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インディアン・ヨガライフ〜ケーララの村で暮らす 最終回

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水面に写るさかさまの世界

 東京に戻ってケーララ出来事を思い起こすと、全てが現実ではないような、夢の中にいたような不思議な気分になる。いや、ケーララにいる時も、今起こっている事が現実でないような心地が常にあった。
 午後遅く、ボートに乗って川の風景を眺めていると、ちょうど水面が鏡のようになり、水の中に逆さまのもうひとつの世界が浮かび上がった。その逆さまの世界だけをじっと見つめているうちに、水の中に揺らめくその幻に吸い込まれてゆきそうになる。自分の毎日もこの夢とうつつの隙間の世界みたいだ、とよく思った。
  
 滞在中は現地の携帯もPCも持って行かず日本との通信はほとんどできない状態だった。頼みの固定電話も国際電話の契約が解除されていて、受けることは出来てもこちらからはかけられない。ネットカフェに行きたくとも、これまたバスで1時間弱かかるチャンガナチェリーまで出るしかない。  
 会話といえばジョシーの謎の日本語に付き合うか、彼の友人や家族とつたない英語でコミュニケーションを取る。ほとんど情報が遮断された状態に暮らしていた。

「悩みや迷いは大抵5感を通して外からやって来る、だから不必要な情報をむやみに入れないほうがいいんだ。」
 確かに新聞もほぼ読まず、テレビもなく、TwitterもFacebookもネットもチェックしない毎日は、振り返れば、余計な考えに患わされない静かな日々でもあった。普段とは全く違う流れの中でヨガを実践し、生活し、自分の身体と心を否応なしに見つめていると、まるで水面にぷくりと汚れが浮き上がってくるように、忘れていた過去の記憶や、自分の中の頑固な思い込み、自分でも気が付かなかった側面を発見した。私がそれを口に出して言わずとも、それを察してか偶然か、絶妙なタイミングでブレイク・スルー的発想に導く言葉を投げかける師の直感力にも脅かされた。

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 帰国の日が近づき、ようやく心に余裕が出てくると、今までジョシーが教えてくれたこと、起こったことの全体が見渡せるようになってきた。それまでは全く気持ちにゆとりがなく、日々の雑事と師匠の言動に振り回されてばかりいたのだ。結局の所、彼は私の身体の使い方、心のありよう、食生活などを一旦バラバラに解体し、地ならしして、これからヨガを学んでゆくためのしっかりした土台作りをしてくれていたのだ、と気がついた。それなのに私は、すぐに2階建ての家くらい建つかと思って、何かとイライラをぶつけていた訳だ。今となってみればもう少し素直に、謙虚に学ぶべきだったと反省してしまった。そういえば、ジョシーもずっと私に、自分は何でも知っていると思うのを止めて、もっと謙虚になりなさいと言ってたのだっけ。(その時は十分謙虚なつもりだったのだ)
 
 彼が損得勘定なしに私に教えてくれた事の大きさに、今更ながら深い感謝と信頼の心が芽生えてきた。私の全く想像外の生活ではあったが、結構ディープな「スピリチュアル&ナチュラル・ヨガライフ」ではあったのだなあ、と思い至った。まあ、どちらかというと戸塚ヨットスクールに近かったような気もするが。この5ヶ月間何度、体当たりでバトルしたことか。きっと彼も私の煩悩やエゴの深さにやれやれと思ったことだろう。
 ともかく、終わり良ければ全て良し、ということで。

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 言葉の問題があったので(何しろ英語がほとんど通じない)、村人との交流はあまり多くない生活であったが、それでも私がもうすぐ帰ると言うと、何人かの人々がわざわざ挨拶しにやって来てうれしかった。少いヨガ友のニティンとソーマンもその二人であった。ソーマンは随分前からジョシーからヨガを習っており、子供向けのクラスなどで教えていた。他にも仕事を持っていたが、ヨガの先生になるのが夢らしく、私がちょうど帰る日に、バンガロールにヨガ教師の資格を取りに行くと旅立った。ちなみに試験の費用は1万ルピー(約2万円)だそう。ごく庶民の出身であるソーマンには結構な出費だったはずだ。インドでも日本と同じでヨガビジネスが盛り上がっているんだなあ、とちょっと驚いた。
 ニティンはカースト違いのガールフレンドとの結婚の夢に破れ、人生を変えたくてヨガを習いに来た(笑)、今時の気のいいお兄ちゃんであった。最初は真面目に学んでいたが、そのうち、ジョーティッシュの占星術家であるジョシーの弟が帰省してきて、いつのまにかジョシーよりも弟の元へ足繁く通うようになっていた。まあ、結婚したいならヨガよりも占いだよね。親分肌の弟の方にすっかりなついて、使いっぱやらされてたのが笑ったけど、帰る直前にアーユルヴェーダの目薬が欲しいと何気なく言ったら、わざわざバイクを飛ばして買って来てくれた。
 
 c0010791_15435100.jpg ジョシーは奥さんがケーララに来るまで待つことになり、私だけ一人で帰国することになった。来た時と同じように妹夫婦が空港まで送ってくれる。空港の入り口でみんなに別れを告げると、久々に一人になれてどっと脱力した。同時に今までの怒涛の日々からぷつんと切り離され、夢から覚めたものの、まだ自分が何処にいるか分からないような気持ちになった。
 出国審査ではさすがに5ヶ月何をしてたの?と尋ねられた。もしかしたらケーララに来てはじめて、冷房の効いた明るいきれいなトイレで自分の顔を見ると、真っ黒になっていて驚いた。しかもサングラス跡が見事にシミになり、体もすっかりやせ細っている。

 
 ようやく日本に帰り着き、無事戻りました、とジョシーに電話をする。「今までの数ヶ月が夢みたいに現実感がありません。」と言うと「ははは、ヨガをやっている時の時間は特別なんだよ。自分の時間というものはない、時間は神様のものなのさ。」とのお答え。ものすごく納得してしまった。

 と言うわけで、夢からまだ醒めきってない私は、なんとかあの異次元のような時間を書き残しておきたく、随分と長い滞在記を書き綴ってしまいました。(そういえば、旅から帰ってきて毎度滞在記をブログに書いてはみるものの完結させたのは初めてかも)読んでくれてありがとうございます。本当はまだまだ細かいネタ満載なんですが、何かの機会に発表出来ればいいなあと思っております。
 最後に私の好きなジョシーの名語録をもう一つ。

「自分の身体に礼拝をしなさい。あなたは今、誰とヨガをしていると思う? 地球とだよ、あなたと地球は重力で繋がっているんだから。」
 
 さて、明日もヨガやりますか〜!
by umiyuri21 | 2013-05-27 15:45 | ヨガ滞在記

インディアン・ヨガライフ〜ケーララの村で暮らす Vol.12

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パブリック・ボートからハウスボートを眺める
 
 こうした一筋縄ではいかない生活はなかなかしんどく、つい切羽詰まって、「帰りたい」とため息を付くことも珍しくなかった。そんな中での慰めはケーララの美しい自然環境であった。
 四方八方を水に囲まれ、緑はどこまでも豊かに続いている。朝は森のあちこちから聞こえてくる鳥のさえずりで目が覚めた。木々の隙間から朝日がこぼれ、さわやかな光を浴びながらヨガをするのは格別であった。
 
