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カテゴリ:ヨガ滞在記( 103 )

ちゃんとするって何のこと?

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ようやっとジョシー先生、カンニャクマリへ帰りました。

ちょっと寂しく、ようやっと一人になれたー!という開放感が半々。

彼がここに来たのは先月の23日だから約1ヶ月。私にとって長く濃密なリトリートはが終わりました。自分が感じたこと、学んだことは、少し一人で過ごしながら浸透させていきます。


でも一番の収穫は、彼がただそのままでいいのだと、周囲の人々のオープンなエネルギーから学べたこと。

それまでは何だかんだと、自分が自分自身にするように、ジョシーがそのままでいることより、ちゃんとする事を望んでいたなーと思うのです。

彼は事故の記憶障害のせいもあり、急に怒りだしたり、脈絡のない事をよく言ったりもします。それで家族と喧嘩したり、空気をぶち壊しにすることも多かった。でも、それは元気な頃からそうだったらしいけど。


だから今回もそんな粗相をしてその場を凍りつかせてしまったらどうしようと、ずっとヒヤヒヤしていました。そして実際急に怒る場面もありました。でも、笑ってる彼もいいけど、全身全霊で怒ってる時もいいよねという声が聞こえて来た時に、あ、そうなんだーと気がつきました。いつもニコニコ笑ってなくてもいいんだ。


言うまでもなく、他者に対する要望は、そっくりそのまま自分に対する要望です。自分にOKが出せないことは他者にもOKが出せない。だから人のどんなところにムカつくかで、自分が自分に許せてない事が分かります。


どうやら私はものすごく「ちゃんと」する事を自分にも自分の近くにいる人にも強いてるらしい。だから「ちゃんと」してない人を見ると猛烈にイライラするのです。


「ちゃんと」するって何のことでしょう?

ものすごく曖昧な日本語ですね


何のために「ちゃんと」するんでしょう?

他人に悪く思われないため、不快感を与えないため


郷に入れば郷に従えばじゃないけど、その場の空気が求めている不文律を無視して勝手に気ままに振る舞う人を私はどうしても許せませんでした。

自分だって別に大してちゃんとしてる訳でもないのに。


そして自分自身がその場の雰囲気を無視して勝手に気ままに振舞ったらどうなるんだろう、と考えたら、息が苦しくなるほどあり得ない!という抵抗が起こる。


ということはそこに、明らかに不要なテンションがあるのです。

それが恐怖なのです。


一昨日書いたブログの「言葉」はそれに対するジョシーの答えです。


私が「自分が自分自身に正直に振る舞おうと、考えただけで汗が出る。それが出来るまでに何百光年もかかりそうな気がする。」と言ったら


いいや違うよ、やろうと思ったら指を鳴らすように、パチンってすぐ出来るよ

と答えました。


考えてみたら、自分の人生に多大な影響を与えてくれた人は、ほぼ全員「ちゃんと」してない人でした。(先生を含め)

私は彼ら、彼女たちを敬愛して憧れつつ

そのちゃんとしてなさ具合に、どこかで反発も感じていました。


もしかしたら彼らはみんな私にこう言いたくてやって来たのかも

「ちゃんとしなくてもいいんだよ」

「あなたも、本当はこんな風に自由にやってみたいんでしょ?」

「やってもいいんだよ」


本当にね、ちゃんとするのをやめたら、どうなるんだろうね。

ちょっとやってみる?


という入り口に、私は今立っています。












by umiyuri21 | 2017-10-21 01:32 | ヨガ滞在記

言葉

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今日はインドはディワリという大きなお祭りの日ですが、ケーララは全く何もありません、家庭や寺院でささやかにお祝いしているらしいけど、静かなものです。ケーララはホーリーも祝わないし、ヒンドゥー教と言っても文化は独特です。最大のお祭りは8-9月に行われるオーナム祭。


テンプルも木造で日本の神社みたいだし、お祝いの席で着るサリーも白一色。何となくケーララにいると、基本はインドとはいえ日本との共通点を多々感じるのです。


ケーララの伝統家屋は木造で日本家屋に似ている、あまり感情を表に出さず、繊細。教育熱心で平等主義的、そして酒好きで、自殺率も高い。食事もおかゆを食べたり、味付けも他のインド料理に比べたらあっさり目。干した小魚のドライカレーなんてほとんど佃煮。それをおかゆに混ぜて食べたりしている。


