しないことの方がずっと自分にも周りにも役に立つ。
自分の心配をしないことは、自分に対する愛なのかもしれない。

その時瞑想することも役に立つ、この警報機を完全オフとまで言わなくても、ボリュームダウンくらいは、少しづつできるようになってくるから。

だからもう、余計な心配しなくてもいいんだよと自分に言い聞かせてみる。
今、心が動くことをやればいい

心配からでなく、愛から

by umiyuri21 | 2017-10-27 02:41 | ヨガ滞在記

I Love You

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私のベリーダンスの師匠、トルコのセマ姐さんからこんなメールが届いた。

I Love You 💗今日は国際アイラブユーデイ。20人の人に愛を送って下さいね。私にはどうか送り返さないで、だって私は自分が愛されてるって知ってるから!」


ベリーダンスを習っていた頃、NHKで放送されたトルコのベリーダンスを紹介する番組でセマの踊りを見て、心底惚れてしまい、イスタンブールまで会いに行った。彼女の踊りは本当に情熱的で、踊りと彼女の魂が完全に一体化していた。当時すでに彼女は60手前くらいだったんじゃないかな、優雅で細やかで、貫禄があって、ステージの上にしっかり在る。そのプレゼンスが素晴らしかった。


イスタンブールで会った時も、ジプシーたちが演奏するレストランやクラブに連れて行ってくれて、旅行者ではなかなかアクセスできないディープな世界を見せてくれた。ダンサーだし、イスタンブールの夜の世界で40年生き抜いてきた人だから、性格も一筋縄ではいかず、そばにいると結構大変でトラブルも多いでも姉御肌で愛に溢れて、今でも本当に尊敬している。


私はベリーダンスから離れちゃったし、すっかりインドに根が生えてるから、セマに会う機会はなかなかないけど、たまに「I Love You 」とハートのいっぱい描かれたスタンプを送信してくるのだ。


ジョシーとセマって結構似たタイプだなーと常々思っていて、年齢も近いし、情熱的で、目立ちたがりで女王&王様キャラで、近しい人には気難しく、意外と不器用で、そして同時に愛に溢れている。妙に勘が鋭いところも。

向かってるベクトルは正反対だけど、コインの裏表みたいだなって。

私って結局そういう先生が好きなのかも。


送られてきたメールはチェーンメールみたいなものだろうけど、今日はセルフラブについて書かれた本を読んでいたから、シンクロだなーと思った。

今日は国際アイラブユーの日、ですか


I Love You 」ってジョシーもよく言う言葉。彼に最初に会った時も「愛って何だと思いますか?」って聞かれた。「それは私も知りたいと思っていることです。」と答えた。


愛は本当に深く、年齢とともに少しづつ色んな事が分かってくる。30代くらいまでは愛といったら好きが深くなった程度の認識しかなかった。

好きにはリミットがある、誰もかれも好きにはなれないし、好きだったけど好きじゃなくなる事もある。でも、愛にはリミットはない。


愛してたけど、今は愛してない、ということはない。相手が愛を返してくれないから愛していないという事もない。愛を送ることはできても、愛を奪ったり、つかみ取ったりもできない。ただ愛は在るだけだから。


特定の相手がいなくても愛に溢れることができる、今この瞬間に。

セマもジョシーも彼らが「アイラブユー」という時、

特定の誰かだけを愛しているのではなく、ただ愛に溢れて歌っているだけなんだろうと思う。そしてそれはやがて、自分自身への深い愛へと流れ込んでいく。


20人にメールを送ることはしませんが、私も沢山の愛を贈ります。

I Love You 💗💗💗❤️❤️❤️💗💗💗❤️❤️❤️

そして、その愛を送り返さなくて大丈夫、だって私は自分が愛されてるって知ってるから





by umiyuri21 | 2017-10-25 00:52 | ヨガ滞在記


旅とヨガとイラストレーション。世界と身体と脳内をめぐる旅。


by 若山ゆりこ

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