 ジョシーの実家のすぐ裏は運河になっており、村の人々の生活の場になっていた。一日中誰かしら、洗濯をしていたり水浴びしたり、泳いでいる子供達の笑い声が聞こえてきた。昔はその脇に専用のボートハウスがあり、学校などにはボートで通っていたという。
 「この辺は今ではジャングルみたいだけど、昔はもっと整えられた村の風景だったんだよ。車道がない時代は移動はボートか徒歩だった。この家の前の道だって、今は通る人もいないけど、本当はチャンガナチェリーまで通じていて、昔は往来も多くにぎやかだった。だからヨギたちがこの道を通って、うちに泊まっていったんだ。カナルだってもっとキレイだったよ、ちょとした物売りはみんな船でやって来たから買い物に行く必要なんてなかった。」
 つい最近までは、ジョシーたちも運河の水場で身体を洗っていたらしいが、この頃は水が汚れてしまい、あまり入らなくなってしまったとのこと。私も一度くらい運河で水浴びをしてみようかと思ったが、そうこうしているうちに暑くなると、水草が異常繁殖をはじめどんどん水が濁ってきてしまった。
 ケーララの風景は急速に変わりつつあるようだったが、それでもまだまだ美しかった。
 
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 少し歩くとゆったりと流れる大きな川があり、そこからはまだアレッピーやチャンガナチェリーまで行くパブリックボートが運行していた。
 パブリックボートはバスよりも1.5倍くらい時間がかかったが、空気もキレイでリラックスでき、荷物が多くても置き場所があったので、買い物帰りによく乗った。夕方4:45にチャンガナチェリーを出るボートは、夕暮れ時で風も気持ち良く、夕涼みできるので二人ともお気に入りだった。
 町の真ん中にあるバス乗り場は人で溢れ、わさわさと落ち着かないが、ボート乗り場の周辺はすっかり寂れて、時間が止まったように静かでゆったりしている。手前の屋台でバナナを買い、レモン・ソーダを一気飲みするのがお決まりであった。
 ボートの運賃は1時間ちょっとの旅でバスのほぼ半額、たったの5ルピーである。(約10円)
 
 水辺の風景を眺めていると、飽きることなく本当に心が洗われた。川べりに点在する水場で体を洗う女性たち、小さなボートで行き交う人、大小様々な橋、水田と川の間のあぜ道のような細い土地に並ぶ家。水草の上に泊まる鳥。ボートが時間調整のためにエンジンを消すと、急にあたりは静まり返り、水音と鳥の声と遠くで洗濯をする音が耳に飛び込んで、それはうっとりするような天国の響きだった。
 ボートでの移動は、せわしないバスとは違い、乗客たちもリラックスして川の風景を楽しんでいるように見えた。音楽を聞いたり、昼寝したり、お菓子を食べたり、おしゃべりをしたり。実際にボートに乗ると必ずジョシーは知り合いに出会ったから、彼らが世間話をしている間、私はのんびりと自分の時間を過ごすことが出来た。
 
c0010791_19552024.jpg この辺りはバックウォータークルーズの拠点で、特にアレッピー周辺は渋滞ともいえるくらいハウスボートが多かった。乗っているのは外国人旅行者だけでなく、都会からの裕福そうなインド人家族も多かった。彼らは村の人々とは顔付きも、体つきも、服装も違った。
 「私はハウスボートは好きじゃないよ。これは公害じゃないか、毎日毎日人々の物見高い視線にさらされて生活するなんてどう思う?」
 確かに水の周りには普通の人々の日常生活があった。毎日の家事を、観光客に見られて過ごすなんて確かにうんざりだろう。それでも人々は、ハウスボートの観光客に向かい、無邪気に手を振っている。男達は全く意に介せず、半裸で黙々と身体を洗っている。
 5年前には、私も6000ルピー出してハウスボートに乗って、通り過ぎる村の風景やパブリックボートの乗客を興味深げに眺めていた。まさか逆の立場になって、たった5ルピーでハウスボートを眺めることになるとは。
  

c0010791_2032574.jpg 本当に大言う事なしのケーララの自然だったが、ただひとつ、困り果てたのはは蚊の多さであった。何しろ水だらけの地域なのだ。ジョシーの家も3方向に池やカナルなどの水辺があり、ほとんど枯れて濁った水が溜まっているばかりの場所もある。
 ヨガ的じゃないという理由で、ベープマットなどの使用はご法度であったので(ナチュラル蚊取り線香は時々こっそり使った。)元来日本でもしょちゅう蚊に刺される私は、とにかく蚊に刺されまくった。(5ヶ月間ほぼ毎日、10箇所以上刺されてたのではないか。)最初の頃は刺された場所が跡になってボコボコに残った。特に足元を狙われるので、念の為に持ってきた靴下が手放せなくなるとは思ってもみなかった。
 
 気にしてバリバリ掻きむしっていると、また師匠からのダメ出しが入る。「蚊を恐れると悪いヴァイブレーションに惹きつけられて蚊が寄ってくる、だからもっと平和な気持ちでいなさい。」「すいません、今ヨガをしているから邪魔しないで下さい、と蚊にお願いすれば寄ってこない。」なんと無茶なと思っていたが、後に弟も「蚊は殺されるという気を感じると、人間を刺す。」と同じ事を言っていたのでケーララの人の間では常識( ? )なのかもしれない。
どんなに気持ちを平和に保とうとしても、どんなに蚊にお願いしても、それでも毎日蚊はやって来たが、確かにだんだんと刺されても跡に残らず引っ込むようになり、あまり気にならなくなった。あんなに嫌いな蚊に耐性が出来たのは、この旅で意外と大きな収穫だったかも。ホント、インドの旅は何事も楽には終わらせてくれません。
by umiyuri21 | 2013-05-25 19:56 | ヨガ滞在記

インディアン・ヨガライフ〜ケーララの村で暮らす vol.11

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インド人もびっくり
 
 日々付き合えば付き合うほど、ジョシー先生には驚かされた。
 今までインドを旅すれば大抵インド人の度を越したキャラクターにびっくりしたり、笑ったり、怒ったりすることが多々あったし、それが旅の楽しみでもあった。「ああ、やっぱりインド人は!」そう言ってしまえば、多少の嫌なことも笑って済ますことができる。しかし今回はインド人と一緒なのでそうはいかない。たまに、うっかり「だからインド人は...」などど口に出すと「インド人とか日本人とか男とか女とかそういうことで物事を判断するのはやめて欲しい。」とダメ出しを食らうだけだ。
 
 そもそも何処へ行っても一番目立って、一番変わっているのは我が師匠だったので、だんだん他のインド人が普通に見えてきた。そして師匠の奇行に時々ハラハラし、そんなことしたら周りのインド人があっけに取られちゃうよ、と要らぬ心配までしてしまう。
 何しろまず、風貌が変わっている。腰まである白髪のドレッドヘアーで、頭には常に日本の手ぬぐいを巻き、足は歩きやすからと日本の地下足袋を履いている。そして短パンにレギンス姿。ケーララの蒸し暑い気候の中で彼はいつも足を保護するためにレギンスを履いていて、そして汗ひとつかかない。「ジョシーさん、暑くないの?」と尋ねると「私は体温をコントロールできるから平気」と言うのだった。生来色白で、顔つきもあまりインド人らしくなく、そんな格好で、しかも日本人の私といるので100%インド人とは思われない。どこでも注目され、必ず英語で話しかけられ、するとジョシーも調子にのってずっと英語で外国人の振りをする。「どこから来たの?」と尋ねられ、たまに正直に「この街だよ」と言ってみても誰も信じない。
 時にはすれ違った女学生に奇異な目で見られヒソヒソと話の種になる。「ははは、あの子達私のこと怖い~って言ってるよ。髪の毛蛇みたいって」と言葉の分かるジョシーには筒抜けである。
 
c0010791_16212516.jpg  彼は全く周囲に対して遠慮と躊躇というものがなく、気持ちが乗ればどこででもヨガを披露するし、音楽がかかれば謎の暗黒舞踏×カタカリダンスを踊り始めた。周りのインド人は何だ何だとけったいな人物をジロジロ見つめるが、ジョシー先生は全くお構いなし。しかも大抵私にも同じ事をやれ!と言うのだ。
 常日頃から「心の垣根を取り払って自由になりなさい、垣根がなくなってこそ本当の愛が表現できる、ヨガは本来真に自由に生きるための知恵なんだよ。」とジョシーは私に言ったが、インド人の前でいきなり踊ったりヨガを披露するほど心臓は座ってない。すると彼は、ふう、とため息をつき、つぶやく。「あなたにはまだ心の垣根があるんだね。悲しいねえ」と。