だから、ケーララにいるとあんまりインドにいるって感じがしないのです。まあ、タミル語が日本語の起源という説もあるくらいだから、日本と南インドは意外と繋がっているかもしれません。


ジョシー先生は今日こそ帰る予定でしたが、知人が急逝したとのことで、弟のお迎えはまたも来ず、(こういう約束にゆるい所は日本と違うけど)今日もゆるりと先生トークに付き合う一日でした。


先生語録とも、もうすぐしばしのお別れなので

今日は細かいことは記さずただ言葉だけシェアします。



自由とは恐怖がないということ

大概の人は恐怖の中で人生を送っている、

その恐怖がなくなったら 自由だよ


あなたは随分上手くなってきたよ、だから周りにいる人も変わってきたんだ

だからいつか、それは起こる

時間は関係ない、やろうと思ったらすぐできることなんだ


でもそれがいつ起こるか、それがわかる知恵は私にはない


今のあなたは要らないものを被って歩いている、分かるだろう?


あなたは本物になりたいと思っている


でもそれを知らない人は、あなたは本物じゃないと言うかもしれない

見てる人の話は話だけって考えて欲しい

それは気にしないで


本物になったら、本物かどうかが分かる

どうやったら本物になるかただやって下さい


毎日の生活が偽物じゃないって考えたら、本物になる


鏡を磨いて下さい



by umiyuri21 | 2017-10-19 00:55 | ヨガ滞在記

人間はまっくろ

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今日ジョシーは家族の元に帰る予定でしたが、迎えに来るはずの弟に電話したら、今忙しいからもう少しそっちに居させてとのこと。まあ、薄々そうなる予感はしてましたけど。

普段はジョシーの弟がずっと彼の面倒を見ているので、こうしてジョシーが別な場所で過ごしていれば、弟もゆっくり羽伸ばしできます。もう少し休暇を伸ばしたくなったんだろうな。

ということで、今日は日曜で宿のスタッフもほとんどお休み、ゆっくりのんびり過ごしました。


時間があったので、気になっていたことを尋ねてみました。

実は、リトリートのはじめに

「あなたは心の中で喧嘩してるの、それはすっごい悪いなの。もっとハートを開きなさい。」とジョシーに言われて、結構ショックだったこと。


ヨガのレッスンのときもあなたはまだ閉じていると言われたっけ。思い当たる節があったので、指摘されて傷ついたし、その時に感じた痛みが、まだモヤモヤと心の中に残っている。これを一体どうしたらいいのかと


インドにいる間、よく人から考えすぎ、頭を使いすぎと言われます。もっと感じてみなさい、ハートを開きなさい。それを言われる度に、はあ、またですかと悲しい気持ちにもなり、腹も立ちます。


別に自分では感じていない訳じゃないと、思うのです。むしろ感情は深い方ではないかと。だからこそ、それを気取られるのが嫌で、感じている自分をとっさに隠そうとしたり、周囲に合わせて感じることを後回しにしたり、感じたことを分析して収めようとしてしまう。


むしろ、感情を持て余している、という感覚が自分にはあり、だから開いていないと言われると、「ちっ、余計なお世話」と毒付きたくなります。


だからハートを開くと言うのは折に触れて立ち返る、大切なテーマでもあります。


その時に彼はこう言いました。


「痛みは悪くないよ、痛みがなければ道を歩くことはできない。」そして手をボウルの形にして続けました。

「ボウルっていうのは、上を向いていても下を向いていてもボウル。でも、こうやって下を向けていたら仕事しないよ。下を向けている人は、ヒマラヤに行って苦行とかするんだよ。彼らは私たちが人間として生まれて来たことを、受け入れたくない。でも自分がなぜ人間かって分かったら、すごく簡単で楽しいよ。」


なるほどね。


心にチクリとした痛みを感じると、それが嫌で、何とかして取り除こうとします。でも、本当は痛みがないと、私たちは自分自身の心に向き合おうとすらしないかもしれません。

身体も調子がいいと、痛みを感じません、だから平気で無理ができます。痛みや不調が出てくると初めて、自分の身体に目を向けます。どこに無理をしていたか、どうやって身体を扱っていたか。身体の声に耳を傾けようとします。