 
 そんな困った要求に加え、事故の影響で時折彼の記憶の時空がねじれまくるのもさらに私を混乱させた。前述したが、彼はいまだ場所に関する記憶が安定しておらず、疲れてくると突然自分が何処に向かっているのか解らなくなる事があった。夜、オートに乗ろうとしていきなり「三軒茶屋に行きたいんだけど。」と、マラーヤラム語で話しかける、おいおいジョシーさんここインドだよ!と必死に思い出させる私。しかしオートの運転手も真面目な顔で「おいサンゲンチャヤって何処?」と周りの運転手に尋ねているのが笑ってしまったが。
 
 彼はまた、レストランの名前や場所を覚えるのも苦手であった。町に出ると「今日はどこか良いレストランに行こう!」と言い出す。「この町のレストランはもう大抵一度は行ってるよ。」と私。「いや、他にいい場所があるはず!」と人に尋ねて回るジョシー先生。そして辿り着く先は、すでに何度も行っているおなじみのレストランである。
 こんな事が毎度なので、私もこらえ性がなくなりつい不機嫌になってしまう。
 「ここ、前も来てるよ、あまり美味しくなかったじゃない!」しかし先生は動じない。「何故?前においしくなかったからといって、今日もおいしくないとは限らない、新しい気持ちで食べれば変わってくるかもしれないじゃないか。」
 すっかり疲れ果て「ジョシーさんって、本当に不思議の世界に住んでるんだねえ。」と言うと、「うん、こっちの世界は人が少なくて楽でいい。」と飄々と答えるのだった。

c0010791_1622048.jpg そうは言っても、彼が交通事故で負ったダメージを考えると、現在の回復度合いはやはり奇跡的であった。聞くところによれば、事故当初、意識が戻らず手術の出来ない右足が腐り始めてしまい、医者はこのままでは命まで危ないからと、切断を勧めたそうだ。
 なのに今では膝を深く曲げるポーズも数々こなし、歩く速度もほぼ私と変わらない、スタミナは私以上だ。彼は左右の足の長さが大分違っており、段差がある場所はつらそうであったが、どんなに歩いても決して「痛い」とか「疲れた」とか言う事はなかった。しかしこうして普通に歩くために、実はかなりのエネルギーと集中力を使っているのでは、と思うことがままあった。

 
 「事故に遭ったことは、私にとって本当に大きな学びだったよ。大学に入ったようなものさ。人が変わるには3つの要素が必要だ。呼吸、身体、心、この3つが変われば人間は自然に変わる。だから事故は完全に私を変えたんだ。まず当然身体が変わった。そして心、記憶が真っ白になってしまったからね。昔は電話番号だって全部頭に入ってたんだよ。右半身が壊れたから当然呼吸も今までど通りではない。でも、神様のやることにはきっと何か理由があるんだろう。今は私はハッピーだよ、だって悪い考えがひとつも頭に入らないんだから。」
 そんな風に言われるとちょっとホロリとしてしまい、やっぱり憎めなくなっちゃうんだよねえ。
 
by umiyuri21 | 2013-05-24 16:22 | ヨガ滞在記

インディアン・ヨガライフ〜ケーララの村で暮らす Vol.10

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24時間ヨガをする

 滞在当初、私はいつも心に不満を抱えていた。何もかも思っていたのと違う!のである。本当はもっとヨガをディープにできると思っていたのだ、瞑想なんかもしっかり教えてもらえると思っていたのだ。もちろんヨガのレッスンはほぼ毎日あったものの、ごく基本的なポーズをきちんと出来るまで何度もじっくり繰り返し練習させられた。正しい立ち方、座り方、歩き方、腕の伸ばし方、最初のレッスンから続けている開脚のポーズ...パドマ・アーサナ(蓮華座)を正しく座れるようになるまで、延々と練習することもあった。
 
 彼の教え方ははじめから丁寧にアジャストしてくれる訳ではなく、生徒が自分で間違っている所に気づくように仕向ける。だから私がその違いを分かるまで、ずっと同じポーズが続くのだ。私がいつまでも分からずにいると、イライラし機嫌が悪くなった。ある日ようやく、ちょっとした重心の置き方などの差に気が付き、「あ、もしかしてこう?」と試してみると、やっと分かったかという顔をされる。
 
 もちろんそうした基本的なアーサナがきっちり出来てこそ、難易度の高いアーサナに進めるのだが、私には数ヶ月も滞在するのだから帰っきて周りがびっくりするような進歩を遂げたいという欲があった。しかし基本的なアーサナの練習が終わると、買い物や洗濯といった日々の雑用が待っていた。
 限られた時間で出来る限り有益な事をする、普段の旅でいつも私が考えていることであり、今までの人生でもそうであった。心の中で常に「あれをしたい、これもしたい」と考えていて、それが叶えば満足であり、叶わなければその要因となるものに八つ当たりした。今回その矛先は師であるジョシーに向かい、思ったとおりに教えてくれない師に私は不満や疑いを抱くようになった。多分はじめから師はそれをお見通しであったのだろう。ついうっかり愚痴をこぼしたり、落ち込んで苛ついていたりすると、ジョシーからの叱責が飛んだ。
 
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 正直、日々叱責の嵐であった。人生でこれほど自分の言動にダメ出しを受けたことは始めてだ。自分の悪いところは多少は自覚はしていたが、どこかで自分にそれを許してしまっていた部分もある、例えば注意力散漫でぼんやりしていることや、物に対して雑なこと、すぐ悪い方向に考えて余計な心配をしてしまう所などなど、自分もまあ仕方ないと見逃し、他の人もまあそんなもんだよねと流してくれる部分を、ジョシーは決してそのままにしなかった。
「あなたは何もエンジョイしていない。」とか「ネガティブ・シンキングだ!」とか「いつも自分が正しいと思っている。」ちょっとした言葉使いに敏感に反応し、ガンガン指摘してくる。
 食器類を乱暴に扱いガチャンと音を立てただけで叱られる、理由はこうなのだ。「 何故そんなに物を乱暴に扱うんだ?あなたがそうやってものを扱うということは、身体に対しても同じだということ。そうすれば身体のハーモニーが損なわれるということが分からないのか?」
 無意識に使っていた言葉や動作の中に、これだけ自分の隠れた性格が現れていたと言う事なのね…胸にぐさぐさ突き刺さりますわ。
 でも、インドの食器はステンレスだから響くんですよ~!
 