心も同じです。


痛みは自分の心を知る扉、痛みを真っ向から引き受け、ストラグルする中で、心は成熟するのかもしれません。痛みは悪いことじゃない。ヨガだって痛みの向こう側に突き抜けた時に、身体の新しい地平を発見したりするのだし。


ハートを開くとということは、いつも愛や光に溢れてろって言うんじゃなくて、私たちの全ての感情に開いていること。むしろ光でいようとして無理をするから、心が閉じてしまうのかな。


私たちは天使に生まれて来たんじゃないのにね。


そこで思い出したのが、リトリートの時に、光と闇というテーマでディスカッションした時にジョシー先生が言った言葉。


人間はみんなまっくろなんじゃないんですか?


by umiyuri21 | 2017-10-16 01:44 | ヨガ滞在記

私は世界とヨガをする

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ケーララに帰って来てから、ずっと雨がちな天気だ。一日中曇っていて、時々雨がパラつく。涼しいから悪くはないけど、水シャワーがつらいなあ。


一年中暖かいケーララでは、大抵の家庭にはホットシャワーが付いてない。暑い時期はそれでも全然OKだけど、雨季と乾季の合間の季節は意外と冷える。


明日でジョシーもカンニャクマリに帰るので、再び一人の日々になる。ジョシーとお別れはいつも寂しいけど、一人の時間も待ち遠しい。この数週間ずっと忙しかったし、色んな変化もあったので、それをじっくり浸透させるには、少し一人で過ごしたい。


今回は私にとってジョシーのヨガを学びなおす素晴らしい機会になった。自分が感じ取れていなかった部分、分かったつもりでスルーしていた部分を自分の中に再び落とし込む事が出来たと思う。特にここ2年くらいは彼も体調が悪く、まとまってヨガを学ぶ時間がなかったし、そういう状況だから私も他の教室に学びに行ったりして、いつの間にか、彼のヨガのキモの部分から少し離れてしまっていたな、ということも再認識した。


鶴田真由さんも「Silence of India」の中で書かれていたが、ジョシーのヨガクラスではいくつものアーサナをこなしていくもではなく、数ポーズをじっくりと行う。動き自体はとてもシンプルだが、きちんとやるのは意外と大変なのだ。腕の上げ下ろし、立つ、身体を曲げるといった動きの中で、どこまで繊細に感じていけるか。理解が深まればその動きに対する感度も上がって行く。


はっきりいって全然一般向けじゃないし、その時身体ができることの120%くらいを目指そうとするので、かなりキツイし、自分もその動きに対して深い理解がないと教えきれないので、自分がクラスをやるときはなかなか徹底できず、ジョシーヨガの動きを取り入れつつ、色んなアーサナを入れ込んで行くスタイルになっていた。


でも、今回リトリートでのみずかさんのクラスは、かなりジョシーのスタイルを受け継いでいて容赦がなく、泣きそうなほどキツイ瞬間が何度かあり、ああこれだった、と私も思い出した。しかもアーサナに対する感度もかなり繊細だった。自分では流してしまう部分もしっかりと留まり、ここはもっともっと感じとれる部分なんだなーと、いくつも再確認出来た。


昨日、みんながいなくなった後のアヒムサ・ガーデンでジョシーがヨガを教えてくれた。

といっても立って腕を垂直に上げ水平に伸ばして下ろすだけ。

庭の見えるテラスに立って裸足になり、手のひらを合わせて数十センチ離し、呼吸とともに体の中でエネルギーが循環するのを感じなさいと言われた。


しばらく立っていると、私がこの世界から酸素を取り入れ、身体を巡ってまた世界へ返して行くという循環が、実感として感じられるようになってきた。世界と私は分離せずつながっていた。私は世界ともに呼吸していた。その手をしっかり天に伸ばし、そのままゆっくり水平に伸ばす。手のひらを上にし、次にゆっくりと下にし、下ろす。

手のひらを上にして水平に伸ばすとき、身体にエネルギーが注ぎ込まれるのを感じた。手のひらを下にすると、それが大地へ流され深い受容の感覚が起こった。父なるエネルギーと母なるエネルギーが、身体の中でひとつになり、ゆっりくつろいで腕を下ろしていくと、私は世界の中心で世界をかき集めて抱きしめ、全身で世界を感じいた。