 最初は単にジョシーが機嫌が悪くて怒っているのだと思い、お叱りを受ける度に腹が立った。口答えをすると「私は自分がヨガの先生に教わった同じや仕方であなたに教えているんだ、私の先生はもっと厳しかった。嫌なら出て行け!」といわれる。悔し涙を密かに流したことも数知れず。何故自分はこんなに気難しく、クレイジーなじいさんとケーララなんかに来てしまったのか、デリー辺りで買い物三昧して、もう帰ろうか...
 ジョシーはいつも「身体と呼吸と考え方、これらをひとつにするのがヨガなんだ。」と言っていたが、どうやら私は身体の悪い癖と共に、考え方の悪い癖も直されているらしい、と気がついたのは滞在2ヶ月あまり経った頃であった。
 
c0010791_1891768.jpg ヨガの聖典「ヨーガ・スートラ」にはヨガを学ぶ階梯として、ヨガの八支則と呼ばれる8つの項目をが挙げられている。ひとつ目はヤマ:してはならないこと、2つ目はニヤマ:すべきこと、3つ目アーサナ:これがいわゆるヨガのポーズ、4つ目プラーナヤーマ:呼吸法、5つ目プラティヤハーラ:5感を制御すること、6つ目ターラナ:集中、7つ目ティヤーナ:瞑想、8つ目にサマーディー:三昧となる。ヨガを勉強するとなると、ついアーサナやプラーナヤーマ、瞑想などを中心に考えてしまうが、土台となるのは実はヤマ、ニヤマと呼ばれる道徳的な心構えなのだ。これは簡単そうで難しい。その内容は非暴力、嘘をつかないこと、貪欲さを捨てる、盗まない人のものを欲しがらない、執着しない、清潔にする、満足する、自己鍛錬、教典の勉強、自己犠牲などが挙げられる。

 
 そう考えればこの田舎でのつつましく、静かな生活はまさに日々ヤマ、ニヤマの実践なのであった。姿勢を正され、バスに乗るために田舎道を日々歩き、質素できれいな食事を食べ、家の周りを掃除し、足ることを知り、あれこれしたいという執着を捨て、師を信頼する。 アーサナなら東京のヨガスタジオでも教えてもらえるが、日々の心構え、日常の細かい所作、食器を洗ったり、床を掃いたりすることにまで指導が及ぶ、生活そのものがヨガといった毎日はそうそう送れるものではない。
 
 そう思い直すとジョシーに対する感謝の念が改めて沸き上がってくるのだが、再び叱責を受ければそんなありがたさなど吹き飛び、また心の中でコンチクショーと叫んでしまう。
 まあ、こんな風に怒ってる師匠の話ばかり書き綴っているが、機嫌の良いときは底抜けにピースフルなのがジョシーの憎めないところだった。いくら怒っても時間が経てばけろりと忘れ、そのモードチェンジぶりがあまりに完璧なので、つられて自分も何事もなかったかのような気持ちにさせられてしまう。どんな言い争いをしても後には決してしこりを残さなかったから、何とか乗り越えてゆけたのだろう。
 やれやれ、身体の悪い癖を直すより、心の悪い癖を直すのはその数倍難しい。
by umiyuri21 | 2013-05-23 18:11 | ヨガ滞在記

インディアン・ヨガライフ〜ケーララの村で暮らす Vol.9

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インドでチャイなし生活
 
 そうやって獲得した野菜を使って、日々の食事を作るのはのは私ではなく、ジョシーの役目であった。先にも書いたが彼の食事に対するこだわりはかなりのもので、奥さんの話によれば、相当な料理上手だったとか。全てがオリジナルレシピで、分量なども計ることなくその日のフィーリングで即興レシピを作っていたと言う。今はまだ、あまり複雑な料理は作れないようだったが、それでもありあわせの物を利用し、少い調理器具を使って、時にはびっくりするような調味料の組み合わせで、日々料理を作ってくれた。

 
 しかしそれは彼の言う所の「Yogic Food」で身体に負担をかけない、胃に優しすぎる料理であった。動物性の物は一切取らないヴィーガン・フードであるのは当然で、できるだけオーガニックの食材を使う。野菜なら何でも良いわけではなく、お腹にガスが溜まるじゃがいもは一切食べず、ナスやトマトも嫌った。(全部私の好きな野菜だ)
 スパイシーすぎるものは避け、特に胡椒は身体に負担がかかるといって殆ど入れない。さらに塩もごくごく控えめ。ようするにインド人とは思えない程、物凄く薄味なのだ。
 基本的に食べることが大好きな私は、ようやくありつけた食事がほとんど味のしないスープだったりすると。無性に腹立たしくなり、また悲しくなった。
「あまりにも味が薄すぎませんか?」と文句を言うこともしばしばだった。「そう?私にはこの味はちょうどいい、塩は骨に良くないから薄味に慣れなさい。ゆっくり食べれば素材の味を感じる事ができるから」と、食べる速度もものすごくゆっくりなのだ。 
 しまいには「あなたは味にだまされている。口の中だけで料理を食べてそれでおしまい、その食べ物が何処へ行くか考えた事もないだろう。」という究極的な言葉まで飛び出す。

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 ヨガの考え方の中で、エネルギーはサットヴァ、ラジャス、タマスという3つの質(グナ)を持つと言われている。サットヴァは純粋でありバランスが取れた状態、ラジャスは躍動、情熱、変化といった質を持つ、そしてタマスは暗さ、重さ、無気力。すべてのエネルギーは形を持つと、3つの性質のうちひとつが優勢になる。この法則は全ての存在に及び、ヨガを実践する人は、サットヴァ的な食事を取ることが勧められる。そうすれば自然に心もサットヴァに近づくと言う訳だ。


  サットヴァ的な食物とは、フレッシュな野菜や果物、豆類、精製されてない穀物、ナッツなど。味の濃い、刺激の強い食べ物はラジャス、タマス的な食事は心身に強く働き、時に悪い影響を及ぼす物、アルコールやタバコ、鮮度の落ちた物や熟しすぎの物も含まれる。
 ちなみにバナナを例に取ると、食べごろのバナナはサットヴァだが、熟れかけがラジャス、すっかり熟してして黒っぽくなるとタマスと、ひとつの食べものの中でもグナは変化してゆく。
 要するにできるだけ素材の新鮮でナチュラルなヴァイヴレーションが残った状態で食べろということなのだ。味付けが濃すぎたり、作って時間の経った料理は避けるべきということ。本当、ヨガを実践するってこんなに大変だったのですよ。

 
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 滞在の最初の頃は手に入る野菜も少なかったので、食事はものすごくシンプルで、正直かなりひもじかった。みるみるうちにインド人に心配されるほど痩せてきた。ヨガをしていても今日は何を食べようか、と考えている。食べ物に対する自分の執着の深さにしみじみ驚いた。
 救いはジョシーが外食が好きなことであり、外食の時ならばピュア・ヴェジタリアンに限り、好きなものを注文することができた。また、親戚や友人に食事に呼ばれる時、冠婚葬祭時もおいしい料理が食べられるので、朝からワクワクである。
  
 ケーララはキリスト教徒が多く、ノンヴェジ率が高い。アルコールに対しても寛容でちょっと良いレストランには大抵バーが併設されていた。成人男性の20%がアル中と言われるほど飲酒が深刻な社会問題にもなっていた。インドはヴェジタリアンの多い国ではあるが、ケーララではヴェジタリアンの肩身は意外と狭く、レストランも多くない。隣のタミル・ナードゥに行くと一気にヴェジ率が上がるのだが。事実、ヴェジタリアン・レストランの多くはタミル人が経営していた。
 
 しかし、乳製品を一切取らないとなると菜食のレストランでも頼めるメニューに限りがあった。何しろチャイだって飲めないのである。ドーサを頼む時も必ず「ギーなし!」ヴェジタブル・ミールスを注文する時も必ず「ヨーグルトもミルクもなしで!」と念を押さねばならない。運悪く乳製品入のおかずが多い日だったりすると、食べられるカレーがアビヤルとサンバルと、ポリヤル一品くらいだったりする。

 
c0010791_1121284.jpg その点、家庭の料理は安心だった。ジョシーはクリスチャン・ファミリーの出身なので家族も友だちもノンヴェジではあったが、招かれる時はいつもヴェジタリアンの食事を出してくれた。しかも大抵庭先で取れたフレッシュな野菜などが使われている。遠慮なしにたっぷりいただきます~!
 ケーララの野菜は熱帯らしく珍しいものが多い、巨大なウリのような野菜、ドラム・スティック、青いバナナやジャックフルーツの種をカレーに入れたりもする。ご飯代わりに食べるジャックフルーツのお団子も美味だった。
 
 また、冠婚葬祭もおいしいご飯にありつくチャンス!結婚式や法事、子供の命名式など色々な儀式に足を運んだが、どれも儀式自体はごくあっさりとしていて、その後皆に食事を振る舞うのがメインとなっているようだった。日本のようにお酒を飲みつつゆったり会食ではなく、横長に並べたテーブルにどんどんバナナの葉を敷いていき、そこにおかずやご飯を盛り付け、一気に人に食べさせる。インド人たちは大盛りのご飯をわっしわっしと手で握りしめ、ものすごいスピードで食べ、片付け、去ってゆく。 席に着いている人が食べ終わったら、全てを片付け、また新たにバナナの葉を並べ、もう一回転。これを数回繰り返す。庶民の結婚式でも一度に数百人の人に食事を振舞っていた。で、食事を食べた人々は主賓に挨拶したり友達とちょっとおしゃべりしたら、長居せずにさっさと帰ってゆく。本当にご飯を食べに来るという感じ。かくいう私も食べることだけが目的だ(笑)
 
 冠婚葬祭のミールスは、レストランの物よりおかずの種類も多く、また丁寧に作っていたから本当に楽しみだった。ただしお金持ちの行事になればなるほど、ノンヴェジ率が上がり、食べられるものが少なくなるが玉に瑕。デザートも大抵アイスクリームやケーキ、プリンだったりして。いつも泣く泣くあきらめていた。

 
c0010791_10592168.jpg 甘すぎるインドのプリンやケーキなんて貰ったって食べたくない! という人も多いかもしれないが、これだけ菜食を徹底すると、砂糖と油で元気を出さねばならず、多分暑いということもあって、甘いものへの渇望が半端なかった。昔は必ず残していたミールスの食後に出てくるパイサムと呼ばれる甘いデザートが猛烈に美味しく感じられる。これも、6割くらいの確率でミルク入りなので諦めないといけなかったが。実は師匠の見てない間に耐えられずこっそり食べてしまう時もあったのだ。(笑)唯一飲むことができたレモンティーにも砂糖をガンガン入れる。
 師匠も白砂糖は好まなかったが、ブラウンシュガーであれば私と一緒(いや私以上に)ざくざく入れていた。塩はダメだけど砂糖はいいのか?いつも若干疑問ではあったが。
  
 油っぽくて以前は注文することもなかった揚げパン、プーリーも大好物になった。お腹がすいていればドーサとプーリー、といったティファン二皿食いも大丈夫。
 基本的にいつも何か食べたいモードなので、カレーに飽きるということは5ヶ月全くなかった。そして先生の厳しい食事管理のおかげか、お腹を壊すことも一度もなかった。

 
 いやあ、インド人の味覚にかなり近づいた気がする。
by umiyuri21 | 2013-05-22 11:02 | ヨガ滞在記

インディアン・ヨガライフ〜ケーララの村で暮らす Vol.8

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オーガニックを探せ! 

 そんな生活の中で、一番の難題は食料の調達であった。町のマーケット行けば美味しそうな野菜や果物が沢山並んでいたが、ここに大きなハードルが.あったのだ。師匠はとりわけ食事にうるさく基本的にオーガニックの食品しか買いたがらない人であった。ジョシーの実家は大きな田畑を持ち、昔はどの農家も無農薬で農業を営んでいたそうだ。70年代あたりから少しづつ農薬の使用が普及してきたが、祖父はその時も頑なに農薬を使いたがらなかったと言う。もともと食にこだわりのある家の出身に加えて、ヨガの実践の中20代の頃にマクロバイオティックに出会ったジョシーは、真剣に食事法について学び、食べるものにとりわけ神経を配るようになった。
 「良い食事とヨガをやっていれば間違いない」「人間の身体はゴミ箱じゃない」というのが彼の口癖であった。彼自身料理のセンスもあり、ナガランドとカナダでレストランを経営していたほどだから、とにかく妥協がないのである。
 しかし、インドに、しかもこんな片田舎にどれだけオーガニックの食品があるというのか?
 
 実は渡印して改めて認識したのだが、事故の後遺症の為、ジョシーの場所と時間に関する記憶は混乱しがちであった。事故の前はオーガニックの野菜を調達する人脈をいくつも持っていたらしかったが、その記憶は大分失われてしまっていたのだ。また、あったとしてもそういう農園は町から離れた郊外にあり、車の移動が必須で、公共の交通手段しか利用できない我々には行ける場所は限られている。しかも先生は携帯電話嫌いで、それすら持っていないのだ。ほとんどお手上げ状態である。
 
 最初の頃は、はじめてケーララにやってきた旅行者のごとく、人々に尋ねながらマーケットをさまよい歩いた。結局見つからず、そういう時は普通の八百屋で買うしかないのだが、先生が買って良しという野菜は、なるべく土地のものである可能性が高く、農薬の付着率が低い野菜、人参やビーツ、玉ねぎやしょうが、にんにくくらいしかない。果物ならバナナ。その辺でいくらでも採れるバナナは日々の糖分と栄養補給にかなり役立っていたはず。先生の好物はバナナと人参であったので、その2つは常に欠かさず、ようするにひたすらバナナと人参を食べて過ごしていた気がする。
 ケーララのバナナは種類も豊富で本当に味わい深かった。生食用だけではなく、加熱用もあり、朝食用に蒸したり、オートミールに入たり、ちょっと油で焼くだけで充分に甘いおやつにもなった。

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 そのうち少しづつ、周りの人から情報が入ってきて、オーガニックショップも見つけ、買えるものも増えていった。数は多くはないが、オーガニック野菜を売る露店が郊外にいくつか点在していた。また、輸入品などを扱うスーパーにはオーガニックの豆やパスタが売っていたし、日本の自然食品店のようなお店も存在した。しかし、わざわざ特定の店までローカルバスで買い出しに行くのは時間がかかり、日々の多くの時間は食料調達に消えていったといっても過言ではない。
  
 「昔はあちこちに自然食品のお店があったんだが、私が事故の間にすっかり変わってしまって、全部無くなってしまった。」とジョシーはよく嘆いていたが、記憶のせいだけではなく、それもまた半分本当の事でもあるらしかった。ジョシーが事故で療養している期間と、インドが経済成長によって激変してゆくその波が田舎まで波及する時期はちょうど重なっていた。私が見る限りでも、人々の動きや表情は少し前のインドと比べて豊かになった分どこか抑制され、世知辛いように感じられた。
 
 彼の友達によれば、オーガニック産業が大きくなるにつれ、偽物も増え、昔からあった小さな店が潰れてしまったとか。また、何でもお金中心の考え方になり、体に良いオーガニックの物を食べるという考えが廃れてしまったとか。(この辺は日本の80年代と似た感じなのかな。)
 事実、オーガニックの米やパスタを置いてあったチャンガナチェリーのあるスーパーは、売れないからという理由である日突然オーガニックの食品を全部返品してしまっていた。そこは比較的買い物しやすい場所にあり重宝していたのだが、そのお店がなくなったお陰で1時間半かけてアレッピーのスーパーまで行かなくてはいけなくなった。
  
c0010791_16165572.jpgもともと私はそれほどオーガニック志向ではなかったので、ジョシーの頑固とも取れるオーガニックに対するこだわりにうんざりすることが少なからずあった。私にとってオーガニックの野菜とは「☓☓農園のトマト」みたいなラベルが貼ってある少々高級な野菜で、それは贅沢品という認識があった。しかしケーララで生活してしばらくするうちにそのイメージは変わっていった。
 