私と世界は本当に分け隔てなくひとつなんだ、という歓びと実感が深く浸透していった。

時間にすれば20分くらいの間だったかもしれない、でもそれで十分だった。


ああ、やっぱりヨガは深いなー


本当に学ぶことはまだまだ、まだまだ沢山ある。

初心に返った気持ちです。










by umiyuri21 | 2017-10-15 01:17 | ヨガ滞在記

神の時間

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ティルバンナーマライからタクシーで一気にケーララに戻りました。行きは列車に乗ったけど、帰りはジョシーも疲れてるだろうからドアtoドアで帰れるタクシーが良いだろうと奮発してみたが、狭い車内で身動き取れない移動は、それはそれで大変で

色々不測の事態もあったけど、なんとか無事に帰って来られて一安心。


そして今日、戻ってくるなりジョシーが教会に行きたいと言い出した。この近所にジョシーの母方の教会があり、そこへ行きたいと言う。


ランチの後にオートを呼んで出かけようとしたが、今日に限って近所のドライバーが皆出払っていない。しばらく待ったがオートはつかまらず、それでも彼がどうしても行きたいと譲らないので、タクシーを呼ぶことにした。車で10分の距離だが、ドライバーは遠くからくるので往復400ルピーとのこと。高いなー…

まあ、それも仕方がない。彼が行きたいと言うのには何か理由があるんだろう。


ようやく車が来た時には夕方になっていて、雲行きもかなり怪しい。雨が降るに違いない。教会はこじんまりしているが、見晴らしの良い場所にあり、ジャングルが見渡せ、良い気が流れている。ティルバンナーマライはシヴァの強いエナジーが充満しているが、原始キリスト教が伝播しているこの辺りは、ジャングルの中に沢山の教会が点在し、柔らかでミスティカルなキリストのエナジーに満ちている。


車の乗り降りも大変なジョシーを引っ張り上げ、教会の階段をゆっくり登り、ようやく礼拝堂に足を踏み入れる。中は暗く、誰もいない。ろうそくがほのかに灯されているだけだ。その静けさの中に暖かな広がりを感じ、しばらく留まりたいと思った矢先に、彼は言う。

「さあ、もう帰ろう。」

え、ここに5分もいないんですけど

「終わりといったら終わり。もう済んだ。」

「神様と何か話しましたか?」

「話したんじゃない、神様に会ったから十分です。」


いいけど…400ルピーも車代払うんですけど

って言っちゃいけないのは分かってますが…

時間とお金はカウントするな、と言うのが口癖のジョシーらしいやりかただけどさ。


そして再びゆっくり彼を車に乗せ、戻って来た瞬間にパラリと空から雨粒が落ちて来て、激しい雨が降り始めた。


部屋に戻って彼が言う。

「神様っていうのは、いつも一緒にいるものだから、教会に行く必要はないの。」

「じゃあ、どうして今日は行ったの?」

「神様を感じるか感じないか分かりたくて行った。」

「で、どうでしたか」

「うーんやっぱり教会っていうのはちょっとビジネスだよねえ。笑」

はあ、そうですか


そこで思い出したのは、ティルバンナーマライでシヴァ大寺院に行った時、ジョシーが入り口でチャッパルを頑として脱ごうとせず、すったもんだした挙句、結局中に入れなかったこと。もともとチャッパルの着脱が大変なのと、色々落ちてる地面で裸足になると歩きにくいのと、チャッパルを預けるためにお金を払う(たった5ルピー)のが気に障ったのと、周りから強制されたのと、表向きの理由はまあ、そんなところ。


それでがっくりして無駄足を踏んだ気分で戻って来たのだけど

ようするにジョシーが表現しようとしていることは同じなんだろう。


神さまは寺院や教会だけにいるのではない。

神の時間は時間やお金とは無関係だ。


毎度のことだが、単にボケているのか深いのか、よく分からない、スレスレのジョシーのクレイジーさ


でも彼が生きている時間は、私のそれとは明らかに違うことだけは間違いないな。



by umiyuri21 | 2017-10-13 00:36 | ヨガ滞在記

瞑想はいつでもできる

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あっという間にティルバンナーマライ4日目ですが、大したことはしていません。