 ケーララの田舎のちょっとした家には、大抵プランテーションがあり、そこにはココナッツやバナナ、マンゴー、パパイヤ、グアバ、ジャックフルーツなどのフルーツ、カレーリーフやタマリンド、胡椒やコーヒーの木等が植えられ、鶏や山羊を飼っていた。そこから収穫できる食物で家の半分くらいの食事は賄えそうだった。家に遊びに行けば庭で採れたばかりのバナナやココナッツ・ジュースを振舞ってくれた。マンゴーの季節には柿のごとくたわわに実ったマンゴーをいただき、それは悶絶するほどおいしいものだった。

 
 それらは放っておいても勝手にぐんぐん大きく育ったもので、どれも正真正銘のオーガニック、自然栽培の作物であった。ジョシーの実家にもココナッツの木が何本もあり、数ヶ月に一回それを収穫したが、それらも肥料も何も手を加えない自然栽培のココナッツだった。(しかし市場に流す業者にはオーガニック野菜に対する意識が育っていないため、そうしたココナッツも他のココナッツと一緒くたに流通してしまうのだそうだ。)そうやって育った野菜が本来食べるべき野菜、という認識がジョシーにはあるらしい。まあ、自然の豊かなケーララでなくては出来ないことなのかもしれないが。
 
 事実ケーララ州は他の州よりはオーガニック栽培に関する関心が高いらしく、地元の新聞に時折そういった記事が紹介されていた。また他州から来る野菜は何が入ってるか分からない、という言い方もよくされたいた。 
 ないならないで食べなくてもいいというスタンスの師と比べて、食い意地が数倍張ってる私には、その日の食べ物をどうやってゲットするかは真剣勝負であった。あまり手に入らないオーガニックのパパイヤやパイナップルが手に入ると嬉しくて仕方ない、マンゴーなんて言わずもがな。テーブルに置いたその果物の香りを嗅ぐだけでウキウキした。
 また出汁の出るトマトは他州からの物が多くて殆ど買えなかったので、たまに見つかるとこれも嬉しい収穫だった。
 
 ああ、もうとにかく、日々食べ物のことばっかり考えているのである。「ナチュラル&スピリチュアル・ヨガライフ」は何処へ行った?!
by umiyuri21 | 2013-05-20 16:22 | ヨガ滞在記

インディアン・ヨガライフ〜ケーララの村で暮らす Vol.7

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村の毎日

 こうして村での日々が始まったが、それは恐ろしく非効率的な毎日であった。何しろここは本当にど田舎であった。歩いて15分ほどの場所に小さなよろず屋があるものの、まともなお店やレストランに行くにはバスで4、50分のチャンガナチェリーという町に出なければならなかった。しかもバスは一日に3,4本しかないのである。事故の前のジョシーは車を運転してあちこち出かけていたらしいが、事故後は運転ができなくなり、移動はローカルバスか、パブリックボート、またはオートリキシャー。
 
 家の近くから出るバスを逃すと、炎天下の中30分くらい歩いて他のバス停に行く。バス停に行っても時刻表が貼ってあるわけでもない、周りの人に尋ねつついつ来るか分からないバスを待つ。オートに乗りたくともこれまたなかなか来ない。こうして刻々と時間は過ぎてゆく。
 「昔この辺で誰も車を持っていなかった頃から私は運転していたんだ、今はみんなクルマを持っている、だから私はバスに乗る。」普段から時計も持たず、計画的行動にも全く興味のないジョシー先生は、少々強がりとも取れぬ事を言いつつ涼しい顔でバスを待つが、私は内心イライラしっぱなしだった。ちょっと野菜の買い出しに出るだけでゆうに半日終わってしまうのだ。


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 日々の家事もまた、細々と時間がかかる。洗濯は井戸から水を汲んできて手洗いである。(洗濯の仕方も師匠に随分しごかれた)私が庭先でバケツに水を汲んで一生懸命洗濯していると、同じようにバケツに洗濯物を沢山入れた女性たちが笑顔で目配せをしながら、私の脇を通り過ぎる。彼女たちもまた近くの運河の水で日々洗濯をしているのだ。彼女たちが洗濯物を石にパンパン叩きつける音が、一日中どこからか響いてくる。小さな家には水道はなく運河の水で、水浴をし洗濯をし食器を洗う。
 
 洗濯も面倒だったが、生ゴミの処理もまたひと仕事、庭の周りから落ち葉を集めてきて自分で燃やさなければいけない。ついつい貯めこんでしまうと沢山の落ち葉が必要になり、それだけ時間もかかってしまう。冷蔵庫もないので食品の管理も大変だ。何しろここは熱帯、虫の王国だ。食べ物の袋を一旦開けたら必ず瓶に入れて密閉しないと瞬く間にアリの餌食。ちょっとした食べ物のクズを床に落とすとこれまたアリにたかられるので、ものすごく気を使う。うっかり蓋がゆるんでいたり、不注意でアリの餌食(穀物類が危ない)になったら、大きなザルに被害を受けた食品を入れ、日光に晒すとアリが逃げてゆく。そんな慣れない作業もまた一苦労だ。その他ゴキブリ、ネズミ、巨大な蜘蛛、見つける都度に退治をする。

 
 おまけに、この家の屋根裏には何やら動物が住みついていた。夜になると天井からドタバタと激しい足音が...ネズミにしては大きい。聞けばワイルド・キャットと呼ばれるネコに似た、しかしネコより凶暴な動物がいるとか。(ワイルド・ドッグというさらに凶暴なやつもいるらしい)木をつたって屋根裏に忍び込んでそこを住処にするのだと。     
 足音だけならいいが、そいつは時々バナナを拝借したり、天井からおしっこをするのが困り物であった。時折天井から水がポタポタ落ちてくるのだ。その後始末も当然私の仕事、考えてみればここに書いたほとんどが東京ではまったくする必要のない雑用ではないか。

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 そして午前と夜に30分づつ一日に2回の停電がある。30分と書くと短そうだが、朝や夜の慌ただしい時間に停電すると結構時間のロスなのである。
 夜、電気が止まるとそれまで天井のシーリングファンに飛ばされて寄って来なかった小さな虫が一気にろうそくやランプの明かりに集まってくる。暗闇の中プワ~ンと虫達の羽音が響き渡る。聞いているだけで痒くなりそうだ。雨の後だと特にそれが多く、食事や調理中は虫が入らぬように特に注意が必要であった。いや、一日2回のレギュラー停電のみならまだいい、雨が降ると時には3、4時間、6時間も停電してしまうことがあった。

 
 インドは停電が多いと聞いてはいたし、これまでもインドを何度も旅してきたが、自家発電機のあるホテルの滞在がほとんどだったので、停電の不便さを実感したことがなかった。「停電のない日はないの?」と人に聞けば「ないよ」と笑って答える。(実際は、学生のテスト期間に停数週間電がなくなる時期ががあった。)
 今イケイケなインドと言われている一方で、まだこんなに停電してるんだなあ。ああ、インドで暮らしてみたいなんてお気楽に夢見ていた私、なんて浅はかだったのだろう。
 
 何だかんだと文句を書いてきたが、それでもこの家は立派な方で、普通の人々が暮らす家には水道すらなく、ガスコンロもない家も少なくない。頼みの綱である電気すらこんなに頻繁に止まってしまうのでは、文明生活するなって言われてるみたい。と停電に慣れない私は一人で腹を立てていいた。
 いやいやまさか、村の生活がこんなにつつましく、ゆっくりした速度で進んでいるとは。ここからムンバイやデリーは遠い世界、東京の生活などはるか彼方だ。
 
 こんなペースで暮らし、朝と夕方にヨガのレッスンをしているのだから、一日はあっと言う間である。自由時間など全くない。ほっと息をつけるのは先生の来客中と全ての家事を片付けた夜遅い時間、その時間に急いで日記を書きつけるのが精一杯、そんな日々が続くのであった。
by umiyuri21 | 2013-05-19 15:49 | ヨガ滞在記

インディアン・ヨガライフ〜ケーララの村で暮らす Vol.6

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森の中の家
 
 ジョシーの実家はケーララの南側、バック・ウォータークルーズの拠点であり、旅行者も多く集まるアレッピーという町からさらに20キロほど内陸に入ったノース・ヴェリヤードという小さな村にあった。この辺りはクッタナード地方と呼ばれ無数に入り組んだ川と水路、水田が広がる、バックウォーターの典型的な農村の一つであった。
 チェンナイからインドに入り、夜行バスでアレッピーへ。ジョシーの妹夫婦が迎えに来てくれた。アレッピーの病院で婦長さんをやってるというジョシーの妹さんは、明るくきびきびした雰囲気の女性で、滞在中ずっと世話になりっぱなしだった。彼女の住まいはケーララの伝統的な建築とモダンでナチュラルなスタイルを合わせた、インテリア雑誌に出てきそうな素敵な家だったのだが、それも何とジョシーの設計であるという。何故、ジャンル違いのことがこんなに色々できるのか、本当に不思議な人だ。

 ともあれ、彼らの車で実家のある村まで向かう。キレイに舗装された幹線道路から途中で脇にそれ、そこからは街灯もないでこぼこくねくね道を20分ほど走る。周囲は小さな集落と青々した水田がどこまでも続く、ちょうど夕暮れ時で、水田から立ち上った水蒸気で遠くがふんわりと霞み、オレンジ色の太陽が空を染め上げる。ああ、とうとうケーララにやってきたのだ!と感激した。運河にかかった小さな橋の近くで車を降りる頃には、辺りは真っ暗であった。懐中電灯を手に運河沿いの小道を5分ほど歩くと、鬱蒼としたジャングルの中の一角に彼の家があった。

 
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 「ごめんなさいね、今ご飯を作る人がいないの。食料も少し買っておこうかと思ったんだけど、何を食べるかわからないから...自分たちで好きにアレンジして暮らしてね。」とおもむろに妹さんが言う。まじ?!食事自分たちで作るの?話が違うではないか!
 当初、家にはご飯を作る人や、家周りの世話をする人がいると聞いていたのだ。確かに困ったときに呼んで来てくれる管理人や、周りに親戚が住んでいたりもしたが、基本的には自分たちで何もかもしなければならないことが判明。家は2年前に一人暮らしをしていた彼のお母さんが亡くなってからは、誰も住んでおらず、時折湾岸で働いている弟たちやジョシーが数ヶ月住んで帰ってゆく、そういう状態であったのだ。
 昔は多くの人びとがこの家に出入りし働いていたらしく、呼べば誰かが来てくれて身の回りの世話をしてくれるようだった。しかし、ジョシー先生「今回はそういうのは嫌だ、全部自分たちでやれる!」とのたまう。やられた!と思っても時すでに遅し...まさに怒涛のヨガキャンプの始まりであった。(しかし後半は弟が帰省してきてかなり助かった。)

 
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 家は広く、それほど古びてはいなかったが、湿気の多いケーララで数ヶ月人が住んでいなかったので、かび臭く蜘蛛の巣があちこちに張られている。
 熱帯らしい隙間の多い作りなので、汚れる速度が半端ないのだ。床は埃でざらつき、本を開くと虫が飛び出す、ちょっと戸棚の奥に手を入れると、蜘蛛の巣やらヤモリのフンや虫の死体やらに触ることになる。ああ、早速掃除しなくちゃならないねえ。

 シャワーもお湯シャワーがあると聞いていたのに、水シャワーしかない。冷蔵庫もない、当然洗濯機などもない。水道は井戸水を直接ポンプで汲み上げ、飲み水はフィルターを通したものを使う、数年前はそのフィルターすらなかったとか。買い換えたばかりと思われる真新しいガスコンロがあるのが救いであった。ガスボンベから直接ガスを引いて使う危なっかしいタイプだ。妹さんが使い方を教えてくれる。
 
 「ガスコンロの使い方は覚えた?」妹さんが帰ってからジョシーが聞く。「はい、確か元栓を上にあげてこうやって...」と元々雑な性格ゆえ、少々乱暴にがちゃがちゃ動かすと、またも先生からの罵声が。
 「私はプアー・カントリーで暮らすということはどういうことか、教えているんだよ。物を大切に扱いなさい、ヴァージンとメイク・ラブするように丁寧に。いきなりレイプしちゃだめだ!そうしたら2度と使えなくなる。壊れたら日本のようにすぐに買い換えることは出来ないんだ。」はあ、なんだかすごい喩えだけど、納得しました。しかし、ヨガの修行というよりは丁稚奉公に来た気分なんですけど。
 
 夜、湿気でしっとり湿った布団に横になり、「ああ、ダニに刺されなきゃいいけど」と心もとない気持ちで眠りにつく。
 田舎の夜は果てしなく暗い。明日からの生活、一体どうなることやら。
 
by umiyuri21 | 2013-05-18 21:52 | ヨガ滞在記

インディアン・ヨガライフ〜ケーララの村で暮らす Vol.5

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そしてケーララへ
 
 以前から彼が、生徒を長期間実家に滞在させヨガを教えるという話は聞いていた。
 もともとインドの伝統的な師弟関係は、グル(先生)シシャ(弟子)パランパラーと呼ばれ、かなり密度の濃いものであるという。マンツーマンが基本であり、寝食を共にし先生の世話をしながら弟子は多くを学んでいった。手元にあるアイアンガーの「ヨーガ大全」という本の中にも「弟子と師は親子、夫婦、友達以上の深く特別な関係を持っている。」と書かれている。「師は愛を持って、弟子が自信を持ち、献身し、規律を深く守り、深く正しく理解できるように指導する。」「ヨガの弟子は知識の習得に旺盛であり、また謙虚な態度で、忍耐強く、不屈の精神で学び続けなければならない...予想していた期間に目的が達せられなかったとしてもくじけてはならない」
 
 こうした伝統的な制度の中でジョシーもヨガを学んできたのだろう、その同じやり方で彼もその折々に出会った生徒たちにヨガを教えてきたらしい。現代の日本にあってかなり貴重なことである。「私の教える知識は私のものじゃない、私が先生から教わったものだ、そしてその先生はそのまた先生から、そうやってずっと辿ってゆくと、最後には神様にたどり着く。ヨガは人間が考え出したものではない、神様から人間に伝えられた大切な知識なんだ。」

 
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 インドには毎年のように訪れていたし、その年も行くつもりでいた。当時、私はとあるインド本の企画を抱えており、それがめでたく決まったら取材に出かけようと目論んでいたのだ。しかし、一向に決まらず、渡航の目処も立たない。それならば、いっそケーララに行ってみようではないか。
 何といっても、彼の実家はケーララ州でも特に観光客に人気がある、バックウォーターと呼ばれる水郷地帯のど真ん中なのである。ケーララへはすでに2回訪れていたが、水と光と緑にあふれたバック・ウォーターの風景は特に印象深いものだった。(拙著「ガールズ・インディア」P92~参照!)
 