まあ、ジョシーに合わせての旅なので、できることには限りがあります。ゲストハウスのベランダからアルナーチャラを見ながらのんびり過ごしています。


でもぼーっと山を見ているだけで、大きなエネルギーが、どかーんと体に押し寄せて来るようです。意外と何もしないでぼーっとしている方がその感覚が強烈かもしれません。山を見ているだけで眠くなってくる。プラダクシナも寺院巡りもできませんが、今回はジョシーと一緒にティルバンナーマライに来たいというのが目的なので、これで十分です。


ここ一年ジョシーの状態を見てきた私としては、こうして一緒に山の見える道を歩いているだけでも、不思議な感覚になります。一時期はもう旅なんて無理だろうと思っていましたから。


身体に不自由がある人と旅をすると、普段とは違った事も見えて来ます、たいていの人はとても親切で彼の状態を気遣ってくれるけど、たまに意地悪な人もいます。あと、みんな彼の年齢を聞きたがるけど、ジョシーはそれが嫌で、はっきり拒否するのでちょっと困った空気が流れたり。今日は「人の年を気にするから、あなたは年を取るんだ。」と言い放ってましたもん。(何気に名言!w)


健常者だと気にも留めない道のりが、途方もなく長く感じられたり、急いでいる時に動作が遅いと本当にイラついて、呼吸が乱れて、汗もかいてくる。自分のしている事が果てしなく不毛で理不尽に感じたりもます。


そういう不快な時こそ、今に気づくチャンスでもあります。この不毛な現実の中で湧き上がってくる、感覚や感情に気づいている。そこに開き、時にその痛みにも触れてみる。本当にマインドフルでいることの、これ以上に学びはなかもしれません。ジョシーがバランスを崩さないように、気を配りつつ、周囲の様子も注意しながら、ゆっくりゆっくり歩く。リアルにウォーキング・メディテーションができます。


あと、トイレに連れていくときもかなり難儀なので、ここも瞑想のチャンスです。トイレ瞑想の場合は間に合わなかったら困るーという心配で、テンションが上がるので、さらに難易度アップかも。旅先のトイレはいつも綺麗なわけでもないし。どんな時も、息を整え彼の歩調に合わせる。たとえ間に合わなかったとしても、そこにOKでいられるか、とかね。

このくらいの事は、子育てや介護をしている方々には当たり前でしょうけど。


でもそうやって、彼を信頼し、自分もなるべく焦らないで自分のスペースの中に留まろうと心がけると、不思議と彼ができる事もだんだん増えていくという現実も目の当たりにしていますエネルギーは本当に影響して循環するんだなと、改めて感じいります。


旅は色々不測の事態も多く、外に出ている時間も長いから、大変さも倍増します。でも今回は4人で旅しているので、だいぶ余裕もあるし、それぞれが感じたことをシェアしながら、フィードバックしているので、起こっていることの気づきも普段より深いです。


日々日常の中で瞬間瞬間に気づき続ければ、私たちは今起こっていることに、果てしなく繊細に開いていけるのです。そうすれば、世界はいつでも学びと驚きに満ちています。


明日はケーララへ帰ります。


by umiyuri21 | 2017-10-11 03:14 | ヨガ滞在記

ラマナアシュラム


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今日はラマナアシュラムへ。さすがに連日のジョシーのお世話で疲れ気味だったので、今日はお留守番をお願いして一人で出かけた。


ラマナアシュラムは世界中で最も好きな場所のひとつかもしれない。ここに座っていると本当に落ち着く。ぶれていた心がすとんと真ん中に収まって、心が静かになる。


シーズン中は巡礼者でかなりざわついているが、この季節は静かでいい感じ。私がこの場所が好きな理由の一つは、特別な講義もメソッドもなく、ただ静かに座るだけの為に365日全ての人に開かれていること。もちろんアシュラムには色んな人が来るけれど、ラマナを慕い、静けさの中で座るという空気が、深くしっかり保たれている。だからこのエナジーの中にいるだけで本当に気持ちがいい。


私にとって時に瞑想は、恋人に会いに行くような高揚感がある。お気に入りの場所で瞑想する時は特に。それは私という恋人、内なる私とひとつになる時間だ。私が私の中にゆっくり分け入り、そしてひとつになっていく、その時ブリスが起こる。もしも私が私自身を世界最高の恋人にできたら、私はもう何も自分の外には求めないだろう。けれど実際は、私たちはいつも、自分以外のものの為に自分を差し出し、自分以外の何かになろうとする。


瞑想はそれをゆっくりと、自分の中心の軸へと戻して行く時間だ。幸福とは、私が私自身にイエスということに他ならない。今の自分、自分が体験していることに全面的にオープンで、完全に受け入れ、味わい尽くしている状態。幸せは外側の何かが持ってくるのではなくて、心が完全に開く時に起こる。


座っていると心が深いところまで沈んでいき、こびりついた澱が剥がれてゆっくり溶けて行くのを感じる。最近忙しかったから、知らない間に随分と色んな事を溜め込んでいたらしい。心が静けさを取り戻すと、世界は輝きを増す。


遠くから聞こえる、猿や孔雀の鳴き声、扇風機の回る音。フランキンセンスの香り、マントラの詠唱、人びとのささやき、自分の中心を通って行く呼吸の感触。薄眼を開けると人々が暗闇の中で思い思いに座っている。ひれ伏す人、恍惚としている人、祈る人。ラマナが生きていた頃から、こうやってずっと人々は座り続け、同じ風景が繰り返されてきたのだ。


このアシュラムの中に、自分が身を置いている時、受け取るメッセージはいつも同じだ。


あなたはどこへも行く必要がない、ただここにいて、静かに座っていなさい。


ただ静かにあり続けることに、心からイエスと言える。

ここは世界でも稀な場所だと思う。





by umiyuri21 | 2017-10-09 02:54 | ヨガ滞在記

アルナーチャラへ慰安旅行

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リトリートも無事に終わり、ただいまティルバンナーマライへ4泊だけの小旅行に来ています。メンバーはジョシーと講師のみずかさんと、彼女の生徒さん一人、合計4人。

もともとこのリトリートの企画を立てたきっかけは、今年の3月にみずかさんがジョシーに会いに来た時に、ジョシーがまだ元気なうちにどこか一緒に旅行に行きたいね、という話が持ち上がったこと。

そしてどうせ行くなら、ただこちらがプレゼントするのでなく、彼に働いてもらいましょう!ということになりました。それが多分、ジョシーが元気になる一番の薬になるはず。


最初はどこかケーララのリゾート地でのんびり、とも考えていましたが、やっぱり行くならパワフルでスピリチュアルな場所がいい。それならばアルナーチャラを見に行くのはどうだろう?


ケーララからティルバンナーマライまでは夜行列車に乗らねばならず、身体の不自由なジョシーを乗せるのはやや難易度が高い。ギリギリまで躊躇していたものの、1週間のリトリートでかなり体力も気力も向上してきたので、思い切って夜行列車の旅へ。


実際に駅に来てみると、車椅子がちゃんと用意されていて、お金を払えばポーターが車椅子を持ち上げて車両に乗せてくれました。乗ってしまえば、横になれる寝台列車は断然楽チン。しかし、たまたま席が隣り合ったインド人のおばさまもどこか身体の調子が悪いらしく、冷え冷えのエアコン車両にもかかわらず、汗をかいて苦しそうにしている。そして、車掌にエアコンの効きが悪いとずっと文句を言っています。エアコンの温度がぐんぐん下がり、もともとエアコン嫌いなジョシーが今度は調子が悪くなり、トイレも近くなって、一晩中トイレに起きるのでほとんど眠れなかった本当にただではすまないのがインドの移動。


降りる時は事前にタクシードライバーに事情を話したら、車両の出口で待っていてくれたし、ポーターが車椅子をタクシー乗り場まで運んでくれて一安心、勝手にガンガン運ばれてケーララに比べてかなりぼられたけどまあ、意外となんとかなるものです。


ケーララはようやく雨季が明けつつありますが、タミルナードゥ州は12月まで雨季。いつもは乾燥しているティルの空気もモワッと霞んで、かなり暑い今も激しい雷と雨が降っています。緑に覆われたアルナーチャラは普段とは違った風情です。






by umiyuri21 | 2017-10-08 03:36 | ヨガ滞在記

ミラクル


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ヨガと瞑想のリトリートin Kerala
無事に終了いたしました!参加してくださったみなさま、本当にありがとうございました。みんなのエネルギーが呼応しあって素晴らしい時間になりました。本当に感謝しています。

始まる前は何が起こるかドキドキでしたが、求める人のエネルギーでジョシーの扉も開かれて日々身体の状態が少しづつ変わって行くのを見るのは感動的でした。この宿のヨガハットは屋上にあるのですが、最初の日はよろよろ注意深くゆっくり歩いていたジョシーが、最後には介助なしで、手すりにつかまり一人で登りおりできるようになり、
そして最終日はパドマアーサナができました!