 あんな自然の美しい場所でヨガ三昧なんてさぞかし気持ち良さそうだ! もともとインドで一度生活してみたかった私は前後見境なくすっかり盛り上がってしまった。(彼の実家がビハール州あたりだったら、これほど喜んで行ったかどうか...)居場所がなくなった今の生活からしばし逃避したい気持ちもあった。2時間のレッスンすらスパルタできついジョシーと、毎日朝から晩まで過ごすことがそんなに甘いものじゃないことなど、全く頭に浮かばなかったのだった。

 

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 そして「ケーララでスピリチュアル&ナチュラル・ヨガライフ♪」と言う、うっとりした夢は、すでに行きの飛行機で打ち砕かれることになった。

 乗り継ぎのシンガポールへ着陸する時おもむろにジョシーが言う「着陸の時に無防備に寝ていると衝撃で身体に負担をかけるから、キチンと起きていなさい。」ハイと言ったものの、時間は夜中、睡魔に負けてぐうぐう寝てしまう。目覚めると怖い顔したジョシー先生が...「寝るなと言ったのに何故寝る?それでもヨギか?集中力が足りない!」
しかも私、口を開けてだらしなく寝ていたらしい。ヨガの呼吸法では口で息を吸うのはご法度なのだ、それを日常生活、寝ている時も徹底しろと叱られた。
 
 それなのにトランジットのシンガポールでも椅子に座って待っている途中、また居眠りしてしまう私に、さらに不機嫌になるジョシー。とにかく人が行き来する場所でエネルギーを開けっ放しにして寝てしまうのは、全くヨガを学ぶ人の姿勢ではないという事なのだ。こ、これは今までの旅と全く勝手が違う!
 ヨガを学ぶとはそんなに厳しい事だったのか、普段からぼーっとしがちで抜けまくりの自分、大丈夫なのか?
 しかしこれは、ほんの序の口であった。

 
 ちなみにその後もバスやボートで居眠りする度に私はジョシーに叱られたが、こればかりは何故か全く直らなかった。暑い車内に吹き込んでくる緑濃いさわやかな風と、車の振動を感じると猛烈な睡魔に襲われてしまうのである。寝るな!と言われるそばから寝てしまうので、自分でもかなり呆れた。
 
 眠くなった時に目を覚ますいい方法、今も真剣に探しております!
by umiyuri21 | 2013-05-17 14:22 | ヨガ滞在記

インディアン・ヨガライフ〜ケーララの村で暮らす Vol.4

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いきなりヴェジタリアン

 こうしてヨガのレッスンに通う日々が続いた。はじめのうちは数人の生徒が来たが、そのうち何故か殆どマンツーマンのレッスンが続くようになった。彼の教え方は本当に厳しく、私が「痛くて出来ないと」泣き言を言うと必ず喝が入る。
「身体を弱い子供のように扱うな、身体は自分自身だ。自分の身体を信頼せず、一体何を信頼する?自分の身体を見るな、ただ信頼して感じなさい」とまあ、相変わらずのスパルタで、「できない!」「何故できないの?」の押し問答になることも。しかし、投げ出したくなりながらも、その先に進むと必ず身体に新しい変化が起こった。それは次々と新しい自分を発見していくようで、1年前のどん底の身体に光が差し込むような感覚だった。

 
 いつの間にか週1回だけ通っていたレッスンを2回通うようになり、更には彼の別の教室にも足を運ぶようになった。すっかりヨガにハマり込んでしまったある日、突然ジョシーに「今日から真面目にヴェジタリアンになりなさい」宣言をされた。え~っとヴェジタリアンってジョシーと同じ、ヴィーガンのことでしょうか?と尋ねると静かに頷くばかり。 
 ジョシーはもう何十年も動物性の食物を一切取らないヴィーガンを続けていた。当然お酒もコーヒーも飲まない。レッスンの後、みんなで食事に行くのが常だったが、生徒に菜食を進めるような事は決して言わなかったので、私もヴェジタリアンをやろうとは真剣には考えていなかった。さすがに肉とお酒はかなり控えめにはしていたが。

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  しかしここに来て、まさかまさかのヴィーガン宣言である。
 「肉や魚をやめると身体が柔らかくなってアーサナがやりやすくなる。乳製品を取らないとさらに息が軽くなる。あなたの身体の悪いところも直りが早くなるから、是非やりなさい。」と言うのだった。
 「でも、今日からいきなりというのは無理です。実をいうとうちは夫が食事を作ってるんです。」また泣きを入れる私。「何?スミマセン私は今日からヴェジタリアンになります。自分のものは自分で作りますと言えばいいじゃないか。お前はHuman beingだろう何故他人に遠慮するのだ?」とピシャリ。「伝統的にはヨガを本格的に学ぶにはヴェジタリアンを実践することは当たり前。昔なら肉食をしている人はアシュラムの門もくぐらせてもらえなかったのだ。」とまで言い放つ。そこまで言われれば、ハイと、とりあえず答えてみるしかない。


 と、半ば強制的に菜食生活が始まった訳だが、これが実は大きな川、いや爆弾であった。まず、数週間で未だにグズグズしていた体調が劇的に良くなった。特に精神的な変化が大きかった。
 生理前や雨の日などに感じていた鬱鬱感。目覚めた時に、ああ、一日をはじめるのが億劫だという重苦しい感じ。時折夜中にうなされる嫌な夢。そして、体調を崩してからずっと微かに続いていた光の眩しさ、それが一気に軽減したのだった。何よりもあんなに苦手だった早起きが苦痛じゃなくなった。おお!食事を変えるだけで身体がここまで変わるとは。
 
 菜食をはじめて2ヶ月後、今度はクンジャラというクリヤ・ヨガ(浄化法)の一種を教えてもらった。これは起き抜けに大量のぬるま湯を一気飲みして、すぐさまそれを吐き出すという胃の洗浄方法である。最初は吐くのが本当に苦しくて、何の因果でこんな事をと半べそをかいていたが、2週間ほどするとさくっと吐けるようになった。すると味覚が敏感になり、自然に刺激の強い食べ物は受け付けなくなった。最後までやめられなかったコーヒーも簡単に離脱。

 
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 しかし食事を変えることは、体調だけでなく生活を激変させるものであった。みんなと同じ物が食べられない、今まで通っていたレストランにも行けない、友達との飲み会にも食事会にも行けない。正直、単に動物性の物を取らないという食生活の大変さよりも、それに伴って変化する生活や人間関係の方がよほど大変だった。出されるものを何でも食べる生活から、食べるものを自ら制限する生活は、かなりの自己主張の強さを要求された。レストランで動物性の物を抜いた料理を作ってもらう、中に何が入ってるかその都度確認し、出されたものを食べられませんと言って断る。もともと押しの弱い私にはこれがキツかった。しかしそんなしんどさも、ヨガをもっと学びたい一心と、体調の軽やかな変化には代えがたいものだった。去年の今頃、このまま私の身体は衰えてゆくのかと憂いていたのが嘘のようだ。


 見えない流れに押し流されるような日々が続いた。夫との関係も心なしか距離が出来てしまった。お互い自営業で家で仕事しており、毎食3食一緒に食事する日も珍しくなかったのだが、夫の作る料理を私は殆ど食べなくなり、酒も飲まずに早起きをし、ヨガの練習に精を出す。食生活を変えたばかりの当初は、人々にカムアウトして色々聞かれるのも面倒で、知らぬ間に私は今までの人間関係から自分を遠ざけてしまっていた。元の生活に戻るつもりはなかったが、だからといってこのまま自分が何処へ進んで行くのか皆目分からずに困り果てて居る時に、飛び込んできたのは冬に療養の為に帰省するジョシーと共にケーララに行き、彼の実家に滞在してヨガを学ぶという話だった。
by umiyuri21 | 2013-05-16 18:34 | ヨガ滞在記


旅とヨガとイラストレーション。世界と身体と脳内をめぐる旅。


by 若山ゆりこ

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