実際に数日間ジョシーと時間を共にしてきた人にとって、胸の熱くなる場面でした。というのも今年の3月にはかろうじてパドマアーサナはできたけれど、その後二度目の骨折でしばらく寝たきりになってからは、腰が立たなくなってたから。椅子に座るのも背もたれなしでは危なっかしい状態。そういう体から始まって、毎朝のヨガの時間、淡々と自分に出来るヨガを行い、時には生徒たちにアジャストをしながら、自分の体も整えて行く、彼自身がいつも言うように静かに全く呼吸の変わらない状態で、根気良く、それが出来るまで丁寧に積み上げて行く、その様子をみんなで見守っていたから。

日を追うごとに、場のエネルギーも深くなり、参加者の方々もそれぞれの内なる領域に向き合い変容するのを、感じていました。私はジョシーのサポートと実務が仕事だったので、あまりクラスに参加できませんでしたが、その変容のエネルギーに影響を受けて、私の中の深いものが掘り起こされたように感じています。それが何なのか、色々と起こった事を消化するのに、少し静かな時間が必要だなと思っています。

出来る事ならジョシーが元気でいるうちに、こういう機会を継続させてジョシーのヨガのエッセンスが必要の人に伝わって行けば良いなと、と切に願っています。もし興味があって、やるなら次回は参加したいという方、どうかご一報ください…!

そして明日から慰安旅行兼巡礼の旅に出ます。
まだまだ気が抜けない!

by umiyuri21 | 2017-10-06 02:12 | ヨガ滞在記

ダンス、ダンス、ダンス!

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今回のリトリートはヨガと瞑想の時間だけでなく、ダンスの時間も毎日2時間作っています。ヨガと瞑想は基本的にみずかさんが教えています。ジョシーはコンディションによってそこにジョインする感じ。昼間にジョシーを交えたサットサングがあります。残りのダンスタイミングが私の担当。

2時間あって、1時間軽いダンスワークをして、1時間はフリーダンスという構成。ベリーダンスを7年くらい踊っていたけど、ダンスクラスをシェアするのは、実ははじめて。どうなることかと思ったけど、選曲も結構頑張ったし、みんながダンスに入り込んでくれると、素直にうれしい。
こうして久々に踊ってみると、心と身体を開いてくれるダンスの可能性を感じています。
回を重ねるごとにみんなのハートと身体がほぐれてくるのが分かる。ヨガと瞑想とダンスの組み合わせってかなりいいんじゃないかなーって。
ダンスと瞑想とヨガ、それぞれに良いところがあり、お互いを補いあってる感じ。

踊りを通して、自分の体の可能性や感情を解放させて、開いていく。何と言ってもダンスに良いところは楽しいということです。苦行じゃない。でダンスだけ踊っていても、なかなか自分の内側に気づく、在るという感覚は生まれにくい、身体の感覚に深く根付き、しっかり整えてくれるのな、やっぱりアーサナだし。最終的にそれらを統合して行くのが瞑想。瞑想が生まれなければ、ダンスもアーサナもただのフィジカルプラクティスに終わってしまう。

ところで、ここの宿のスタッフは私たちがヨガリトリートと言いつつ、毎夜爆音で音楽をかけている事をどう思っているのかなー。でも今日はいい選曲ねと褒められましたw
騒音に文句を言われないのはインドの本当に良いところ♪

今日のダンスについてのジョシーの言葉
「ダンスはヴァイヴレーション、私たちの体の中にヴァイヴレーションがあり、
音楽が消えてもそれは終わらない。人生の中にハーモニーがなかったら、それを感じる事ができない。ハーモニーを感じる為にみんなのハートは暖かい。」

私たちも世界も本当は常に振動している、うねり、ダンスそのもの。私たちだけが人生に手を伸ばすのではなく、人生も常に私たちをダンスに誘っている。私たちは一つのうねり一つのダンス。そのヴァイブレーションを身体のうちに感じる時。ダンスが始まる。
by umiyuri21 | 2017-10-03 02:26 | ヨガ滞在記


旅とヨガとイラストレーション。世界と身体と脳内をめぐる旅。


by 若山ゆりこ

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